清洲城模擬天守
織田信長の居城だった清洲城を訪ねました。現在は五条川側に真新しい模擬天守が建ち、青空の下に映えていました。
城跡には織田信長と濃姫の像が置かれ、城跡への入口に置かれた石垣が、当時の面影を残しているようです。
清洲城碑
信長塀のレプリカ
朱の橋を渡り城跡へ
清洲古城址碑
石垣が残っていました
信長像
濃姫
お濃さんと記念撮影
お城が青空に映えてきれいでした
清洲城模擬天守
織田信長の居城だった清洲城を訪ねました。現在は五条川側に真新しい模擬天守が建ち、青空の下に映えていました。
城跡には織田信長と濃姫の像が置かれ、城跡への入口に置かれた石垣が、当時の面影を残しているようです。
清洲城碑
信長塀のレプリカ
朱の橋を渡り城跡へ
清洲古城址碑
石垣が残っていました
信長像
濃姫
お濃さんと記念撮影
お城が青空に映えてきれいでした
小牧山山頂に建つ小牧城(小牧市歴史館)
小牧・長久手の戦いの舞台の小牧山へ登りました。標高86mの山頂にはお城のような小牧市歴史館が建ち、最上階からは周囲360度の展望が広がっています。
かつては織田信長の居城でしたが、その後の豊臣秀吉と徳川家康の小牧・長久手の戦いでは、家康がこの城に本陣を置きました。
小牧山案内
木漏れ日がきれいです
山頂の歴史館へ向かいます
広い遊歩道が続きます
小牧市の木タブノキです
タブノキの先で右の階段へ入ります
石垣の裏込石が置かれていました
階段の右の石は石垣です
山頂には歴史館が建っています
歴史館から周囲360度の展望が広がります
尾張徳川家19代徳川義親氏像
転落石
昔の石垣
長久手古戦場碑
豊臣秀吉と徳川家康の直接対決、長久手の戦いの激戦地、仏ヶ根の古戦場跡を訪問しました。
両軍の戦況が小牧付近で膠着状態となったとき、秀吉側の武将池田恒興が岡崎へ兵を出し、奇襲攻撃をかければ家康も小牧山から動くだろうと秀吉へ献策し、恒興は森長可、堀秀政、羽柴秀次らと共に進軍しました。
ところが、この情報を事前につかんでいた徳川軍は家康自らが出陣し、逆に池田軍の不意を突き、この戦いに勝利しました。公園内には池田恒興の戦地の地に勝入塚、池田之助戦地の地には庄九郎塚が置かれていました。
古戦場公園入口
公園内
勝入塚
秀吉側の武将池田恒興戦死の地
庄九郎塚
池田之助戦死の地
七里の渡し船着場跡
江戸時代、東海道の宿駅であった熱田は「宮」とも呼ばれ、桑名までの海路「七里の渡し」の船着場としても栄えていました。
案内によれば、寛永2年(1625)に建てられた常夜灯は航行する船の貴重な目標となっていましたが戦災で焼失し、その後昭和58年に復元されて往事の名残をとどめています。
歌川広重による「東海道五十三次」の中にも、宮の宿船着場風景が描かれており、当時の船の発着の様子を知ることができます。
宮の渡し公園
歌川広重 東海道五十三次の宮
熱田湊常夜灯
草薙剣の祀られた熱田神宮
熱田区の熱田神宮へ参拝しました。永禄3年(1560)織田信長は桶狭間の戦いに臨み、まず熱田神宮へ参拝し戦勝を祈願。見事今川義元を倒し勝利しました。この戦いには大宮司千秋李忠も参戦しています。
境内の信長塀はそのお礼として寄進されたものです。案内によれば、戦国期の混乱で社殿の荒廃が進んだものの、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑により、神社の基礎が確立したそうです。
大鳥居を潜ります
大楠
熱田神宮へ参拝
信長の奉納した信長塀
八百萬神社
駿公墓碣(すんこうぼけつ)
豊明市の桶狭間古戦場伝説地から桶狭間古戦場公園へ移動しました。案内によれば、この付近一帯が歴史に名高い「桶狭間の戦い」が行われたところで、この地は田楽坪と呼ばれ、今川義元公の最期の地でもあるそうです。
織田信長は熱田神宮で必勝を祈願し、雷雨の中を今川義元本陣近くの釜ヶ谷に進み、雨が止むや間髪を入れず今川軍へ突撃、ついに今川義元を討ち取りました。
桶狭間古戦場公園
桶狭間古戦場田楽坪碑
桶狭間古戦場公園
今川義元墓所
義元首洗いの泉
織田信長と今川義元像
桶狭間古戦場伝説地に祀られた今川義元の墓所
日本三大奇襲に数えられる桶狭間の戦いの地を訪問しました。2.5万もの軍勢を率いた駿河の今川義元を尾張の織田信長がわずかな軍勢でその本陣を襲い、今川義元を討ち取り今川軍を退却させた場所です。ここには今川義元の墓所が祀られていました。
桶狭間古戦場碑
公園化された古戦場跡
七石表(一号碑)
今川義元の戦死した場所を示す最も古いもの
弔古碑
今川治部大輔義元の墓
足助次郎重範の飯盛城跡
後醍醐天皇の笠置山の戦いの総大将、足助次郎重範の居城飯盛山へ向かいました。足助氏の居館跡に建立された香積寺へ参拝し、途中に足助一族の墓所にお参りしました。
更に進むと豊栄稲荷が祀られています。この稲成は香積寺の鎮守で、古くは足助重範が鎮護神として祀った由緒ある稲荷です。飯盛山の山頂には大岩が横たわっており、奥には東屋も置かれていました。
足助城から眺める飯盛山
香積寺へ
山門
香積寺本堂
僧堂
飯盛山への案内
参道へ向かいます
足助一族の墓所
豊栄稲成神社
更に登ります
山頂への案内
岩の残る山頂
足助氏城跡と彫られています
足助神社へ参拝
足助神社は、元弘の変(元弘元年・1331)に後醍醐天皇に味方し、京都笠置山の戦いにおいて籠城軍3千人の総大将となった、足助次郎重範公が祀られています。
重範公は当地飯森山城を本城とした足助氏の総領で、弓の名手として名高く、笠置山で強弓をもって奮戦する様子が太平記に書かれています。落城の際に捕らわれて、翌年京都六条河原で斬首されましたが、明治天皇より贈位もあり、足助神社として祀られるようになりました。
足助神社鳥居
足助神社拝殿
奥に置かれているのは
忠臣足助氏碑
織田信長戦地本陣跡の茶臼山
織田信長、徳川家康連合軍と武田勝頼が戦った長篠設楽原の合戦場を訪ね、織田信長戦地本陣跡へ着きました。
信長自らこの茶臼山へ進撃し、本陣を置いて指揮を執り、有名な鉄砲の三段打ちにより武田軍に勝利しました。この地には織田信長の歌碑「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」が置かれていました。
茶臼山への道
稲成神社鳥居
手水鉢
茶臼山稲成神社
信長公 歌碑
眼下には新東名高速道路の長篠設楽原PA
説明板
日本百名城の長篠城跡
長篠の戦い(長篠設楽原の戦い)の前に起きた長篠城攻防戦の舞台、長篠城跡を訪ねました。武田勝頼軍は1万人以上の軍勢でわずか500人程度で守る奥平貞昌の長篠城を攻撃しました。
そこで家臣の鳥居強右衛門が密使として徳川家康へ援軍を要請、強右衛門は長篠城へ戻る途中、武田軍に捕まりました。武田軍は強右衛門を磔(はりつけ)にし、城内の味方へ「援軍が来ない」と伝えれば命を助ける約束しました。
強右衛門はこれを承諾し、城に向かって大きな声で「援軍がくるのでもう少し持ちこたえよ」と叫びました。その場で強右衛門は突き殺されましたが、城内の士気は上がり城を守り通しました。この戦いの次が織田・徳川連合と武田軍の長篠設楽原の戦いです。
城跡入口
本丸跡
烈士鳥居強右衛門の説明板
対岸には武田軍の砦
城跡の側には飯田線
長篠城址碑
久邇宮良子女王お手植えの松
建物の中は史跡保存館です
三方原古戦場碑
戦国時代の古戦場を辿るため、最初に訪れたのが三方原古戦場跡です。元亀3年(1572)甲斐の武田信玄は25000の軍勢を率いて浜松城の北に広がる三方原へ進出してきました。その時徳川家康は、11000の軍勢を率いて信玄と戦いましたが、武田軍に惨敗、総崩れとなって浜松城に退却しました。この戦いで家康は多くの教訓を得たそうです。
説明板
このあたりは戦いの中心地だったのでしょう
品種はヒノヒカリ
光市で2017年最後の稲刈りです。最初にハエヌキ、次にイセヒカリ、最後がヒノヒカリ。品種によって刈り取り時期が変わりますね。雨の合間を縫っての稲刈りで、この日以降雨が続きました。
クボタコンバインE215登場
広い田んぼから始めます
この足下はぬかるんでいました
こんな所は手刈りです
コンバインは快調に進みます
ぬかるむ田んぼも大丈夫です
日差しが戻ると暑いほどです
間もなく終了ですね
モミをコンテナへ移動
モミがコンテナたまって行きます
モミは少し離れた精米所へ運びます
コンテナから精米器へ送ります
こちらは終了しました
棚田へ移動です
狭いので往復しながら稲刈りです
棚田の一つ目終了
場所移動して次の棚田です
もう陽が陰ってきました
次の棚田へ移動です
こちらも間もなく終了ですね
いよいよ最後の棚田です
コンバインは快調ですね
最後の一条です
このLEDが今年の目玉でした
昨年稲刈りの最後が暗くなったので夜間仕様です
榛名富士山頂の富士山神社
2017年夏の遠征の最後は榛名富士です。この山はどの方向から眺めても美しいですね。登山道は自然そのままで、あまり人の手が入っていませんでした。
ロープウエイが山頂付近まで運行されているので、簡単に素晴らしい展望を眺めることができますね。山頂の富士山神社付近からは赤城山を眺めることができました。空気が澄んでいれば、もっと遠くまで見晴らすことができるようです。
硯岩から眺める榛名富士
榛名湖の反対側から眺める榛名富士
登山口から眺める榛名富士
馬で散歩
いよいよ登山開始です
登山道には自然が残ってます
左右に笹が
木漏れ日が気持ちよいですね
40分でロープウエイ山頂駅へ
山頂駅です
登山の格好は似合わないですね
大鳥居を潜ります
山頂には富士山神社が祀られていました
三角点もありました
赤城山が見えています
山頂駅からの展望です
ロープウエイが運行されています
榛名湖がきれいですね
掃部ヶ岳山頂
昨年は赤城山、昨日は妙義山そして今日は上毛三山の最後の榛名山です。最初に登ったのは最高峰の掃部ヶ岳です。山頂からは昨日登った妙義山が見えました。硯岩からは正面に榛名富士がきれいですね。
榛名湖越しに掃部ヶ岳
登山口は吾妻荘前
榛名湖荘の案内から登山開始です
案内が続きます
硯岩の分岐
途中で榛名湖が見えてきます
足下に岩の目立つ山頂でした
妙義山が見えています
こちらは硯岩
榛名富士が正面に見えます