古事記の編纂者、太安万侶(おおのやすまろ)の墓所へ行ってみました。きっかけは古事記を広める会のDVDで、昭和51年に茶の改植中に発見された史跡とのことでした。
墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之養老七年(723年)十二月十五日乙巳」の四一文字が刻まれ、居住地、位階と勲等、死亡年月日、埋葬年月日が記してあったそうです。
太安万侶の墓所入口
急な傾斜の坂を登ります
墓所の案内
周囲は大和茶の産地
太安万侶墓所
古事記の編纂者、太安万侶(おおのやすまろ)の墓所へ行ってみました。きっかけは古事記を広める会のDVDで、昭和51年に茶の改植中に発見された史跡とのことでした。
墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之養老七年(723年)十二月十五日乙巳」の四一文字が刻まれ、居住地、位階と勲等、死亡年月日、埋葬年月日が記してあったそうです。
太安万侶の墓所入口
急な傾斜の坂を登ります
墓所の案内
周囲は大和茶の産地
太安万侶墓所
奈良県の奈良市散策を続けています。高円山ドライブウェイの途中から世界遺産の春日山原始林を歩きました。最初は地獄谷石窟仏を見学、次はドライブウェイを横切り、首切地蔵、朝日観音、夕日観音、寝仏、春日山石窟仏などの名所を散策しました。
地獄谷新池
歴史ある石畳
二上山山頂 大津皇子の墓所
奈良県葛城市と大阪府太子町にまたがる二上山(にじょうざん)へ登りました。登山口の大竜寺を出発、祐泉寺の側を抜け苔むす遊歩道を辿り、馬の背へ到着。分岐を右折し、まずは雄岳へ。
山頂先に祀られた葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)へ参拝、その先の経塚を過ごし、少し坂を下ると天武天皇の皇子、大津皇子の墓所の前に出ます。この地は宮内庁の管理となっていました。
馬の背まで引き返し、次は雌岳山頂へ向かいます。山頂は公園化され、日時計が設置されていました。雌岳山頂から雄岳の山容を眺めて坂を下り、岩屋へ向かいました。岩屋手前には樹齢千年とも六百年とも言われる大杉が倒れていました。これは15年前の台風により、倒壊したそうです。
祐泉寺入口
苔むす遊歩道
水場
鞍部の馬の背
二上山 雄岳山頂
雌岳の日時計
岩屋杉
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
青森から帰った後、急に奈良へ行くことになり、仕事の合間に、古事記の編纂に関わった、稗田阿礼の祀られた賣太神社(めたじんじゃ、売太神社)へ参拝しました。
参拝翌日の8月16日には阿礼祭が催され、稗田の舞、阿礼さま音頭など、楽しいイベントが盛りだくさんでしたが、日程の都合上参加はできませんでした。
JR奈良駅
せんとくん
かたりべの碑
賣太神社
環濠集落(かんごうしゅうらく)
青森県野辺地町(のへじまち)の常夜燈公園では、現存する日本最古の常夜灯を見学することができます。この常夜灯は、野辺地港への夜間入港のため1827年(文政10年)に設置されたものです。
盛岡藩の日本海航路への窓口として賑わった野辺地港へ、夜間入港する船への目印として、旧暦3月10日から10月10日までの間、毎晩火が灯されていました。
青森散策の最後は浅虫温泉です。ぎりぎりの時間でしたが、無事浅虫温泉で汗を流すことができました。青森にはたくさんの温泉がありますので、次回はもう少しのんびり温泉に浸かりたいと思います。
常夜灯を遠望
常夜灯公園
この日は大勢の見学者がいました
有名な観光地かも知れませんね
浅虫温泉
大岩とかもめ
浅虫海岸の目の前にある「湯の島」
文旦は今年も豊作
2ヶ月間放置していた農園へ行きました。最悪の事態を想定していましたが、今年の小雨の影響で、まだ草刈りができる状態でした。みかんの木の植替え作業中なので、数年間は収量が少ないですね。草刈りが終わる頃に雷雨となりました。丁度良いお湿りです。
↓
草ぼうぼう
↓
みかんも少し
日本三霊場(他に高野山と比叡山)の恐山霊場へ参拝しました。まず三途の川に架かる太鼓橋を渡り、あの世に入ります。あの世の入口には奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)が待っていました。
恐山霊場へ入り、地蔵殿、奥の院に参拝し、慈覚大師堂から周囲に広がる風景を眺めます。更に進み、賽の河原を過ごすと、目の前には白い極楽浜、その先には宇曾利山湖が美しい湖面を見せていました。
昔は恐山にはイタコが居て、あの世に居る方の言葉を伝えていたそうですが、今は人出不足のせいか、セルフサービス。逢いたい人が近くに寄って来るようです。私も昨年亡くなった三人と無事会うことができました。
三人とも、とても楽しそうなので安心しました。ちょっとオカルトめいた出来事でした。やはり恐山では、この世のものとは思えない、出来事が起きるようです。
恐山入口
山門へ続く石畳
山門
本堂
地蔵殿
奥の院 不動明王
門の先に釜臥山
恐山のよもぎアイス
山賊むすびと山賊うどん
お盆にいろり山賊へ昼食を摂りに行きました。山賊むすびに山賊うどん、山賊焼きは鳥の足がそのまま出てきました。更に鮎の塩焼きと餃子を注文、遠来のお客様は大変喜ばれていました。
いろり山賊
山賊むすび
山賊うどん
山賊焼き
鮎の塩焼き
餃子
ごちそうさまでした
青森県青森市の三内丸山遺跡を見学しました。日本に縄文時代が確かにあったことが証明された遺跡です。4500年前の建物跡や土器等を見学することができました。
三内丸山遺跡入口
竪穴式住居跡
掘立柱建物跡
南盛土
大型掘立柱建物
大型竪穴住居
遺跡発掘現場
発掘現場で見つかった縄文時代の土器
展示物
ヒスイ製ペンダント
石製ペンダント
展示されている大型ねぷた
青森県弘前市内を散策しました。最初に訪れたのは津軽藩ねぷた村で、ここには大型ねぷたがたくさん展示されています。
国の重要無形民族文化財に指定されている弘前ねぷた祭り(8月1日~7日)の由来は、「坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に始めた」というおとぎ話や、「夏の睡魔を追い払うねむり流し(精霊流し)が始まり」という説や、「津軽藩祖為信が京都で豊臣秀吉に大灯籠を見せたのが始まり」などと、さまざまな説があるそうです。
津軽藩ねぷた村
ねぷたの形は、扇形が主流となっており、正面の絵は鏡絵と言われ、三国志・水滸伝などの勇壮な絵が描かれています。また、後面は見送り絵と言われ、対照的な愁いを含んだ美人画が描かれています。
ねぷたの内部を見学することができます
前提灯を先頭にして、ねぷたの引き綱に連なった子供たちを中心に老若男女が、笛や太鼓、鉦の哀愁を帯びた囃子に合わせて「ヤーヤドー」と掛け声をはりあげて城下町弘前を練り歩くとのことです。
ねぷたの数は、青森市や五所川原市が20台から30台なのに対して、弘前では今年81台が出陣しました。これはすごい数ですね。私は五所川原のねぶたと青森市のねぶたは見学しましたが、この弘前市のねぷたは日程の都合上、ねぷた館での見学のみでした。
嶽温泉の日帰り専用浴室
岩木山登山の後、近くの嶽温泉へ向かいました。温泉の案内には、「津軽にとって、偉大な父である秀峰岩木山の南麓に良質の湯が湧いてから約330年。
以来嶽温泉は岩木山の豊かな自然とともに、湯治場としてたくさんの人々に親しまれてきました。泉質は硫黄泉。神経痛、糖尿病、リュウマチ、婦人病、心臓病などに効果があります。」と書かれていました。
嶽温泉
山のホテルへ
階段を登り受付へ向かいます
浴場入口です
泉質は硫黄泉です
青森県の名所を散策中です。案内によれば、深浦町の千畳敷周辺は、寛政4年(1792)の地震で海底が隆起し、水面にあらわれたところで、かぶと岩、潮吹き岩などの奇岩怪岩が多くみられます。
その昔、領内巡視で立ち寄った弘前藩主は、ここに千畳の畳を敷いて、200間の幕を張り、風景を眺望したことから千畳敷と呼ばれるようになったそうです。その後も太宰治、大町桂月など多くの文化人らが訪れ、この景色を賞賛しています。
東大寺大仏殿で行われた万燈供養会と春日大社で行われた中元万燈楼の風景です。大勢の人出にはびっくりしましたが、大仏殿も春日大社も大勢の人出でごった返していました。
また、猿沢の池からは大文字の送り火を眺めることができました。奈良で過ごすお盆の風景は、懐かしい日本の原風景のようです。
吽形(うんぎょう)像
阿形(あぎょう)像
大仏殿の中央から大仏様のお顔を見ることができます
大仏様
白神岳に登った後、汗を流すためにみちのく温泉へ行きました。日本海に面した露天風呂からは、絶景の夕陽を眺めることができます。当日は、五所川原のねぶた祭り観賞のため、夕陽を見ることはできませんでしたが、快晴の空の下、美しい日本海が印象的でした。
休憩所から白神岳が見えます
快晴ですね
みちのく温泉へ
若がえりの湯です
露天風呂がたくさんあります
日本海に沈む夕陽が見えます
五能線が露天風呂の下を走っています