本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

思索するなら、かえって肉体労働の方がいい

2022-02-23 20:35:40 | 十地経

ここのところも

大学時代に聞いて何かしら

心に残り、

自分の方向性が決まった

ような話です。

 

「学校出たら、

あの大学みたいな三年や四年

の学問で満足するはずがない

ええ、学問の嫌いな人間です

大学だけで学問やめるのは。

あれだけで学問やむはずが

ないけど、

さあそれについては銭がない

もう親も出してくれん。

そうするとなんか

やっぱり自活せんならん。

自活するなら

学問にあうような生活方法を

選ぶ。

で、図書館に入るとか

そいうような文筆的な

仕事を選ぶ。

それが合うように思うけど

それはとんでもない間違い

なんだ。

そろばんは合うけど

銭は足りん。

かえって労働みたいなものを

選んだ方がいいんです。

うん、学問には。

図書館なんかに入ったら

かえってあかんのや。

ええ。

体を使うような仕事をね、

その方がかえって

学問には合うのじゃ

ないだろうか。

 

哲学しようとすると

やっぱり

高等学校の先生なんかして

おった方が便利だと、

こういうようなわけで、

いかにも合うように思われて

やられたかもしらんけど、

必ずしも合うとは

決まっておらんね。

かえって

体を動かしている方が、

集中できるんじゃないかと

思うですね。

筋肉労働がいいといっても

あんまりひどい

筋肉労働やっていたら、

もう休んだ途端に

眠うなってしまって

夕飯食うて一杯飲んだら

それで朝まで寝てしまう

というような。」

 

昔の哲学者は

レンズ磨いたり、粉ひいたり

労働の中に哲学した

という話しでした。

その当時教職免許を取ろうか

悩んでいたこともあり

労働の方がかえって

いいのではないかと

お寺での雑務の方が

面白そうに思えて

それからはお寺の道を選び

ひたすら、雑用雑事

高校の掃除からお寺の掃除と

何でもするという

大変有意義な時間を

過ごしていたのですが

いざ、結婚という時になって

初めて自分の置かれている

立場に驚いたのです。

というのは

その当時の給料は

アルバイトよりも安い

その給料でどうやって

生活するのかと

突きつけられた時

今までそういうことを考えず

一生懸命楽しくやっていた

仕事が世間から見たとき

通用しないものだと

思い知ったのでした。

 

学問といっても

一途に突き詰める方でもなく

何か気にはかかるけれども

生活を懸けて

というほどのものではなく

中途半端なことだったのです

 

安田先生は

「食えんようになったら

それが死ぬ時だ」

と、本当に命を懸けて

求道しておられたのです。

私たちにはできるものでは

ないように思いました。

 

いまこうやって

講義の話に没頭できるのは

ある面、老人の呑気な

隠居仕事なのです。

確かに、

こうやって読んでいくと

労働しながらの方が

こういう本は読めるのでは

ないかと思うのです。

体を動かしながらの方が

寸暇を見つけて読める

ように思います。

 

といいつつ、

次の行を読みだすと

「楽無作行対治…」と

先月から全く進んでいない

また振出しからはじまる

というように

講義は円を描くように

行きつ戻りつしながら

進みます。

 

 

コメント
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