本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

一切衆生悉仏性

2016-06-26 21:11:34 | 十地経

「一切衆生悉有仏性」

一切の生きとし生けるものは

悉く生まれながらにして仏性あり

と、辞書には出ていました。

同じような言葉で、

「山川草木悉有仏性」

山や川や草木に至るまで

仏性があると説いているのです。

 

このことも自分のこととして

どのように受け止めるか、

そこには、

「悉有」ということが大事ではないかと、

ことごとくある、という

 

人間誰しも劣等感や優越感に

とらわれるものです。

少し調子がいいと優越感になり

物事うまくいかないと劣等感に

なるという具合に、

修行とは劣等感・コンプレックスの

克服だ、と聞いたことがあります。

 

仏教の言葉では、下慢・高慢

という言葉で出てきます。

下慢、卑下慢ともいい、

下劣心という言葉でも出てきます。

今でいうコンプレックス、劣等感です。

反対に、

高慢、高慢ちきという言葉もあるように

威張るということです。

 

価値があって得意になっているのを

優越感ともいえるでしょうし、

価値ばないことにとらわれているのを

劣等感といえるでしょう。

 

この優越感、劣等感を対治する

というか、その心を

超えていくというところに

「悉有」という意味があるのです。

 

誰にも仏性、仏さまの心がある

というのですから、

優越感劣等感を問題にさせない

ということです。

「悉有」ということは「だけ」という

ことを否定するのです。

 

他の人に比べて

だけは偉いとか

反対に、私だけは駄目だということを

言わせないのです。

劣等感も許さんし威張ることも許さん

そこに本当の平等があり

すべての人に平等に仏心がある

ということが言えるのです。

 

修行がきつく

「もう自分は駄目です。

ほっといてください!

もうやめてしまいます。」

といったことがあります。

そのとき、

とても叱られました。

もう目の玉が飛び出るほど!

なぜか、その時はわかりませんでした。

自分のような根性無しは

捨ててしまえばいいのに、

と、思っていたのです。

しかし、

これは本当の激励だったのです。

もう、あかん。

ということを言わせない。

そこが修行のし時だろう!と

しかし、その時はわからないものです。

 

後になって、わかることなんですが、

自分のコンプレックスを克服できる

絶好のチャンスではないか!!

今この時を逃すな、

そういうための叱咤激励だったのです。

 

「悉有仏性」とうことも

みんなに仏さんの心はるんですよ

とは呑気な話で、

みな悉く仏性有り、ということは

優越感に浸ることも許さんし

また、劣等感に陥ることも許さん

という、非常に厳しい言葉です。

 

優越感に浸っている自分に

平等の世界に引き戻してくれる

そのことが智慧ということです。

劣等感に陥っている自分を

叱咤激励してくるということが

智慧ということでしょう。

 

知識と智慧の違いといっても

なかなかわかりませんけど、

 

読めば読むほど奥が深いものです。

他人事ではなく自分のこととして

どのように受け止めていくか

そこが一番肝心要のようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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