本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「出会い」と「教育という形をとっている僧伽」

2022-02-05 20:02:38 | 十地経

東寺の宝菩提院で

開講された「十地経講義」は

私がお世話になった時は

すでに開かれていて

その当時は二日にわたって

先生もお泊りになり

夜の食事は「おでん」が

定番でお酒もすすみ

話しも盛り上がりました

 

今思うと

三浦先生と安田先生との

対話だったように思います

三浦先生は

「出会い」という題で

洛南高校の「群光」の中で

語っておられます

 

仏教では、

出会いということを

「ご縁」と呼んでおります。

しかし、

真の善智識(良き教えを

教えて下さる方)に会って、

教えを聞くということは

大変むずかしい。

良き師に出会って、

自分が自分を発見する。

これを自覚といい、

悟りと申します。

ですから、

出会いということが、

どれほど大切なものであるか

ということを分かって

いただきたいと思うのです。

 

私のことになりますが、

小さい時から高野山に

登りまして、

それから迷いに迷い続けて

おりました。

自分は何のために生まれて

来たか、

人生とは何だろう。

何のために死んでいくのか。

一体何を

どうしたらいいのだろう。

こういうことが

明らかになって、

助かる道はどこかには

ないだろうか、と

私はいつも求め迷って

おりました。

 

そんなある日、

今は93歳の高齢で、

つい最近辞められましたが

大谷大学の

学長をしておられた

曽我量深先生にお会いできて

ああ、

この方のお話こそ

噓のないお話だ、

と思いました。

そして、

そのお弟子さんである

安田先生にお会いして、

この方のお話を聞き、

ますます

これが私の探し求めていた

絶対嘘のない話だと思って

初めて目を開かせて

いただいたわけでございます 

しかし、

途中では、やはり

「しまった。

あんな人に出会わなければ

よかった。会ったばっかりに

こんな苦しいことになった。

会わなければ、

どんな誤魔化しも

出来たのに。」

と思ったりしました。

こんなことで今日まで、

その先生の教えに従って、

「なるほど、なるほど。」

と生きて来たわけで

ございます。

そして、

その先生方の教えを聞いた

心で弘法大師の精神にもふれ

この学校にはいらせて

いただいたわけでございます

ですから、

この学校はこれらの善知識の

教えを根本として、

初めてできた学校なのです。

 

というよう語っておられます。

その話に呼応するかのように

安田先生もある対談の中で

このように語っておられます

 

「教育という形を

とっている僧伽」という題で

 

洛南高校という学校があって

教育上非常に成功しています

東寺ですけど。

そこへぼくはいつも

講義にいっとる、

長い間ですけど。

感心しとるのはね、

非常に京都の高等学校で

学校が成功しとる。

ひとつの参考ですね。

みんな大谷高校でも、

平安高校でもみんな困っとる

ところがそこは

上は校長から小使いまで

一貫しとるんだ。

共同体だ。

校長だけが偉いとか

先生だけが偉いとか

そうじゃないんだ。

 

もう学校の校庭に一歩

踏み入れたら、

もう磨いたように廊下が

光っとる。

自ずからそこで靴を脱いで

上がらんならん。

言わずして

そういう具合になる。

そこでタバコ吸っとるという

わけにはいかんようになる。

それが大事なんだ。

小使いに至るまで

一貫している。

一人だけが偉いというのは

あかん。

つまり

共同体じゃないですかね。

教育という形をとっている

僧伽(サンガ)だ。

あれが非常にいい例になる

と思うんですね。

非常に参考になると

思うんです。

 

だからして総長だけが

信仰を得てもあかんのや。

小使いに至るまで

一心同体となっておらんと。

境内に一歩入れば

そこに信仰の雰囲気が

サッと感じられる

ということでなければ

いかんと思いますね。

 

ぼくはこう思うんです。

我々の先生といったら、

別にかくしはしません。

曽我先生がわれわれの教えを

受けた先生ですけどね。

なんぼ偉くても

そういうものを出すと

あかんのや。

曽我教学というと

「私」ですわ。

徒党になるんです。

これが大事なんです。

徒党にならないのが

共同体です。

共同体には、

僧伽には偉い人はいらん

のです。

学者も無学者も平等なんだ、

それが僧伽や。

 

安田先生も

三浦先生の前では

こういうことは一切

言われませんでしたが、

自分の言ったことを

本当に実践した人は

三浦さんだけだ

ということは

いろいろな講座で話されて

おられたようです。

 

 

 

 

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