本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

シャルル・アズナブール

2018-10-14 20:40:29 | 住職の活動日記

ここのところ車の中では

アズナブールの歌が流れています。

先日、

家内が見つけたのですが

テニスの番組を見ている時

「アズナブール」の葬儀の模様が

流れていたのです。

何という偶然、

その様子は国葬のようで

儀仗兵に囲まれて棺が運ばれ

マキロン大統領が弔辞を述べて

おられました。

 

 

たぶん、先日9月17日の大阪公演が

最後の歌声ではなかったでしょうか。

この写真はその時のパンフレットの写真です

その時ふと思ったのですが

何とも遺影のようだな、と

 

 

年輪を重ねたそのお顔からは

いぶし銀のような渋さが

伝わってきます。

 

もともとは家内が

若い頃に聞いていてファンだった

ということですが、

4年前の90歳の記念公演で、

これが最後の公演かと

お別れのつもりで出かけたのですが

今年も94歳の公演ということで

是非聞いておかねばと、

 

ところが、4年前の歌声より

さらに磨きがかかり

言葉も分からず意味もわからず

けれども、

涙が出るほどの深い感動を

おぼえました。

 

今思えば

ロウソクの火が燃え尽きる

その最後の瞬間

赤々と燃え上がる

そのようないのちの燃焼だった

のかもしれません。

 

その方の生きざまを

よくは知らないのですが、

最後までゆっくりされることはなく

舞台の上で死ぬと

宣言しておられたようで、

燃え尽きるような生き方だったと

思います。

 

こういう言葉に出会いました。

「やれるだけやる、

といういことではない。

あくまでやりぬくのである。

炭の火が燃えるのも、

炭が力を出し切っているからである

火の燃えるのも、

水の流れるのも、

絶体絶命であって、

形なき力を出し切っているのである

粉骨砕身というところに

安立するのである。

しかも、

それが無為自然である。」

 

普通から考えれば

もう90歳も過ぎてそんなに

働かなくてもとおもうのですが、

そうではなく、

アズナブールといういのちの力が

燃えているのであって、

そのこと自体が安心という

境地だったのでしょう。

そのことが自然になされたという

ところに驚きを感じます。

 

本当は皆そのような

生き様をしているのでしょうが

というか、

いのちはそのように

絶体絶命のいのちのハタラキを

しているのですが

私たちの意識だけが

のんびりしたいとか、

ゆっくりしたいというように

考えているのです。

 

アズナブールも

日本をとても愛されていたようで

オーディオも車も日本製

ということだったそうです。

 

懸命に生きられたその姿に

とても勇気を頂くようです。

94年のご生涯

本当にご苦労さまでした。

 

 

 

 

 

コメント
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