いつもココロに太陽を!

~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

行きの機内で見たのは主演男優賞

2015-03-14 | 映画
エディ・レッドメインがアカデミー賞主演男優賞を獲って間もないこの時期に、映画館まで行かなくても観られるなら、多少眠くても頑張って観ちゃおう!

選んだのは≪博士と彼女のセオリー≫です。

ホントは最初、マイケル・キートン主演の≪バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)≫をセットしたんだけど、5分もしないで寝落ちちゃって…
シニカルで難しい会話の応酬のこの映画は、たぶんワタシの頭では処理しきれないってことだなとキャンセル。
(私が観た5分間でのワタシの評価です)



物理学を学ぶホーキング博士の病気との闘い。そしてその家族の物語。
この映画の予告はなんとなく見ていたんだけど、主演:エディ・レッドメイン と言われても、オリラジの藤森くんみたいな人だなーとしか思わず、ピンとも来なかったんだよね。

彼が「レ・ミゼラブル」でワタシを虜にしたマリウス役の彼であったとは!



エディ・レッドメイン…
そうだそうだ、そんな名前だった
マリウスのあと、彼が気になってその名前をネットで検索してもモデル時代の画像くらいしか出てこなかったのに、この映画のあとはすごいことに、出てくる出てくる。
(今回知ったのだけど、彼はイートン校でのウィリアム王子のご学友で、立ち振る舞いの気品は育ちから来るものなんだって~

あの彼が主演だったのかーと知ってアカデミー賞を見ていたら、なんと主演男優賞を獲っちゃった
どんな演技が評価されたのかなぁと観てみたら、やっぱりそのなり切りっぷりに圧倒されましたよ。

21歳で難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しながらも天才物理学者として多くの人々から愛されているスティーヴン・ホーキング博士の半生を、その進みゆく病気をエディ・レッドメインが全身筋肉痛になりながら演じるの。
ジャンルで言うと、ラブ・ストーリーになるみたい。
彼が、愛する女性の献身的な支えを得て、数々の困難に立ち向かっていくんだね。

大学時代の出会いから発病、結婚まではかなりさらっと描かれていて、展開の早い物語でした。



周囲の反対を押し切って「彼と一緒にいたい」と結婚を選んだ女性ジェーン。
聡明な、意志の強い彼女はどんなときも献身的に彼を支えます。



四肢がだんだん不自由になり車椅子生活を強いられるようになると、生まれた子供たちが自由に遊ぶことができず、抑圧を感じるようになり、夫婦は介護を頼むことにします。
家庭の中に家族以外の人がいる生活…
介護士とスティーヴンとジェーンの、友情とも危険ともいえる関係。

ワタシはここら辺、かなりハラハラ見てしまいました



このスティーヴンの表情が、目の奥が、何を考えているのか。
満足なの?不満足なの?
あぁ、不安不安。

そしてその後の夫婦の形にも、とても納得がいくし、納得がいかない。
介護の生活に疲れた妻だとしても、新しい女性介護士の献身的な態度には、ジェラシーにも似た気持ちを抱くのもよくわかる。
スティーヴンと女性介護士が楽しく会話をすれば「良かった」と思いつつ心の中では複雑になるのも、わかるよなぁ。
(この女性介護士のまなざしの温かさ

結局、夫婦の問題は当事者じゃないワタシには語れないし、簡単に「良い」「悪い」で言えるものではないよね。

もうねー、なにしろ根底がずっと切ない…そんな映画でした。

スティーヴンの頭の中は天地創造、宇宙の始まり…女王様から勲章をいただくほどに素晴らしい理論を解き明かしたホーキング博士の周りには、温かい人がいっぱい。
愛があり、希望があり、情熱があり。
でも…未来だけがいつ終わるのか見えない。

切なくも温かい挑戦の物語。

願わくは吹き替えじゃなく観たかったなぁ。
エディの弱りゆく声はどのように表現したのかしら?
身体の表現は完璧。
全身硬直しながら、痛みと闘ったのがよくわかる。
指先の1本、口のゆがみ、どれをとってもこの病気の特徴を表していたように思います。

今度、本人の声でもう一度観てみよう。
涙腺ジュクジュクで機内で観た映画でした。

映画:The HAUMANA (たぶんネタバレ)

2014-08-30 | 映画
もう2週間前になるけれど、フラの映画を観てきたのでここに記しておきます。
これからご覧になる方は、若干のネタバレを避けられませんので自己責任でお読みください。

ずっと観たいと思っていたこの映画。
ネット上に「観た~」という人はちらほらいたものの、どう検索しても上映館に当たらず、手段がみつからぬまま1年…
この夏にやっと観ることができました。
映画の公式ホームページがフェイスブックだそうで、FBをしていない私は見つけられなかったようです。
これからは、こういうことも気をつけないといけないのねー。

早くから配信されていたポスターのイメージからいうと、荘厳なフラのイメージ…
古代からの大地のリズム…
カネ(男性)ダンサーの葛藤と成長…

監督さんが私のハラウのツリー(同系譜)出身のダンサーであり、総合監修が尊敬するロバート・カジメロさんときたら、期待値はいやおうなく高まっておりました。
ロバートの(作る)フラを堪能できるだけでも幸せであり、そこにハラウを継ぐということの葛藤や学びをのぞき見できるのだからすごい映画だよね!と。

予備情報はそこまでしかなく、私はてっきりハラウを継いでクムになっていくための『クム(師匠)vsアラカイ(弟子)』の修行(ウニキ)の映画だと思っていたの。
そしたら…ちょっと当てが外れちゃったんだよねぇ(笑)


『HAUAMA(⁻)NA』とは「生徒」のことで、MAのAの上に(⁻)カハコーがつくことで複数形に変わるから「生徒たち」という意味になります。
師匠と弟子の1対1のドラマと勝手に思っていた私だったので、この複数形が当てが外れたってこと。
つまり映画は、たくさんの生徒たちの日常を描いていたんです。

わずか1時間半の尺の中でフラを踊るダンサー(生徒たち)の葛藤を描くには、どれも内容がすべて薄くなってしまうのね。
さらに、ハラウを継ぐことになった主人公の葛藤も描くわけだもん。

映画が始まってすぐに肝心のクム(私の大クムをイメージしたような女性)が亡くなってしまった時に心の中で「えぇ~死んじゃうのぉ?」と叫びました。
まさかクムのサポートなき後の主人公の葛藤を観ることになるとは…

勝手にではあるけれど、クムとともにフラを学んでいく主人公の姿を観たかったので、クム亡き後にひとり文献を調べたり(しかもその資料の中身は画面には出てこない)、イプをたたく練習を(独学で)する様子を観ることになるとはちょっと期待外れでした。
まぁ確かに、すべての弟子がクムの生存中にハラウの後継を任されるのではないことは理解できるし、実際にクム亡き後に独学でハラウを興した人もいるのでそこを否定するものではないのだけれど、それにしてももっと『学び』のシーンを観たかったんだなぁ。

ハワイでは当たり前だと思っていたフラ文化も実際にはまだ偏見があるらしく、カネダンサーであることで「ゲイ」認定されたり(実際に多いけど(笑))、クリスチャンの親からしたら息子が「フラ教」に見えることは脅威だったりと、家族間の対立も描かれます。
私のオットもカネダンサーだけど、最初にスポーツクラブで『女の中に男が一人』でフラレッスンを受講していた時には、お風呂場で回りのおじさんから変な目で見られたと言っておりました(笑)。

ハワイがこの不景気JAPANにおいてなお不動の人気なのは、フラ人気がその根底を支えているのは否めない事実だし、たくさんのハワイの人がその『観光大国ハワイ』の恩恵を受けているはずなのに、ハワイの中にフラに対する偏見はまだあるんだねー。
監督さんがこの映画を描きたかった理由の一つに、彼が仕事をするNY(ブロードウェイ)の仲間たちに小さな島国(ハワイ)の文化を伝えたかった というのがあったそうです。
まぁ、アメリカからしたらハワイなんて石垣島くらいのものだもんねぇ。

そんなわけで、主人公以外の生徒たちの問題も描きつつ、主人公のハラウ継承を描いていくとなると、いくら『成長物語』とはいえ、フォーカスが散漫になってしまった感がありました

  



上映後に監督のケオさんが壇上で質疑応答に応じてくれました。
この規模の映画だとメディアプレスもなかなかないし、監督さんとしてはお話ししたいことがたくさんあるじゃない?
だから、私たちの質問に「Good Question!」と嬉しそうにたくさん回答してくれましたよ。

まず、この映画を見せたかったのは、日本に向けてですか?アメリカに向けてですか?の問いには、さっきのように答えました。
フラの真実を描きたかったと。偏見をなくしたかったと。

長いことハラウを離れていた男性に、クムが後継者を指名することは実際にあるのですか?の問いには、少し考えてからこう答えました。
私たちの世界ではクムの言うことは絶対であり、そこに何かの疑問をはさんだり質問することはない。
だから…この映画でクムが彼を指名したことは、それがクムの思うハラウの進むべき未来なんだろうと。

少し困ったような回答でしたが、そうとしか言えないってことみたい。

でも、私も質問者の質問の意図がわかったよ。
入室のオリも唱えられないほど小さい頃にフラをしていただけの人に実際に後継者をさせることがあるのですか?とね。
まぁ、そうとしか言えないってことなんだね。
正直そう質問したくなるほど、主人公が薄く、映画を観終わってもそこまでの成長が見えないというか…成長はこれからの彼を見てね。ってところで映画が終わっているので、モヤモヤが残るんだよね。
彼がNextクムになるのを認めていないわけじゃないのよ。
でも、もう少し突き詰めて描いてほしかったのはそこなんだよねー。

私も手を上げて質問してみたの。
映画のロケーションはどちらですか?オアフ以外の島にも行かれたのですか?特にレイにするシダ(パラパライ)の採集にはどちらの森を使われたのか教えてください。と。
お答えはこうでした。
撮影は全編オアフのみで行いました。オアフにはなかなパラパライのブッシュがなく、しかも撮影許可がおりる森となると限定されていて、パラパライは友人の庭から調達し、限りある植物を大切に使いました、と。
パラパライの撮影シーンにはヌウアヌの森を使ったそうで、霧のかかったその森は私が普段観光で行く森よりは深く感じたけれど、それでも肝心のパラパライブッシュが一瞬も映らず、次のシーンではもう手にパラパライを持っているのが気になりました。(しかもだいぶ若いパラパライでね

私はハワイ島の森で実際にパライ採集をしたことがあって、せっかくならパラパライブッシュがどういった形状で群生しているかとか、どうやってレイに編むのか等の手元を会場にいた観客は見たかったんじゃないかなーと考えたの。
うーん…つまりは
How to make a lei.
How to pick a flower.
How to beat the drum.
How to do tha Hula.
を描いているのとは違うんですかねー、今回は

カヒコ(古典フラ)の選曲はどのようになさりましたか?なぜあそこであの曲を選ばれたのですか?と突っ込んだ質問をされた方もいました。
監督さんの答えは、選曲と振り付け、それはすべて自分のクムであるロバートがしたので、それがクムの思いだったんだと思います。
また女性ハラウのシーンはメリアのハラウが担当してくれました。とも。

最後に監督さんは「これからもフラの映画を作っていきたい」と言われました。
ぜひ!ぜひ!そうしてください。
正直今回の映画だけでは私の感想はあまり満足と行かず、もっとフラの奥にある神髄のようなものを見せてください、教えてください、といった感じです。

結局のところ、フラの神髄は自分のクムから教われ…と言われればハイそれまでーズコーッなのはわかりますが、あれだけ会場にいらしていたフラ関係者(ほとんどの観客が全員ロングヘアーってなかなかないよ(笑))が期するかゆいところに手が届いていなかったのが今回の作品じゃないかと思います。

フラのコンペティション内部を描くのであればもっとスポ根に描いていいと思うし(マライヤの旦那さんニック・キャノンが主演した『ドラムライン』なんて、大学マーチングバンドを素晴らしい映画に描いているわぁ)、クムの手から作り出される魔法の植物たちを見せてもほしいし(私のクムも魔法のようにレイを作っちゃう)、フラという題材自体がどうせニッチなんだから、そういう突きつめた次作を期待したいと思いました。
逆にもっと深くフラを取り下げれば、何かのきっかけでマイナーからメジャーへと認められることもあるかもしれないもんね。

なーどと、生意気を書きました。
私の敬愛してやまないロバートに楯突いたのは(笑)初めてかもしれません。
でも、がっかりしちゃったんだもーん

今でもオットの携帯には≪次回は仙台で上映≫といったお知らせが来るそうです。

オアフの景色は見ていて楽しかったけど、この表面的な内容ではもう一度観たいとは思えないなぁ。
けど、1回も観なかったらきっとそれはそれで絶対後悔したと思うの。
だから観たことは全然後悔していません。
料金が高かったのは後悔だーけーどー


最後に…
自分の腰を波だと思え」とはいい教えでしたね。
ロバートさんの言葉なのかな?
波のように…止まることなく寄せては返す…それが私の目指すべきフラです。
やっぱり波に例えていいんだーと、悩んでいたモヤが晴れたような気がしました。
ともするとkaweluの時に、helaの時に腰が止まっちゃうみんなに伝えよう!

HULA is Life.
これは私の大クムが遺した言葉
フラは人生そのもの。
ロバートの中にも、監督ケオさんの中にも同じように刻まれている言葉なんだと実感できました

『大脱出』 観ました!

2014-01-18 | 映画
まー、珍しいこともあるもんだ。
なかなか映画を観に行かない我が家ですが、
オットの遅いお正月休みで横浜へお買い物に行った帰り、「映画でも観る?」と誘うので
『レ・ミゼラブル』以降、約9ヶ月ぶりに映画館へ行きました。

《家族どちらかover50》には数年前になっていたのに、初めて使って1人1000円で観ましたー
(レミゼの時は《誰でも1000円Day》だったので)
《家族どちらかover50》をお友達から教わるまで知らなかったという…

その数日前の1月5日の実家の帰りにも映画でも観るかと映画館へ行ったのだけど、
残念ながら観たいお正月映画がひとつもなかったの!
ひとつぐらいあってもよさそうなもんなのに、最近のラインナップってこんなもんなの?
強いて言うなら『永遠のゼロ』なら観てもよかったのだけど、160分ってとこにブルッてやめちゃった。
あとは全然、観たいのがなかったんだよね~

昔はお父さんと寅さんをよく観に行ったなぁ…

で、冒頭の「珍しいこともあるもんだ」ですが、
封切り翌日に観るなんて、そんなことが初めてで。

いつも、「これ観たいねー」と言いつつ行かず、
「じゃ、いつか借りようねー」と言って借りもしないという…

オットが誘う映画はスタローンとシュワちゃんの話題の共演作『大脱出』。

話題の…とかカッコいいこと書いてるけど、実はどんな内容かも全然知らなくて、
どこから脱出する物語なのかも、ワタシは予備知識が全くなしのまま行ったの。

物語が始まって、待てど暮らせどシュワちゃんが出てこなくて
「あれ?これ、2人の共演じゃないんだっけ?」とまで思ったほど。

筋肉増強剤を打ちまくったスタローンの身体は血管の浮きまくったしわしわで
そんなことにばかり目が行ってしまう…

お!
シュワちゃん、出てきた!
なるほどー、こういうお話か~!

  

2人が脱出を試みる刑務所は、海の上に浮かぶ刑務所なの。
超ハイテクで人権無視のスケルトン状態のお部屋。
自分の上にも下にもスケルトンで囚人がいるんだよ。
よくある脱獄事件のような、壁をカリカリ削ったり、窓のネジをお味噌汁吹きかけて錆させたりというようなことはできない。
だって、壁もスケスケガラスなら窓枠も地下道もない丸ばれしちゃう環境なんだもーん。

でも、その要塞の美しいこと♪
想像もつかない構造で組み立てられた収監部屋は、人権は無視だけども(笑)荘厳ですらあったわ。

あと面白かったのは、看守役が全員黒いラバーマスクをして表情が見えないんだ。
表情が見えないってことはその看守が誰だか特定もできないわけで、
特定できないと情も通わないし、こっちの味方につけにくいのね。

そんな完璧な環境の中、2人が知恵を絞ってどうにか脱獄する方法を見出すわけ。
アルカトラス島といい、脱獄ストーリーは化かし合い、知恵比べが愉しいねー。

主に、アクション担当はやっぱりスタローン。
けど、さすがに上半身裸にはもうならないんだね。
シュワちゃんも殴り合いぐらいはするけど、走ってもスタローンより身体も重そうだし、
今回はインテリっていう位置づけでした。

まぁ、それでもよく頑張ってたわ、2人のお歳にしては。

なぜ刑務所に入ったかやどうやって抜け出すかは、これから観る人に申し訳ないから言わない。
もう絶体絶命ー!って何度も思ってハラハラもしたし、最後はすっきりもした!

ライバル役の刑務所長がモックン似のイケメンさんで、
一応 敵役なんだけど、カッコいいなーと観ていました。

ジェームス(ジム)・ガヴィーゼルさん

この方はオットいわく、アメリカのテレビドラマでいいもん役で人気の人らしい。

やっぱりモックンは早くハリウッドに行ってほしいなー。
ワタシ、モックンの美しさは世界に通用すると思うのよね~。

さて、話題の2人が共演!
今まではお互いよく思っていなかったと共演が決まった時告白していたね。
映画界においては望むと望まざるとに限らずライバルの位置づけだったもんね。
回りがピリピリすると、本人たちも自然と嫌い合いになるんだよね。
芸能界にはよくある話だわ。
でも、歳が解決してくれるんだよね~。

やっとタッグを組んだ夢の共演だけど、こんな日が来るんだねーって嬉しかったよ。

大脱出(原題:Escape Plan)

おばあちゃんの家

2006-11-03 | 映画
ずっと観たかった映画。
韓国映画の「おばあちゃんの家」。
なんとも温かい映画だった。

少年サンウ(推定8歳)は母親の職探しの間の2ヶ月間、
山奥のド田舎にある実家のおばあちゃんの家に預けられてしまう。
この少年は「悲しき恋歌」でクォン・サンウの少年時代を演じた子だよね?

このおばあちゃんちが確かに強烈!
わらぶきの今にも壊れそうな家、畳も変色し、家の中には虫もたくさん同居している。
トイレはもちろん外!
私の母方の田舎がそうだったため、私の幼少期の記憶もいやがおうにも蘇る。

サンウは、腰の90度に曲がった口のきけないおばあちゃんに、一切心を開かず、
持参したゲームボーイで黙々と遊ぶ。
食事を出されても、おばあちゃんの作ったおかずには手をつけず、
自分で持参したSPAMの缶詰をおかずにご飯を食べる。
おやつもおばあちゃんの古風なお菓子(和菓子のような)ではなく、チョコレートとCOLA。

まあ無理もない。ソウル生まれの都会の男の子に、そんなものじゃ通じないよ。
もちろん、黙々と孫の世話を焼くおばあちゃんには温かいものを感じるが、
サンウの気持ちもよくわかる。

私とて、夏休み、母の田舎に行くと、最初の頃は牛を見たり鶏の卵をとったり、
それなりに遊ぶけど、後半はもう帰りたくて仕方なかった。
夜トイレに行くのも怖いし、部屋の中をクモが歩くし・・・。
そんな中私の母だけは、やはり実家だもの、生き生きとしていたっけ。
子供の私にはまだ文句の言える母もいたし、
仕事から帰れば町に連れて行ってくれるお姉さん(いとこ)もいた。
でもサンウはおばあちゃんと2人きり。それもすごい山奥でだ。

やがてゲームボーイの電池が切れる。
おばあちゃんのかんざしを盗んで山を下り、電池を買いに行くのだけど、
豆電池、ちょっとやそっとじゃ売ってない。
かんざしが盗品なこともばれてしまう。

文明と隔絶されたサンウは持ってきたクレヨンやガンダムのようなおもちゃで遊ぶが、それさえも退屈してしまう。

サンウの横で針仕事をするおばあちゃんは、黙ってサンウに針と糸を渡す。
「糸を通せ」というのだ。
「バカじゃないの?」とおばあちゃんを馬鹿にしながらも
言われた時だけ雑誌の手を休め、糸を通すサンウ。
ここらへんから心が通じ合うのかと思いきや、やっぱりそんな簡単にはいかない。

けれど、サンウはおばあちゃんなしでは食事をすることもトイレに行くこともできないのは事実だ。

ある日おばあちゃんはサンウに「何が食べたいか」と聞く。
「ケンタッキーチキン!」と答えたサンウ。

おばあちゃんは手作り野菜を持って山を下り、生きた鶏を持って帰る。
コケー!
結局、鶏はまるごと茹でられた「ゆでどり」になった。
(参鶏湯(サムゲタン)だと思えば大人なら嬉しいだろうが、サンウにはフライじゃないチキンなんてチキンじゃない!)
「こんなもんいらない!」と怒るサンウ。
”ごめんね”と胸をなでるジェスチャーをするおばあちゃん。

その夜、おばあちゃんが熱を出す。
サンウは息を確かめ、タオルを頭に乗せて、彼なりに介抱するのだ。
おっ!そろそろ来たか・・・?

ある日サンウはおばあちゃんと一緒に町へ行く。
朝市のようなところで、おばあちゃんがかぼちゃを売ってお金を得ていることを知る。
お金を得るのは本当に大変なことなんだ・・・。
町には電池も売っていたが、サンウはそれを買わない。

そのお金でジャジャ麺を食べさせてもらうサンウ。
おばあちゃんは黙ってみているだけ・・・

ここらへんから私の涙腺はもうだめだった。

私の母も、自分は食べなくても子供には食べさせてくれるような人だった。
親の無償の愛って本当に強い。
田舎のおばあちゃんだって、いつも帰るときにお小遣いをくれたっけ。

チョコパイを食べたいサンウのために、おばあちゃんは菓子屋へ行く。
そこの店番のおばあちゃんとの会話。
「私は歩けないからあんたがまた来ておくれ。お互い死ぬ前にまた会おう」
2人のおばあちゃん、会話はなくとも心が通じ合っている。
なんて緩やかに時間の流れている村なんだろう・・・

4つもらったチョコパイも当然自分のものとしてしまうサンウ。
サンウだけをバスに乗せ、おばあちゃんはバス代をケチって歩いて帰るのだ。
バス停で、心配そうにおばあちゃんを待つサンウ。

サンウには村の友達ができる。
女の子だ。
その子の家へおめかしして出かけ、帰り道牛に追われて転んでしまう。
ひざは血まみれだ。
心細く半ベソかきながらトボトボ帰ると、おばあちゃんが黙って待っていてくれた。
おばあちゃんの顔を見ると号泣してしまうサンウ。

あー、私もハラハラと涙が出た。
まさしく誰にでも原風景にあるものじゃないのかな?
迷子になった時、親に会うまでは気丈にしているのに、会ったら大泣きしてしまったこと。
親はいつも温かく笑っていた。

やがてサンウとおばあちゃんに別れの時が来る。
サンウの母親が迎えに来るのだ。

おばあちゃんに字の書き方を教える。
「会いたい」「体が痛い」この2つ。
「なんでこんなのも書けないの?パボ(バカ)!」というサンウ。
結局「おばあちゃんの体が痛い時は何も書かないでいいから手紙を出して。僕が飛んでくるよ」というサンウ。
サンウごとき飛んできたところで何にもならないけど、その心遣いが可愛いじゃないか。
もちろん都会の子に戻れば山奥での出来事なんて遠くなってしまうのだけれど、
サンウの2ヶ月は彼にとってすごく貴重な時間だったはずだ。

大事にしていた宝物のガンダムカードをおばあちゃんにプレゼントし、
チョコパイも分けてあげられるようにもなった。

走り去るバス・・・
小さくなる腰の曲がったおばあちゃん。
必死で手を振るサンウ。

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「お年寄りは大事にしよう」などといくら教えても経験にかなうものはない。
なぜ相手はこんなにか弱いのか、こんなに衰えているのかは
若い時には理解できないものだ。
若い親の作るお弁当はいつもカラフルなのに、私の母の作るお弁当のおかずはいつも茶色だった。
それがいやでたまらなかった時期。

でも、いつも心のどこかで感謝していた。
そして感謝できる子に育ててくれて、ありがたかったと心から思う。

この映画の監督は、自分のおばあちゃんへの感謝の気持ちを映像に残したいと言った。
まさにそうなんだ。
この映画の根底の温かさ、これはみんなが経験すべきことだと思う。
サンウの成長を通して、私も郷愁に誘われた思いだった。
久しぶりに心が温かくなった。

「おばあちゃんの家」↓
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=3637