仙台へ行くことを決めてから。
T横インを予約した後に、地図で宮城県全域を見、「せっかくだから石巻まで行くプランはどう?」とオットが言いました。
ワタシが調べたところ仙台~石巻は有料道路で1時間半ちょいの距離。
せっかくだもんね。
仙台まで『初東北』するのなら、やはり今の石巻を見て、机上で考えていたこと以上のものを感じよう。
震災からはもう4年もたっていて、「矢も盾もたまらず」すぐに駆けつけた人の足元にも及ばないけれど、
それでも石巻に行って、少しでもお金を落としたい。
そう思ったんだ。
伊達政宗公を徒歩で見て、ホテルから車を出した時にはもう正午過ぎになっていたんだけど、
お昼ごはんは絶対に石巻!と当初から決めていたので、多少の空腹は我慢・ガマン!
三陸自動車道という初めての高速で石巻へ向かいました。
石巻漁港で食堂でも・・・と思いナビをセットしたのに、漁港にそれらしきものは見当たりません。
(正解はわからないまま)
街は確かに空き地が多く、建っているのは新しいおうちばかり。
お隣に回覧板を回すには少し歩かないといけないねーという距離感。
今回、ここに初めて来た震災前・震災後の違いがわからない私達にとっては、
それはまるで新興住宅地のようで、
少しずつ新しい家ができていく私の地元の住宅地と変わらないの。
空き地には少しの草が生えているけれど、整地もされていて、
なんだか希望に満ちた新興住宅地みたいじゃん・・・
私のような県外者にはそう見えてしまっても仕方ないと思う。
けれど、そこの空き地にはかつての住宅があったんだよね?
それが想像できないくらい、新しい家、新しいスーパー、新しい倉庫・・・
漁港にも新しいピカピカの建物ができていて、ゴム長ズボンをはいた人が行き来している・・・
(ちょうどその日、石巻沖で転覆した漁船を捜索していたと帰宅後のニュースで知りました)
家を流された後、そこに新築を建てて戻ってこられる人ばかりではないことを思うととても悲しい。
でも、目に入るビジュアル的な景色には津波の痕跡がみつからない。
それが私の正直な感想でした。
ただひとつ、車でくぐった歩道橋の、上(平らな部分)まであと2段っていうあたりの階段の横に
3.11 津波の水位 ここまで
と記載があったのは驚きました。
歩道橋のほぼ同じ高さ。
人間も車も余裕でくぐれてしまうその橋の高さまで水位があったなんて。
きれいな家とひらけていく街を見ても感じることができなかった恐怖が
歩道橋に書かれたラインを見てぐーっと押し寄せました。
食堂らしきものも見つからないし、お昼はどうしようかねぇと、海岸の方に車を少し走らせていたら、
砂利の駐車場の中に『牡蠣小屋』をみつけました。
最近の牡蠣小屋のブームを知らないモアイ君は、そこで何が行われているのかいまいちピンとこない感じでしたが、
ワタシが「入りたい!」と強く望み、お邪魔してみますよ~。
ワタシも『牡蠣小屋』はお初なーのだ
大漁旗に飾られた小屋内。
風が強くて、ビニールハウスが時々「ボンッ!」って言う・・・
メニューには
●牡蠣盛り
●ホタテ盛り
●牡蠣食べ放題(時間無制限)
etc...とあり、
まずは牡蠣を一盛り(7個)お願いして席に着きました。
モアイ君が「せっかくならホタテも食べようよ」と言うので、ホタテ(10個)も追加でオーダー。
最初に牡蠣とホタテがランダムに入ったスープがサービスで出ました。
ワタシのには牡蠣のみ。オットにはホタテも1個入っていたそうな。
うまみエキスぎっしり!
タウリンタウリン
初めての2人なので、お姉さんの指導を素直に仰ぎます。
このタオル部分をお皿がわりに、牡蠣の中にバキッとナイフを入れ、グイッとひねって、焼けたてをパクッ!
はふはふ 熱~い
「最初はそのまま、次からは好みで日向夏を調合したポン酢をかけてね」
いやーそのままでも味が濃い、美味しい牡蠣。
幸せ~
日向夏のポン酢もとても美味しく、生醤油よりも気に入りました。
前から気になっていたことを質問してみました。
赤いホタテが女の子
白いホタテが男の子・・なんだって。(覚えやすいね)
とりあえず一盛りずつを食べて、もっと食べたかったら時間無制限の「食べ放題」に切り替えてもいいね~と話しながら食べ進め、
結局「もう少し食べたい」ところでやめるのがベストかとこれにて終了。
たぶん、これ以上食べたらワタシは胸焼けしちゃうと思うの。
「また来たい。」
そう思えるベストのところで帰ろうと、意見が一致しました。
あー。おいしかった!
期せずして食べたホタテが特に美味しかった。
そして都内と違って安い。
これも素敵なことです。
オットも「これはヤミツキになるね~」と大満足のようでしたよ。
小屋の裏には牡蠣の殻がいっぱい。
帰り道の海岸沿いにはあちこちにホタテの殻も集められていました。
何かの再利用ができるのかなぁ?
石巻をあとにしようと、海沿いを南下していると、
突然、さっきまでと違った光景が目に入ってきました。
この一体は整地も進まず、荒れ野原のまま。
明らかに以前家があった敷地や基礎の形が残り、家を囲っていたであろう塀の形も傷つきながら残っています。
津波以降、火事も併発したような廃墟。
そして生い茂る雑草…
さっき見た復興の希望あふれる地域とは違う、ここはどこ?
ネットで検索したところ、ここは一番津波の被害が大きかったという門脇町のようです。
ここにはもう新居は建たず(建てるなら高台へ)、計画では慰霊公園のようなものができるらしい。
…考えられない。
ひと町全部が更地になるだなんて。
ひと町全部が地図から消えただなんて。
海から少し奥に行くと、墓石の数もおびただしいの。
この墓石は以前からあったものなのか?
それとも流されて無くなり、再建されたものなのか?
そもそも家族のお墓を家族が守れているのだろうか?
家族は残っているのだろうか?
この殺伐とした雰囲気は、いくら鈍感な私の心でもえぐるには十分。
4年遅れとはいえ、思わず車中から手を合わせずにはいられませんでした。
それはとてもとても悲しい光景でした。
石巻…だけではないけれど、こうして自分の目で見て、やはり考えを新たにしたところがあります。
社会勉強のようなことに利用するのは良くないのかな、とか、ブログに書くのはどうなのかな、とか
土足で踏み込むようで少し悩みました。
けれど、そこには今も前を向いて生きていく人たちがいたし、
廃墟が残っているのもまた事実。
津波の被害にあっていない私たちには私たちのできることがあり、
それを認識するために、実際を目で見て語ることは有意なことだと思うのです。
牡蠣小屋でいったん空腹感は満たされ、次に食べたいものも(お店も)見当たらないので、
石巻を後にして、帰り方向に進むことにしました。
海沿いを走り、ここまで来たら旅の最後に「松島」も見ていきたいぞ!
松島や あー松島や 松島や…のあの松島ね。
日本三景のうちのひとつですよ。
松島までは下の道で3-40分。
そこには観光客がたくさんいました。
260からの松の小島で形成されている松島湾。
水墨画の世界みたい
とても美しいなぁ。
けれど、陸地から眺めても見える範囲はたかが知れていて、実際には島と島の間を周遊しなきゃその奥行き感は感じられなそう。
もう夕方で「本日終了~」の遊覧船
あーあ
まぁ、いっか。
あとはパンフレットで想像しよう。
日本三景のうち、これで2つは見たワタシ。
宮島は修学旅行で行ったよ。
オットも同じだって。
あとひとつ、天橋立(京都府)にはいつか行くことができるかな?
帰りも三陸自動車道から東北自動車道をモアイ君の運転で帰ります。
交代してあげられなくて申し訳ない
いっそ松島でもう一泊しようかと宿泊プランが浮上しましたが、ゆっくり休み休みでも帰ろうということになりました。
450kmの帰り道。
途中、長い福島を抜けてやっと栃木県に入ったところで「眠い」と叫んだモアイ君。
パーキングに車を停めて、ダッシュボードに足を乗せて2人で1時間半、爆睡しました
あー…日本は広いっ!
結局、家に着いたのは夜中の1時。
お疲れさま。
けど、盛りだくさんで初めてを見て、食べて、
リフレッシュできた楽しい3日間だったね。
明日からまた頑張ろう!と思えるいい旅でした。
T横インを予約した後に、地図で宮城県全域を見、「せっかくだから石巻まで行くプランはどう?」とオットが言いました。
ワタシが調べたところ仙台~石巻は有料道路で1時間半ちょいの距離。
せっかくだもんね。
仙台まで『初東北』するのなら、やはり今の石巻を見て、机上で考えていたこと以上のものを感じよう。
震災からはもう4年もたっていて、「矢も盾もたまらず」すぐに駆けつけた人の足元にも及ばないけれど、
それでも石巻に行って、少しでもお金を落としたい。
そう思ったんだ。
伊達政宗公を徒歩で見て、ホテルから車を出した時にはもう正午過ぎになっていたんだけど、
お昼ごはんは絶対に石巻!と当初から決めていたので、多少の空腹は我慢・ガマン!
三陸自動車道という初めての高速で石巻へ向かいました。
石巻漁港で食堂でも・・・と思いナビをセットしたのに、漁港にそれらしきものは見当たりません。
(正解はわからないまま)
街は確かに空き地が多く、建っているのは新しいおうちばかり。
お隣に回覧板を回すには少し歩かないといけないねーという距離感。
今回、ここに初めて来た震災前・震災後の違いがわからない私達にとっては、
それはまるで新興住宅地のようで、
少しずつ新しい家ができていく私の地元の住宅地と変わらないの。
空き地には少しの草が生えているけれど、整地もされていて、
なんだか希望に満ちた新興住宅地みたいじゃん・・・
私のような県外者にはそう見えてしまっても仕方ないと思う。
けれど、そこの空き地にはかつての住宅があったんだよね?
それが想像できないくらい、新しい家、新しいスーパー、新しい倉庫・・・
漁港にも新しいピカピカの建物ができていて、ゴム長ズボンをはいた人が行き来している・・・
(ちょうどその日、石巻沖で転覆した漁船を捜索していたと帰宅後のニュースで知りました)
家を流された後、そこに新築を建てて戻ってこられる人ばかりではないことを思うととても悲しい。
でも、目に入るビジュアル的な景色には津波の痕跡がみつからない。
それが私の正直な感想でした。
ただひとつ、車でくぐった歩道橋の、上(平らな部分)まであと2段っていうあたりの階段の横に
3.11 津波の水位 ここまで
と記載があったのは驚きました。
歩道橋のほぼ同じ高さ。
人間も車も余裕でくぐれてしまうその橋の高さまで水位があったなんて。
きれいな家とひらけていく街を見ても感じることができなかった恐怖が
歩道橋に書かれたラインを見てぐーっと押し寄せました。
食堂らしきものも見つからないし、お昼はどうしようかねぇと、海岸の方に車を少し走らせていたら、
砂利の駐車場の中に『牡蠣小屋』をみつけました。
最近の牡蠣小屋のブームを知らないモアイ君は、そこで何が行われているのかいまいちピンとこない感じでしたが、
ワタシが「入りたい!」と強く望み、お邪魔してみますよ~。
ワタシも『牡蠣小屋』はお初なーのだ
大漁旗に飾られた小屋内。
風が強くて、ビニールハウスが時々「ボンッ!」って言う・・・
メニューには
●牡蠣盛り
●ホタテ盛り
●牡蠣食べ放題(時間無制限)
etc...とあり、
まずは牡蠣を一盛り(7個)お願いして席に着きました。
モアイ君が「せっかくならホタテも食べようよ」と言うので、ホタテ(10個)も追加でオーダー。
最初に牡蠣とホタテがランダムに入ったスープがサービスで出ました。
ワタシのには牡蠣のみ。オットにはホタテも1個入っていたそうな。
うまみエキスぎっしり!
タウリンタウリン
初めての2人なので、お姉さんの指導を素直に仰ぎます。
このタオル部分をお皿がわりに、牡蠣の中にバキッとナイフを入れ、グイッとひねって、焼けたてをパクッ!
はふはふ 熱~い
「最初はそのまま、次からは好みで日向夏を調合したポン酢をかけてね」
いやーそのままでも味が濃い、美味しい牡蠣。
幸せ~
日向夏のポン酢もとても美味しく、生醤油よりも気に入りました。
前から気になっていたことを質問してみました。
赤いホタテが女の子
白いホタテが男の子・・なんだって。(覚えやすいね)
とりあえず一盛りずつを食べて、もっと食べたかったら時間無制限の「食べ放題」に切り替えてもいいね~と話しながら食べ進め、
結局「もう少し食べたい」ところでやめるのがベストかとこれにて終了。
たぶん、これ以上食べたらワタシは胸焼けしちゃうと思うの。
「また来たい。」
そう思えるベストのところで帰ろうと、意見が一致しました。
あー。おいしかった!
期せずして食べたホタテが特に美味しかった。
そして都内と違って安い。
これも素敵なことです。
オットも「これはヤミツキになるね~」と大満足のようでしたよ。
小屋の裏には牡蠣の殻がいっぱい。
帰り道の海岸沿いにはあちこちにホタテの殻も集められていました。
何かの再利用ができるのかなぁ?
石巻をあとにしようと、海沿いを南下していると、
突然、さっきまでと違った光景が目に入ってきました。
この一体は整地も進まず、荒れ野原のまま。
明らかに以前家があった敷地や基礎の形が残り、家を囲っていたであろう塀の形も傷つきながら残っています。
津波以降、火事も併発したような廃墟。
そして生い茂る雑草…
さっき見た復興の希望あふれる地域とは違う、ここはどこ?
ネットで検索したところ、ここは一番津波の被害が大きかったという門脇町のようです。
ここにはもう新居は建たず(建てるなら高台へ)、計画では慰霊公園のようなものができるらしい。
…考えられない。
ひと町全部が更地になるだなんて。
ひと町全部が地図から消えただなんて。
海から少し奥に行くと、墓石の数もおびただしいの。
この墓石は以前からあったものなのか?
それとも流されて無くなり、再建されたものなのか?
そもそも家族のお墓を家族が守れているのだろうか?
家族は残っているのだろうか?
この殺伐とした雰囲気は、いくら鈍感な私の心でもえぐるには十分。
4年遅れとはいえ、思わず車中から手を合わせずにはいられませんでした。
それはとてもとても悲しい光景でした。
石巻…だけではないけれど、こうして自分の目で見て、やはり考えを新たにしたところがあります。
社会勉強のようなことに利用するのは良くないのかな、とか、ブログに書くのはどうなのかな、とか
土足で踏み込むようで少し悩みました。
けれど、そこには今も前を向いて生きていく人たちがいたし、
廃墟が残っているのもまた事実。
津波の被害にあっていない私たちには私たちのできることがあり、
それを認識するために、実際を目で見て語ることは有意なことだと思うのです。
牡蠣小屋でいったん空腹感は満たされ、次に食べたいものも(お店も)見当たらないので、
石巻を後にして、帰り方向に進むことにしました。
海沿いを走り、ここまで来たら旅の最後に「松島」も見ていきたいぞ!
松島や あー松島や 松島や…のあの松島ね。
日本三景のうちのひとつですよ。
松島までは下の道で3-40分。
そこには観光客がたくさんいました。
260からの松の小島で形成されている松島湾。
水墨画の世界みたい
とても美しいなぁ。
けれど、陸地から眺めても見える範囲はたかが知れていて、実際には島と島の間を周遊しなきゃその奥行き感は感じられなそう。
もう夕方で「本日終了~」の遊覧船
あーあ
まぁ、いっか。
あとはパンフレットで想像しよう。
日本三景のうち、これで2つは見たワタシ。
宮島は修学旅行で行ったよ。
オットも同じだって。
あとひとつ、天橋立(京都府)にはいつか行くことができるかな?
帰りも三陸自動車道から東北自動車道をモアイ君の運転で帰ります。
交代してあげられなくて申し訳ない
いっそ松島でもう一泊しようかと宿泊プランが浮上しましたが、ゆっくり休み休みでも帰ろうということになりました。
450kmの帰り道。
途中、長い福島を抜けてやっと栃木県に入ったところで「眠い」と叫んだモアイ君。
パーキングに車を停めて、ダッシュボードに足を乗せて2人で1時間半、爆睡しました
あー…日本は広いっ!
結局、家に着いたのは夜中の1時。
お疲れさま。
けど、盛りだくさんで初めてを見て、食べて、
リフレッシュできた楽しい3日間だったね。
明日からまた頑張ろう!と思えるいい旅でした。