熊野岳(くまのがだけ)山口県長門市油谷久富
山口県長門市油谷久冨にそびえる熊野岳(くまのがだけ)
作業道を進むと、途中で熊野岳の山頂が顔を出す
作業道終点から谷を詰め、最後は山腹に続く道を辿りシダの目立つ植林帯に着く
山頂へ続く尾根へ取り付き、高度を上げれば次第に急登となる
熊野岳西峰の岩の多い場所を過ごし、わずかに下って登り返せば歩きやすい道に着く
最後にシダ藪を中央突破、山頂を取り囲む謎の溝を越えれば明るい山頂へ着く
山頂からは北に千畳敷、雨乞山、妙見山などの山脈が続き、更に北には日本海が美しい
下山時に展望地に立ち寄り一位ヶ岳、天井ヶ岳、白滝山と風力発電施設を眺める
私は旧油谷町出身で、11才のとき、山の西側から熊野岳に登ったことがあります。当時、北西斜面は大規模に伐採が行われ、植栽されたばかりの苗木が並んでいたことから、高滝山方向から登ることが可能でした。登るには登ったのですが、帰りは来た伐採された斜面でなく、木に覆われた山の北斜面中央付近から帰りました。斜面はかなり急で、何度か枯葉に滑って、転げました。
少し話がそれましたが、その途中で、明らかに人工的に作られたコンクリートの穴のようなものを見つけました。よく見た訳ではないのですが、なんだろうと思った記憶があります。その後、中学校に入り、油谷町角山のお寺の住職でもあった、上田正立先生から、終戦の日の8月15日は熊野岳に軍のために哨戒施設を作りに行っていて、帰ってから終戦を知ったとの話を聞きました。砲台と言われたかは記憶が定かではありません。しかし、確かに熊野岳に、旧日本軍の施設は建設されてはいたようです。自分が小学生の時に見たものがその、残骸だったのではと、今もたしかめたいと思っています。見たのは40年前ですが、もう知っている人もいなくなりましたので、何らかの記録として残したいと思いコメントしました
熊野岳の山頂を囲むように人工的な溝が残っており、旧日本軍の監視所があったという説を当時記載しております。
終戦の日に、軍のための哨戒施設を作りに行かれていたのなら、山頂の溝はその際作られたと言うことでしょう。
長い年月が過ぎたにもかかわらず、コンクリートもレンガも一切使用されていない人工的な溝が現在も残っているのは、とても不思議ですね。