いつもココロに太陽を!

~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

魚菜亭 at 京王堀之内

2019-01-30 | 外食
駅前 ランチ
で検索してヒットしたこちら。

レビューの高さもあり人気のようだったので、予約しました。

ワタシは


マダイのアラ煮定食

Mちゃんは


マダイの煮つけ定食

ちゃんとした身の部分とアラ部分、
これでお値段が200円違います。(ワタシが200円安い)

Nちゃんは


焼きサバ定食


いやー、美味しかったなぁ。

この日は朝早くに朝食を済ませており、
「待ち合わせ」の連絡がなかったらもう少しでお昼を食べてしまうところだったこともあり、
お腹がペコペコで実に美味しかった。

アラとは言っても、
頭部(えらまわり)や胸ビレ、尻尾にも身がたくさんで、
ほじくるのさえ面倒じゃなければ
食べられる部分は胴体部分と変わらないぐらい身がついていました。

こっくりと、黒砂糖も使って煮付けてあるお魚の美味しいこと!
こういう煮付けが一番好きです

これまでも今後も、普通ならおよそご縁のない駅だと思うのだけど、
この定食をいただくためだけにまた行きたくなるような・・・

今度はオットを連れてうかがいたいお店を見つけました。

待ち合わせをすっぽかす

2019-01-30 | お出かけ
先日、友達との約束を『自信をもって』すっぽかす、ということをやらかしました

その日は、Nちゃんの紹介でカルチャー(趣味)のサロンへご挨拶に行き、
そのあとランチを食べようという計画でした。

待ち合わせたのは、行ったこともない「京王堀之内」という駅。

マインド的には落ちていた頃でしたが、
そんなことは文面に出さず、
LINEで待ち合わせの日をみんなで決め、ランチのお店は私が予約しました。


来ると思うよね~。
1人も欠けることなく、来ると思うよね~



約束どおりの11時より前に駅に着いたのはMちゃん。


では、彼女のうろたえたLINEをどうぞ



この時、もう1人のNちゃん、約束の時間を30分遅く勘違いしています。

20分待っても誰からもアクションがなく、さらにうろたえるMちゃん


ワタシは…といえば、この前日、病院で「異常なし」が伝えられたこともあり、
ドッと倦怠感を持ちながらも、心の中はだいぶ楽になっていた日です。

朝早くに起き、なぜかそのまま洗面所(脱衣所)の片づけをしていました。

6時
7時
8時
9時
10時・・・

何時間も勢いがどんどんのり、
使ってないヘアクリップやダスター、古いバスタオルも捨てちゃえ!
ロッカーをこっちにずらしてモアイ君を驚かせようと大きな家具を1人で動かし、
ネジをはずして棚板を付け替えたりと、
なんだか燃えてしまっていたんですね

もう、待ち合わせのことなど念頭からはるか遠くに行っていました。

しかも、両耳にはラジオ


ワタシに直接くれたMちゃんのLINEの音も、聞こえませんでした。



電話にも出ない。
誰も既読にならない(笑)
ウケる~っ

彼女、ワタシが途中で事故に遭ってやしないかと心配していたそうです。
(ホントにごめんなさい)

やがて、かすか遠くに電話の音が聞こえ?たような気がして、階段に置いていた携帯に出ました。

「…もしもし?」
「もしもし、Marchちゃん?どうした?」
「え?どうしたって何が?」

ワタシの昨日までの悩みをもう彼女に話したっけ?とその心配で電話をくれたと勘違いし、

「今日、サロンに行く日だよね?」



思い出しました~!

ワタシ、ちょっとしたパニック状態。

え?え?今日っていつ?
え?え?明日って何曜日?
みたいな(笑)

自分で約束を決めておきながら、やはり少し心ここにあらずだったのか、
曜日の感覚というか、昨日のビッグイベント以外のことが頭に入らない状況だったようです。
(という言い訳)

「今すぐ行く!サロンには行けないけども、ランチの人数減るの申し訳ないから、今すぐ行くから!」

ワタシはそのまま脱衣所で服を脱ぎ、一番最初に目についたデニムとダウンを羽織って、
インナーなんて部屋着のままで、家を飛び出しました
眉毛も頬紅もなく、唯一リップだけを塗って…。

泥棒が入ったとは、こういう状態をいうのでしょうか?
ワタシが帰宅した時の我が家のすごい状態をどうぞ



ゴミ袋も用意せず、処分するものをどんどん廊下に投げ出し、
着ていたものはワゴンの上に山になったまま。



三面鏡は開き、引き出しは開いており、コンセントから垂れ下がる電動ドライバー。



いくら寛大なオットでも、家に帰って脱衣所がこれでは、さすがに気分が悪かろう

ランチを済ませてまたダッシュで家に戻り、とりあえず家具を整えて
「お模様替えしたんだ
というオットのご機嫌の声を無事聞きました。


Mちゃん、30分遅れてきたNちゃんと、ランチのお店で合流した時、
「あせった~
とワタシが言ったら、
「焦ったのは私よ」Mちゃんにピシャっと言われました。

ほんとだね。
とりあえず、サロンの方にはご迷惑かけずに済んで助かったよ。
スマンかった

ここまで自信をもって約束を忘れるとは、本当に珍しい。
たぶん、いつものワタシじゃなかったんだってことで、許しておくれ~

私と乳がんの2週間

2019-01-23 | 健康づくり
去年の11月に、市のがん検診を3つ、立て続けに受診しました。
胃がん・子宮頸がん・乳がん。

診断結果として『異常なし』の通知が来るのを、いつも当たり前に思っていたのですが・・・





去年の暮れ、もうあと数日で新年の声を聞く頃に、いつもより大きな封筒が届きました。
朝食を終えて開封してみたそこには、私のマンモグラフィーの画像(両乳)と『要精検』の文字。

これって、精密検査を受けなさいってことだよね?

通知には「あなたには乳がんの可能性があります」とは書かれておらず、
精密検査を受けてください。がんと決まったわけではないので、怖がらずに早目に受診してください
と書かれていたと記憶しています。

わかる、わかるよ。
乳がんと決まったわけじゃなく、もっと詳しい画像を見たいから病院に行ってね。ってだけのことだって。

でも、十分に怖い。
怖がるなと言われても、その瞬間からもう怖くてたまりませんでした。

その日は平日。
私はこれから仕事で、モアイ君は休日でした。

ここからの彼が早かった。
私が仕事に行っている間に、市内の病院(資料に推されているところ)に片っ端から電話をかけ、今日受診できるところを探しました。
もし、通院なんてことになるなら、なるべく私が自転車でも通えるところの方が望ましく、市の向こう側、あっちの遠くではバス通いになってしまう・・・
等々。

結果、駅前に、乳腺科を抱える大きな病院があり、その日の午後だけ週1回の先生が滞在していることをつきとめ、私は仕事の終わったその足でモアイ君の運転する車で再検査に臨んだのです。


あ、結果を先に書きます。
精密検査の結果は『異常なし』とのことでした。





暮れが押し迫り、銀行には長い行列ができるような頃、乳腺科を受診しました。
受付で送られてきた画像と紹介状のような封筒を出し
「あ、再検査に引っかかっちゃったんですね」と受付のお兄さんに言われました。

そう、これまでよく聞いていた言葉です。
「私、健康診断でサイケンって言われちゃってさぁ」
「引っかかっちゃったんだよねぇ」
誰ともなくそんな風に話すのを、自分には関係ないと何度も耳にしていた気がします。

私がいつも3つの検診を受診し、異常なしの小さな封筒を受け取るのはもはや当たり前だと思っていたから。





私の横には小さな子供を連れた30代のお母さん。
私と同じ色の大きな封筒を出すのを見たとき、「かわいそうに」と自分のことを置いて思ったのを覚えています。

怖がるなと言われても、
私と彼女に今、乳がんがすぐそこまで近づいてきている感覚・・・可能性。

がんになったらお姉ちゃん(私には2人の姉がいます)が悲しむだろうなぁ、とか
なんでがん保険に入っておかなかったんだろう、といった後悔がどんどん浮かびました。





そう、がん保険。

『要精検』の封を開けた時、最初に考えたのは「どうしよう!がん保険に入ってない!」ということでした。

真っ先に考えたのが治療費のこと・・・

ここ数年、がん保険の必要性をずっと感じ、資料を取り寄せ、担当さんに相談までしていたのに、
いざその時まで結果として契約をしていなかった自分のルーズさ。
TVでアヒルちゃんがガン保険の大事さをあれだけ説明してくれていても
「入らなきゃ~」と言って入っていなかった自分。

治療費の心配をしたというより、備えておけば安心だという簡単なことを備えておかなかったことへの後悔がとても大きくのしかかりました。
ほら!言われた通り、女性3大疾病が来ちゃったじゃないの!という怒りにも似た気持ち。

私が仕事に行っている間に、モアイ君は担当の方とも話しをしてくれて、仮に乳がんと診断されてしまったら、以降がん保険に入ることはできない(当たり前ですが)ことを確認してくれました。

正直に言うと、急いでがん保険に入り、精密検査を3か月先まで延ばそうか・・・と考えなかったわけではありません。
でも、それはきっと正しくないこと。
命にかかわることなら目先の利益で動いては危険だし、病気になったなら何を差し置いてもその病気と闘うことを最優先にするのが最善であること。
そう思い、保険会社さんにも正直に話して、今後の方針なりを確認しました。
(今入っている保険でもカバーできる部分はあるわけですし)





診察室で先生(女医さんでした)と画像を見ながらお話をし、
「ん~、こことここが怪しいって市の方は言ってきているのね」と2~3ヵ所のポイントを指し示してもらいましたが、私にはそこが怪しいのかどうかなんて全く分かりません。



乳腺はマンモでは白く写り、がんも白く写るそうです。

乳腺がすべて脂肪に置き換わっていれば脂肪は黒く写るのですが、乳房内に乳腺として残っていると白い画像に写る。
私には乳腺が(そのまま)多く散在しているそうです。

「先生、こんなに太っていて、それでも乳腺が脂肪に代わっていないんですか?」
そりゃ尋ねたくもなりますよ。
太ったことで確実に昔より大きくなったおっぱい。
時々邪魔だなぁと思うこともあるのに、それでも脂肪だけで形成されているわけじゃないのね・・・

先生による触診と、マンモグラフィーを上と横の2方向から撮影してその日は終わりました。
(市の検診では1方向だけです)

次の検査は年が明けてすぐに超音波(エコー)とのこと。
これを予約して帰りました。


もうね。
おせちを用意しようが、家族で集まろうが、心の中は乳がんのことで頭がいっぱい。
悩みを抱えるとは本当にこのことです。

日々は誰にも同じように毎日流れ、仕事もあり、家事もあり、悩みながらもお腹は空くし、お笑いを見れば笑っている自分がいる。
けれど心の隅にはずっと『要精検』・・・

久しぶりにキツイ年末を過ごした気がします。
でも、それを耐えられるだけの強さも、やはりこれまでの経験の蓄積から持っているんですよね。

あの時はもっと苦しかったよ。
あんなこともあったじゃないか。
やはり生きてきたことは無駄にはなりません。

何よりオットの「大丈夫、大丈夫」が気休めにもなりました。





年が明けてすぐ。
病院が混みだした頃です。
オットが仕事でいなかったので、私は自転車で病院に向かい、超音波の検査に臨みました。

ほら、私、妊娠もしていないからね、「超音波」って言われても最初何のことかわからなかったんですよ。
「エコ―のことですか?」って聞いちゃったくらい(笑)
あ~あれね、ジェルみたいの塗ってスリスリするやつだ。

両胸をはだけ、温かいジェルを塗って、放射線科の先生が胸を見ていきます。
ずいぶん長いこと同じ個所を何度も何度も見るんだなぁ。
(もちろんありがたいことですが)

外から乳首まで行って止まり、また外から乳首まで行って止まり・・・
寝るだけの太い神経があれば寝ちゃえるくらい長い間、そのパッドのようなものは私の胸の上や外周を行ったり来たりしました。

やがてピッという撮影音。
その都度レシートのようなものが機械から出ているようです。

「あー、やっぱり写っているんだ・・・」
この撮影音は本当に怖かった。

願わくは一枚も撮影がなかったらいいなーという私のアホな考え。
実際は「ない」ことも画像で証明しなければならないための撮影なのに、ピッと撮影のボタンが押され、それが「右胸の方が回数が多かったな」とか、もう色々考えてどっぷり落ち込みました。





3日後。
モアイ君も一緒に結果を聞きに行きました。
暮れの診察と同じ、私は仕事を終えてからの午後の問診です。

お昼を食べてからにしようとレストランに行っても、出るのは深いため息ばかりで、やはりいつもの食欲がありませんでした。

●異常ありませんでした。
●ここにがんがみつかりました。

どちらも同じ先生の口から発せられる結果になるわけです。

「あった」と言われればもうそこから治療が始まり、3年もダラダラ保留にしていた保険にももう入ることができない。
貯金を崩そうがお金を借りようが、痛かろうが痒かろうが治療に向かうしかなくなります。

「なかった」と言ってもらえれば、私は一から襟を正す。自分の人生をもっと大切に生きようと心を改めます。

この差は本当に天と地なんだなぁと、深いため息と共に何度吐き出したことでしょう。



そして結果として今回は『異常なし』となりました。

マンモの画像も、市検診の画像と並べて比較し、あの時白くぼやけてよく見えなかった部分(がんが潜んでいるかも知れない部分)が今回は黒くはっきりと、がんがいたら白くわかりやすい状態に写っていたこと。
怪しい個所を何ヵ所も撮影してくれたエコ―の画像にもがんらしきものが写っていなかったこと。

先生とは引き続き、自分でできる触診をまじめにすることと、市の定期検診(もしくは病院のドッグ)を受診し続けることを約束しました。





帰りの車内、オットが保険の担当さんに電話して、さっそくがん保険に入る算段を取り付けてくれました。
「無事である」ことを証明する診断書も病院からもらいました。

私は「やったー!」という気分には程遠く、数日間「疲れた・・・」と脱力状態のようでした。
私の性格は浮かれるよりも放心状態になるんだなぁと改めて知りました。


今回、生まれて初めて、がんが私の至近距離まで近づきました。
「再検査ぐらいで大げさな」と思われるかもしれませんが、これまで無事を証明するための検診でしかなかったものが、異常を見つけるための検診であったことを初めて深く知ったのです。

背中にポンと「ここにいるよ」とがんにタッチされたような気がしました。
そしてそのがんは「異常なし」で遠くへ行ったのではなく、私の肩に手を置いて「ここにいつもいるからね」という存在になりました。

ラジオのCMで
『万が一ではありません。2人に1人ががんの時代』
というのをいつも耳にしていたのに、それでもバカな私は万が一の病気だと思っていました。





封を開封した日から結果を聞くまでのちょうど2週間。
体感的には長い2週間でしたが、オットがどんどん話を進めてくれたおかげで最短で済んだことにもなります。
私ひとりでは暮れ~年始をまたいでもっとモタモタしたことでしょう。

とても貴重な体験でした。
もちろん、しなくていい体験でもありますが、保険に対して不真面目だった私のお尻に火をつけてくれる出来事になりました

がん自体は予防できなくても、備えがあれば立ち向かう気力が違います。
後悔から闘病に入るのと、保険会社を従えて闘病に入るのとでは、雲泥の差がありますよね。

そして、がんがとても身近に感じられたことも大きな成長でした。
乳がんは自分でも見つけられる唯一のがん。
その他のがんも、自覚症状を感じた時に、躊躇せずに病院へ行こうと思えるようなりました。

もしあの時「みつかりました」と言われていたとしたら・・・
世の中にそんな方がたくさんいらっしゃることもわかっています。
私のブログを不快に思われるかもしれません。
あの時、私と一緒に受付をしたあのお母さんはどうなっただろう?
私は今もそんなことにも思いを巡らしています。

私は助かったんだ!
そんな風に思えない自分(の性格)。
深く脱力し、後悔し、そしてこのように書きました。
できることは備えることだけ。
でもそれは誰もができることなのです。
今すぐなら。

人間って、自分が体験したこと以外、どうにも理解できないものです。
想像はできても、やはり体験に勝る理解が得られないことを、私は知っています。
何歳になっても私自身がそうだからです。
だからこそ、少しでも想像してほしくて書きました。

がんは身近にあるんだってこと。
それを私も心に刻んで、暮らしていこうと思います。

昆布は美味しい♪

2019-01-06 | クッキング
子供の頃はあんなに嫌いだったのに、
すっかり味覚が変わり、昆布が大好きに。

子供の頃は「昆布巻き」からニシンだけ抜き出して食べて
よく母に怒られたっけなぁ。


そんなニシン。
これまでにソフトタイプは使ったことがあるけれど、
カッチカチの身欠きニシンを使ったことがありませんでした。

今回初挑戦で、昆布と煮てみようと思ったのね。



身欠きニシンはお米のとぎ汁で一昼夜。
翌日、シャトルシェフの中でほうじ茶と共に半日。
(ほうじ茶のティーバッグを作りお湯を注ぐだけ)

それでだいたい柔らかく戻りましたね!

お水でウロコを(あったら)取り、調理に使いましょ。




ごぼう、金時にんじん、カットした昆布と共に煮つけました。


昆布・・・巻くのは大変だけど、カットして煮ても味は一緒です
ワタシはこれでいいや


今回、おせちがあると数日間の食卓がとても楽なのが実感できました。
というか、日頃から箸休め的な作り置きを用意することね。

わかっちゃいるけど、日常的にはそれがなかなかできなくて・・・

かの隣国に見習うところなどないほど、色んな問題を起こしてくれてるけど、
唯一、作り置きが冷蔵庫に豊富なのはエライと思う。(ドラマで見る限り)
ナムルやキムチがあるだけであとはメインを作ればいいのだもんね。

ワタシも頑張ろう。
おせちにありがとうと言いたい気持ちです

お正月家族会の献立

2019-01-06 | クッキング
暮れをおせちづくりにあてていたので、なんだか何日もキッチンに立ち続けの日々でした。


元旦に家族が集まります・・・お料理持参で。

今回は5品、用意していきました。



そうだ!
小さなアメリカンドッグを作ったら子供たちが喜ぶかな?と思い立ち、
ポークビッツとチーズちくわを用意し、竹串の代わりに爪楊枝。

大正解でした。

ケチャップは姉が出してくれ、あっという間の完売。
子供だけじゃない、オトナも手を伸ばし、これは来年も(気が早いね)用意しようっと。




イカと長ねぎと紅しょうがのかき揚げ。
一口サイズに挙げました。
お醤油なしでも食べられるのは紅しょうがのおかげだね。
お好み焼き風にイカと紅しょうがが香り、美味しかったです。




ブロッコリーとこんにゃくのアンチョビ炒め。
こんにゃくは暮れのうちに、薄めのだし醤油で隠し包丁もたくさん入れて、
下味をつけておきました。
当日はアンチョビペーストで炒めるだけ。
TVで観て控えておいたメニューです。




昆布巻きならぬ、昆布煮です。
巻くのは大変だけど、カットした昆布で煮つけても
胃袋に入れば一緒よね

姉(次女)とワタシは子供の頃から昆布が嫌いで、
昆布巻きなんてその最たるものだったのだけど、
先日の仙台旅行で深く語り合った時、
「歳と共に味覚は変わる」の話になりました。
昆布が平気になったと姉。
ワタシも昆布、大好きになっちゃったんだよ~!
そんなわけで、昆布煮を持参しましたよ。




一番手が込んでいて大変だったのがこれ。
アボカドエビ団子と名付ければよいのかな?

前日のうちにエビ団子を茶巾の湯煎で作りました。
当日はマッシュしたアボカドをまわりにまぶし、片栗粉をつけて揚げます。

トマトソースも持参し下に敷いたら、流れてこんなになっちゃった

ホントはこういう風に盛り付けしたかったの



1人1個ずつのサーブ。
義兄が「これは洒落たお店で一皿として出せるレベル」と言ってくれました。



カットすると中にはエビ団子。
揚げたてだとアボカドが良いソースの役目をするのだけど、
なにしろ2時間半かけて持参するので、冷え冷えになっちゃうのが残念でした。




みんなでいただく新年のご飯

それぞれ工夫があって、どれを食べても美味しかったです。


デザートには姉(長女)特製のアップルパイともポテトパイ。
ワタシもシュトーレンを持参しましたよ。

食後は外に出て、サッカーやったり体操したり
実家が近いハルミンが訪ねてくれて、それも嬉しかったわ。

楽しい一年のスタートでした




2019元日の朝

2019-01-02 | クッキング
あけましておめでとうございます!

年が開けました




お皿を変えておせちを並べただけなので代わり映えはしませんが・・・

それこそが本来のおせちの意義ですよね。
三が日はゆっくりしよう、っていうね

左から
ニシンの酢漬け
伊達巻
黒豆
かまぼこ
厚焼き玉子(ここまで全部購入~
きんぴらごぼう
紅白なます
田作り
栗きんとん
椎茸の含め煮
レンコン(あ!お花型になってる
結びこんにゃく
八つ頭
お雑煮
台湾茶




レンコン、あきらめきれずに煮直しました(笑)
母さん・・・この方が華やかでかわいいね
乱切りのレンコンの方は今後いたるところに出没予定です。



新しく購入したお椀で
「お願いだからお雑煮を食べてよ~
とモアイ君にすがります

私たち夫婦は、基本お餅が嫌い夫婦。
珍しいかも知れませんね。

それでもワタシはまだお餅に対して許容ができる方なの。
調理方法によっては美味しかったりもする。
モアイ君はワタシよりお餅が苦手です。

けれど新年のさ、一発目ぐらい、由緒正しくお雑煮いただこうじゃないの~(とすがります)

お出汁をきちんと取り、おつゆも美味しくはりました。



パカッ!

鶏肉とほうれん草、なるとのお雑煮(お醤油味)

さっそくレンコンの薄切り投入です!


新しいお椀は高台も高く、それだけでとても美味しい(笑)
(お椀のおかげなんか~い)

なんだか、朝からまったりお茶まで飲んじゃって、平和な気分になりました。
そろそろ実家に持って行くお料理の続きを頑張らなきゃ!

さぁ、家族会の用意にかかりましょ

年越しそばの「ざる」「かけ」問題

2019-01-02 | クッキング
例年ならあわただしく迫りくる歳の瀬ですが、
計画的に動けたこの暮れはなんだかいつもより穏やかで、
年賀状も済み、おせちもそれなりに作れ、適度に休憩もでき、と
うまく事が運びました。

こんなこともあるんやな~

モアイ君は毎晩歳末巡回に出かけました。
仕事を終えてからの一回り(二回り)は本当にご苦労様なことです。

紅白も途中までは1人で観、見ながら年越しのお料理を作りました。



海老天
さつまいも天
ざるそば
鮮魚店で買ってきたお寿司
自家製おせち投入~



天ぷらは今年は2種類だけ。

鮮魚店の海老天が2尾で700円とは
「これを買おう」というモアイ君に対し、
「こんなの高くてアホらしいわ。これなら生のエビを自分で揚げてもっと食べたいよ」と
1,000円の国産エビを買って天ぷらにしました。

結果「こっちが正解だったね」という結論に。
揚げ物をしない家庭ならまだしも、我が家はそうじゃないんだもの。
プリプリのエビは本当に美味しい
1尾じゃ足りない


  


近所で人気の行列の鮮魚店は、朝から激混みで
私たちは12時前に行き10貫お寿司を2パック買えましたが、
15時に行ったご近所の方はもう小さなお寿司が買えなかったらしい。
ご夫婦でファミリーパックというわけにもいかず、泣く泣く諦めたらしいです。

お寿司とお蕎麦で、毎年こんなには食べきれず、元旦に残します・・・
母が生きていたら、年越しの残し物なんて怒られただろうなぁ~



←ざるそば左
きんぴらごぼう
三浦紅大根のナムル
紅白なます(干し柿入り)




ざるそば右→
松前漬け
ニシンと昆布の昆布巻き風
田作り



  


さて、年越しそばは「ざる」か「かけ」か?

いつの頃からか、我が家ではざるそばがテーブルにのっていますが、
よーーーく思い出すと、ワタシの子供の頃は母がどんぶりに入ったお蕎麦と天ぷらを出してくれた気がしてね。

モアイ君に聞いたら、モアイ君の家は「ざる」派だったらしい。

モアイ君家の習慣を踏襲してたんかーい

「ワタシ、時々あったかいかけそばが恋しくなるよ
「じゃ、おつゆ作ればいいじゃん?全然いいよ」
「え?あったかいおそばにしてもいいの?」
「俺はざるでいいからさ、Marchはおつゆにすればいいじゃん♪」

・・・めんどくさいわ

なんだよ、遠慮するなよ~とあっけらかんと言われ、
それでも一人分のお出汁を取るのは面倒くさくて折れたのはワタシ。
勝手に折れました(笑)



なんであれ、無事年越しのお料理を今年も用意出来ました。
(おせちを並べただけなので、新たにお料理というお料理は作っていませんね)


紅白、今年は感動しちゃったなぁ。
ユーミン、サザン、よく出てくれました!
いい年越しでした