本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

翼なくして飛び、足なくして走る

2018-10-23 20:46:28 | 住職の活動日記

お金のことを「お足」と言いますが

また、

「いつまでもあると思うな親と金」

という諺もあります。

というように、

あると思っていたお金も

いつの間にか足が生えたかのように

出ていくものです。

お足という言葉も中国のことわざ

「翼なくして飛び足なくして走る」

ということから出た言葉のようです

 

また別の意味で「足」ということは

大切な意味も持っています。

仏教でも、

「脚下照顧」とか「仏足石」

というような意味でも使い

とても重要なことなのです。

 

お釈迦さまが亡くなられて

その後は仏像をつくるということは

畏れ多いことで、

お釈迦さまの足跡を拝むという

石にお釈迦さまの足裏の相を彫り

それを拝みました。

また、

「御足を頂く」

ということもあり

お参りする時、五体投地して

その両手に仏さまの足を

頂くのです。

昔の話に、

お釈迦さまが通られるその道に

水たまりがあって

お釈迦さまの足が汚れてはいけない

ということで、

自分の髪を投げ出して

通って頂いたということがある

ようです。

 

坐禅する時に組む足は

「結跏趺坐」(けっかふざ)

といい、蓮華座ともいいます。

この座り方は仏さまの座り方で

そういえば、上座部のお坊様は

日本でいう正座という座り方はなく

普通のお坊さんは

横すわりのような座り方を

しておられるようです。

 

修行の時の歩き方は

歩歩の足下に蓮華を踏むと思え

とあるように

蓮の花の上を歩くというように

一歩の足も丁寧に歩けと

歩くということも一つの行と

考えて歩くということでしょう。

 

脚下照顧で

自分のことを振り返ってみると

鏡に映った自分の姿、歩き方

何時の間にやら

妙な癖がついているものです。

 

また別な話で

なぜ蛇が恐いか

(好きな方もおられますけど)

蛇は足がないから

ということらしいです。

その反対に

人間に規律を求めるには

歩き方、足をそろえるという

むかしに軍隊の歩き方も

特徴があり

その姿だけでも威圧するものが

出てきます。

 

お釈迦さまも

修行の第一は行住坐臥と

いわれておられます。

歩く座る臥すという毎日の行為

そこを整えるということを

大切に言われておられます。

 

足ということも

なんでもないようでもあり

されど足の大切さ

ということもあるようです。

 

テレビでも、

「浮き足」ということがあって

歩かないということが原因で

足の指が地についていない人が

増えているということです。

しっかと大地に足を付ける

ということが大切ですね!

 

 

 

 

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