ほーしざきの散歩道

ゆっくり歩きの散歩道、山口県を中心とした中国地方の名所旧跡巡りを紹介しています。

国賀海岸 通天橋と摩天崖 隠岐は天国に一番近い島(島根県隠岐郡西ノ島町)

2008年06月23日 | 散歩道

摩天崖

 いよいよ西ノ島観光のハイライト、「とって隠岐」の国賀海岸へ到着。有名な通天橋を目の当たりにし、その美しさと雄大さに感激しました。実際に自分の目で見なければこのスケールは分からないでしょう。

 

通天橋

 通天橋を眺めながら草原を進み、国賀海岸を見下ろすと天上界と観音岩を眺める事が出来ます。ベンチの大きさが唯一大きさを比較するものさしです。国賀海岸は大山隠岐国立公園の特別保護地区及び国の名勝天然記念物にも指定されています。

 海岸脇の国賀神社には火野葦平氏の「隠岐島寄譚より」の引用で次のようにこの景色の事が書かれていました。

 三百メートルある摩天崖をはじめとする粗面玄武岩の断崖絶壁には亀島、烏帽子岩、佛岩、乙姫御殿、通天橋、鬼ヶ城などの名がついているがこの絶勝を筆舌で表現することは出来ない。

 頼山陽は耶馬渓を見て筆を投げたといふがその十倍もすばらしいこの國賀を見たら眼をまはすかもしれない

天上界 右の細く尖った岩が観音岩

 少し高度の上がった場所から眺める通天橋はとても鮮やかな色をしています。日本海の荒波に浸食されて出来た橋は、自然の作りだした芸術品です。

再び通天橋

 

摩天崖

 草原の端の展望所から眺める摩天崖です。海面からの高さは257m、あまりにスケールが大きすぎて、写真ではこの雄大さは伝わりませんね。実際にこの風景を目の当たりにすると、声が出なくなります。

 説明板によると、この雄大な絶壁は、島前(どうぜん)カルデラの外輪山を形成するアルカリ玄武岩の溶岩台地が、日本海の強い風波によって浸食されできたものだそうです。岩肌を見るとわかるように、溶岩流の間には火山灰や火山礫(れき)が積み重なって凝灰(ぎょうかい)岩となり、それが交互に積み重なっています。この凝灰岩部は柔らかいため特に激しく浸食を受け、このような絶壁となったようです。

子牛くんはお昼寝中

 広い草原の中を通り、摩天崖の山頂に向かって歩いて行きます。この草原は牛くんや馬くんのくつろぎの場所、みんなのんびりと休んでいます。こんな安心しきった姿を始めてみました。この場所にいると時間が止まっているような感じがします。

子牛くんを起こしてしまった

おやすみ中

 この西ノ島ウォーキングコースは、日本の代表的な観光地や景勝地、地域が誇る美しい自然、歴史遺産の中から「一生に一度は訪ねてみたい百カ所」、遊歩百選に選定されています。

摩天崖の山頂はもうすぐ

たぶん乙姫御殿・・・・だと思う

中国地方は朝から雨だというのに隠岐だけは晴れています

摩天崖の山頂 257m地点

 摩天崖の頂上に到着、周囲に広がる緑の平原はとても美しく、眼下には切り立った崖が見えています。切り立った崖下の海面には天上界・乙姫御殿が浮かんでおり、まるで天国に一番近い島にいるようです。

 のんびりと草の上で寝ころんでいる牛くんや馬くんを摩天崖の上から眺めていると、まさにこの場所は地上の楽園、まだまだ時計は止まったままのようです。

 頂上の説明板によると、隠岐島は180余りの島々からなる群島で、その海岸は断層と浸食によって我が国でも代表的な断崖美を見せており、296kmにも及ぶ海岸線の90%が岩石海岸、しかも80%が断崖です。特にこの「摩天崖」の高さはその名のごとく別格で、実に257mもあり、切り立った一枚岩状の断崖としては日本一だそうです。

摩天崖から眺める草原と乙姫御殿 遠くには赤尾展望所

 この場所で今秋(2008年11月22日)公開予定の映画「私は貝になりたい」の撮影が行われたそうです。

 主演はSMAPの中居正広さん、その妻役は2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」、テレビドラマ「トリック」や「ごくせん」で有名な仲間由紀恵さんです。摩天崖での場面は、夫婦が2人で生きていくことを決意する物語の回想部分とラストシーンに使われるそうです。

 映画の中では、もっと美しい摩天崖を見る事ができると思います。秋の映画の公開がとても楽しみです。

赤尾展望所の手前から眺める国賀海岸

  天上界・通天橋・摩天崖と美しい国賀海岸の散策を終了、止まっていた時間は再び動き始め、西ノ島を出発する時間が迫ってきました。今回訪れていなかったのは後醍醐天皇行在所址の黒木御所と黒木神社。急いで神社の手前まで行きましたが、ここでタイムアップ。もう船の出港する時間が迫っていました。

黒木神社入口

黒木神社の狛犬

  これで今回の隠岐旅行の行程は無事終了しました。隠岐には今回紹介した以外にも沢山の見どころが残っていますので、続きは次回のお楽しみとします。

 今回の旅行を計画するため西ノ島観光協会に連絡し、島前・島後に関するパンフレットを送付して頂きました。パンフレットにはカラーで見どころなどの説明があり、モデルコースや島の概略図なども記載されているのでとても参考になりました。西ノ島観光協会に申請すれば、資料を送付して貰えるので、隠岐観光を計画される場合には利用されたら良いと思います。

 同年9月に再度隠岐へ向かいました。その際に「隠岐観光旅行企画書」を作りましたので、参考になればと思います。

 

 

法師崎のやまある記の編集が終了しました

 

摩天崖の登山記をお楽しみ下さい

 

おわり

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焼火神社参拝と焼火山登山 由良比女神社とイカ寄せの浜(島根県隠岐郡西ノ島町)

2008年06月12日 | 散歩道

国指定重要有形文化財 焼火(たくひ)神社

焼火神社入口

 波止から舗装された焼火林道を進み、焼火神社入口に到着、レンタカーを駐車場に置き、板で作られた参道を進んで行きます。 

社務所横の大きな露岩

 大鳥居を抜け、社務所を過ごすと左右に立派な狛犬が立ち、更に美しい緑の中を進んで行きます。

 美しい緑を眺めながら進む

 焼火神社

 焼火神社は平安中期の創建といわれ、社殿は大岩窟の中からせり出すように建てられている。後鳥羽上皇が海で遭難しかけたとき神火を放って船を導いたという説があり、以来海上の守護神として崇敬されている。(隠岐観光協会資料より

 岩窟の中に包まれた社殿

 焼火神社を出発、焼火山に向かっていると足下に春の花を眺める事が出来ました。

  BSSのアンテナ先に焼火山の三角点を見つけました。但し、周囲に展望はなく、寂しい山頂でした。

焼火山山頂三角点

 

焼火山の展望所

 焼火山の山頂を確認したので一安心、次は展望所に向かいました。NHKのアンテナを過ごし、進んで行くと尾根の端に設置された木製の展望所に到着、周囲に広がる展望をゆっくり観賞する事が出来ました。

展望所から西方面の展望

展望所から焼火山の山頂を眺める 山頂は中央の鉄塔左の電柱下

 焼火林道を下りて今度は由良比女神社に向かいました。鳥居が海中に立つイカ寄せの浜は、イカの大群が押し寄せる事で有名です。

イカ寄せの浜

 最近では平成4年にイカの大群が押し寄せたそうで、神社にはその時の写真が掲示されていました。この神社、昔はするめ大明神と呼ばれていたそうです。

 

 するめ大明神と呼ばれていた由良比女神社

 

法師崎のやまある記の編集が終了しました

 

詳細な登山記はHPでお楽しみ下さい

 

つづく

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隠岐の島町の玉若酢命神社と八百杉、レインボー号に乗り西ノ島町へ移動 島根県隠岐郡

2008年06月11日 | 散歩道

玉若酢命神社の八百杉

 隠岐国分寺散策の次は玉若酢命(たまわかすみこと)神社へ。国指定の重要文化財随神門(造営1852年)を潜ると樹齢千数百年と言われる八百杉(やおすぎ)が右手に現れます。13年前にその大きさに感動した八百杉は更に大きくなったような印象を受けました。

国指定重要文化財 随神門

 昔、若狭(福井県)の国から渡ってきた八百比丘尼(やおびくに)は、この社にお参りし、記念に杉を植え、八百年後に再び訪れることを約束したので八百杉と呼ばれるようになったそうです。

 また、この杉の木に耳を当てて心を静めると寝ている間に閉じこめられた大蛇のいびきが聞こえるそうです。

八百杉

 八百杉の横を抜け、いよいよ玉若酢命神社に参拝し沢山のお願いをしました。

 

寛政5年(1793年)創建の本殿

高速船レインボー号

 おき西郷港を出発、高速船レインボー号に乗り別府港を目指します。途中で、海士町(中ノ島)の菱浦港に寄り、無事西ノ島町の別府港に到着しました。

 海を挟んだ海士町の家督山

おき別府港に到着

 

本日の宿泊先 国賀荘  

部屋から眺める風景

 本日の宿泊先に到着、通された部屋は海を見晴らす展望の部屋でした。東方面には焼火山手前に美しい山が見えています。静かな湾内を部屋から眺めながら休憩しました。

豪華夕食

 さあ、楽しみにしていた夕食タイム。豪華夕食にびっくり、とても食べきれるものではありません。カニに岩ガキ、刺身等々・・・・幸せです。

  美味しかった岩ガキ、とても一口では食べられない大きさでした

 

 つづく

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大満寺山登山と隠岐国分寺を訪ねて(島根県隠岐の島町)

2008年06月09日 | やまある記速報

大満寺山山頂の記念碑

 隠岐の旅が始まりました。港にてレンタカーを借りて向かった先は隠岐最高峰(607.7m)の大満寺山です。整備された大満寺への参道を登って行くと荒れた大満寺へ到着、境内の草原は綺麗に刈り払われていました。

大満寺

 

ムシカリ

 大満寺の境内を過ぎ、登山道を進むと隠岐最高峰の大満寺山山頂に到着、山頂からは西郷港方面の展望が広がり、目の前では鳶が輪を描いていました。

 

大満寺山山頂

大満寺山から眺める西郷港

西郷港にはフェリーが停泊している 

隠岐国分寺

  大満寺山の次は隠岐国分寺跡です。昨年(平成19年)2月25日午後3時30分、本堂が突然出火炎上し貴重な建物はもちろん、平安時代より受け継がれてきた、国指定重要無形民族文化財「蓮華会舞」に供する拝観展示品等の全てが焼失したそうです。

 5月にNHKで放映された蓮華会舞復興のドキュメンタリー番組を見て感動、この場所には隠岐に着いたら必ず訪れようと思っていました。

 たった一人で蓮華会舞のお面を全て彫った蓮華会舞保存会の会長、そして復活奉納公演まで残り1週間で無くなった会長の遺志を受け継ぐ若者、感動の舞台を思い出しながら本堂跡に立っていました。

 蓮華会舞とは、平安時代に隠岐に伝来した宮廷舞楽の流れをくむ古典芸能で、日本の宗教芸能の原型と言われ、1977年5月に国の重要無形民俗文化財に指定されました。(隠岐観光協会発行のガイドブックより)

 

焼失した本堂跡は隠岐国分寺再建の地となっている 

 隠岐国分寺再建の地の後に向かうと後醍醐天皇行在所阯を見ることができます。説明板には、「天平年間聖武天皇の詔勅により建立せらる 元弘二年四月ご到着より三年閏二月御還幸に至るまで凡一ヶ年後醍醐天皇の行在所にして其の間 護良親王とも連絡せられて中興の偉業を畫し給ひたる處なり」と書かれています。このような歴史遺産を見ていると、過去の出来事は確実に現在まで繋がっている事を実感することができます。

 

 後醍醐天皇行在所跡

 

法師崎のやまある記の編集が終了しました

 

詳細な登山記はHPでお楽しみ下さい

 

つづく

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隠岐の島 七類港から島後の西郷港へ(島根県 隠岐の島町)

2008年06月06日 | 散歩道

島根県の七類港を出港、隠岐の島へ向かう

 七類港より「フェリーおき」に乗り込み隠岐の島へ向かいます。隠岐汽船のフェリーは大きくて快適な船旅をすることが出来ました。

フェリーおき

 七類港を出るとすぐにリアス式海岸が広がります。日本海の荒波を受けて浸食された岩肌がとても綺麗でした。

浸食された岩

 日本海に出ると遠く伯耆大山は霞んでいました。空気の澄んだ日には大山が遠くに見えるはずです。

 フェリーが出港しても客室には入らず、ずーっと甲板から海を眺めていました。

甲板から見える風景

 いよいよ隠岐の島、島後の陸地が見えてきました。最初は陸地しか見えなかったのですが、手前の岩場を注意してみると・・・なんと・・・こんな所にも釣り人が。隠岐では磯釣りが常識みたいです。

 

 最初からスケールの大きさにびっくり、切り立った崖は写真では低く見えますが、標高117mです。

 港に入ると遠くに隠岐最高峰の大満寺山が見えてきました。

 まもなく隠岐の島町の西郷港に入港、左手には赤い西郷大橋も見えています。丁度13年ぶりの隠岐の島へいよいよ上陸です。。

隠岐最高峰の大満寺山

 

おき西郷港に入港

 

つづく

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