いつもココロに太陽を!

~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

至れり尽くせり

2020-06-12 | 仕事
アベノマスクもまだ届かず
定額給付金もやっと申請ができたばかり。

国の後手後手が取り沙汰されている今日この頃ですが。



契約している仕事先からは
休業補償金
使い捨てマスク1箱が支給されました。



さらには
お見舞い金
洗えるマスク。

冬のコロナ再流行時までまだまだずっと必要なマスクを
選り取りみどれるパターンでいただきました

ないと思っていた休業補償金が振り込まれたのはありがたいことです



そして数日後とどめに、夏用のマスクですっ!ときた日にはもうビックリ

どんだけ至れり尽くせりの職場なんでしょう
感染拡大予防のマスク配布に燃えてる職場ですねっ

と、ここまでを数日前に書いたら



ついにアベマも来ました
見てみたかった実物
今は暑そうだから、冬までこのまま取っておこうかな。

なんだかワタシ、にわか『マスク長者』のよう
みんながワタシに「して~」と集まってきたようです。

暑いけどね
自転車に乗ってるときははずすとしても、
人がそばにいる密状態では必ずしますよ。
暑いけどね~
頑張るよ~

もう還付金が返ってきた!

2020-03-14 | 仕事
毎年この時期にはつい、わ~わ~騒いでしまうほど、確定申告が億劫で厄介だったワタシです。
けれど今年は3月頭にお出かけを控えていて、ぜひとも確定申告を終えてからスッキリと旅立ちたかったため、2月の末に夫婦2人分を頑張って終えたんですね。

もう税務署には行かない!
質問にも行かない!
e-Taxで終えるぞとの固い決意(笑)
この時期、税務署のあの長蛇の列に並ぶのは、できるならば避けたいところですもの。

根が慎重派のワタシ。
「来年用に」と去年の今頃確定申告をしたときの作業手順をそりゃー細かく細かくメモに残しておきました。

「国税局」を検索

「所得税の確定申告はこちら」をクリック


イロハのイにも等しい、ここからしっかり書き留めますよ。

パスワードを入れる→同意

次へ→OK→赤を選んで→はい→次へ


みたいな

寝てても間違わないくらいしっかりと、誘導可能なメモを残しているのに、あーそれなのに。
毎年微妙に記入欄が変わっているのはどうしてぇ?

おそらく誰もがパソコンで申告できるように、よりわかりやすいフォーマットを目指して毎年バージョンアップしているようなんだけれど、
メモの通りに進みたい杓子定規なこの性格にはビビること多々よ

源泉徴収票を手に
⑥の額記入
⑧の額記入
⑪の額記入


みたいに書いておいても、その番号が変わったり記入するページが移動していたりして…
アセるぅ~


オットの方の確定申告はもっと厄介で、腕を組んで考えることしばしでした。
それでも『戻る』でページを行ったり来たり迷いながらも、今年はだいぶ理解が進み、2人分の申告作業を1日で終えられたんだから成長ですね


「合ってるのかなぁ?」
「去年と大体同じ額が出たからこれで平気かなぁ?」
「いいや!送っちゃえ!えい!」

これ、たぶん独り言です(笑)

2月末にデータを送り、合っていようと間違っていようともう知~らない!
あとはそっちで好きにやって、ダメなら言ってくるでしょう。



納めすぎた税金が戻る『還付金のお知らせ』が届きました
ペリペリとはがして見たそこには、ワタシが算出した数字そのまま。
ってことはあのデータで【合格】ってことですねー

コロナウィルスの影響で確定申告の締め切りが4月中旬まで大幅に延長されたのに、うちにはもう還付金が来るなんて、ま~、処理が早い!
これがデータで送るメリットなのね。
人(税務署員)の手を煩わせないってこういうことなのねぇ

「e-Taxだと早いですよ」と誰かのブログでも読んだけど、まさに実感の出来事でした。

お勉強になることがいっぱい:確定申告

2017-02-18 | 仕事


今年も確定申告、無事に終えました。
2月に入るのを待ってすぐに税務署に赴き、2/16からの一般受付より前に何度か教わりながら書類を作りました。

今年はモアイ君も申告しなきゃいけない案件があり、彼は彼で初めて知ることがいっぱい。
そしてワタシも。

ワタシ、知らないうちに(笑)『個人事業主』になっていたの
いや、正確には「知らないうちに」では済まされない。
きちんと契約書も書き、お仕事に対する報酬も受け取っていたんだから、社会的には「知りませんでした!」では済まないわ。
でもその実、知らなかったというお粗末な知識で・・・

税務署に行って去年の収支を見せた時、
「個人事業主ですので、38万円を超えたら扶養から外れますよ」と言われてからの心臓ドキドキったらなかったわ。

たまたま去年は途中からの契約なのでギリギリその金額を越えなかっただけで、いつも通り103万円辺りのことしか意識していなかったワタシには、何が何やら本当に驚く話ばかりで。
そしてそれはそのまま「今年(同じペースで働いたら)あなたは扶養から外れます」と宣告されたことになり・・・

え?え?え?
ワタシ、どうしたらいいんですか?
と税務署員さんに食い下がってしまった。

やれ経費だの、やれ青色だのと、今まで源泉徴収票で103万円のことだけ(笑)気にしてきたか弱き主婦(のつもり)にとって、寝耳に水の難しい話ばかり。

フリーランスで仕事を請け負い、その報酬をもらうこと=個人事業 になるんだとは・・・
報酬 ≠ 給与 なのねーーーっ

パート勤めの友達の中には「マイナンバーも職場に届けてないし、確定申告行かないわ」なんて人もいる。
もちろん還付金がいらなければそれもいいでしょう。
その場合の地方税の算出がどうなるのかはよくわからないけれど、国税レベルでは還付金を請求に来ない人はいいお客さんだよね。

でもワタシ、まじめに税務署に行っておいてよかったわー
今まで「正直者が損をする」世の中しか見てこなかったけれど、今回ばかりは正直に確定申告に行ったことで自分の現状を知ることができ、今年の働き方を考える機会を詳しく学ぶことができました。

経費も帳簿も、そんなシチめんどくさい働き方はもうこの歳では出来ない。
もちろん、映画に1本出て2,000万円の報酬だっていうんなら、会社員のオットの扶養なんて「ケッ」とばかりに蹴とばして、自分で保険でもなんでも払いますよ。
でもそれだってその報酬が未来永劫続かなければ怖いことで。

保険に年金、家族手当?
抜けるのは簡単だけど戻るのは本当に大変。
それが社会です。

つまり、深い思慮なしにお仕事は何でもかんでもバンバン「請け負って」はいけないことなのね。

「Marchさん、講演会でお話してください。報酬は50万円
例えばこんなお誘いがあったとして「アルバイトと合わせて103万円以下だからOK!」なーんて簡単に請け負ってしまうと即「個人事業主」になってしまうので要注意。

ま、講演会のお誘いはないとしても、一回限りの美味しい『報酬話』はあながちない話じゃないから、今回お勉強できて本当に良かった
そして、何とか法の目をくぐって・・・じゃなくってきちんとした正規のルートで(笑)、契約のスタイルを転換しましょ。

今年も働きまっせ!

追伸:
所得税の他に「復興特別所得税」っていうのも徴収されるのね。
そんなことも知らなかった。
でも、国民みんなで復興の手助けができるなら・・・少しも惜しくはない。
むしろきちんと徴収してくれて嬉しいわ。
正直、時間が経つと自分で募金にはなかなか行かなくなっちゃうけど、それが税金なら気持ちよく納めますとも!
頑張ろう、日本!

送別会

2015-09-15 | 仕事
7月までお世話になっていた会社の集まりに出かけてきました。

定年→嘱託を経て、私と同じ7月いっぱいで会社を辞めたムーちゃん(おじさん)の送別会にワタシも抱き合わせで(笑)招いていただいた格好。


長いこと一緒にランチ仲間だったまきちゃん・あきちゃんからLINEで「おいでよ~」とお誘いがあった時には、ありがたかった半面、2日間考えたのちに「ごめんね、行きたくない」とお返事したんでした。
それは私の心の問題で、仕事を終えて一杯やりに来る勢いのある人たちと、家から出かける私自身が、その場で対することがしんどかったから。

おそらく私のことだから元気に、相変わらず元気ですてなことをご報告するのだろうけど、そして本当に元気でもあるのだけど、それでも心のどこかに少しの闇があって、その後も変わらずお仕事をしている人たち(当たり前だけど)…そしてこっち側になったワタシ…なんか、そこんとこだったの。


「元気な演技をするのもしんどいからやめておくね」

そうしてその話は終わったのだけど。



その後、そのいきさつを知らないジェントル上司が別ルートで家にまでお電話をくださって…

「まきちゃんにはいったん断ったんだけど…」とは言ってみたものの、「ではもう一度考えてみます」と答えて電話を切りました。



ありがたいことよね。
社員だったムーちゃん。
そこに忘れずに私を加えてくれたことも。

私の送別会をやろうと言ってくれたまま数か月経ち、そこは少なからずみんなの心に・←ポチッとしこりが残っていたようだし、不本意ながら退職にしてしまったことにも忸怩たる思いがあったようだし…

ならばここは本当の『最後の仕事』として私が伺うのがいいのではないかしら?
それが私のするべきことだと思いなおし、送別会に顔を出しました。
(台風直撃の日です)





結果、気分スッキリ

7月に全力でのHUGつきお別れをしてきたので、新たにお別れのシーンもなく、マイクで一言ご挨拶をしておしまい。

会社はその後少し持ち直したようで、私のいた部署も回復しているようです。
それを思うとわずか数週間のために…とまたネガティブな気持ちが込み上げてきそうだからもう考えない!

ジェントルな上司他のみんなの気も済み、私も納得。
ランチ仲間の2人とは今後もお付き合いは続くし、会社はもういいわ。

けじめとしても行っておいてよかったよ



ありがとうね、まきちゃん・あきちゃん。
LOVE U

会社を辞めてきました!

2015-07-12 | 仕事
私に関わるお友達や家族にはご心配をおかけしました。

私自身の落ち込みもあったので、楽になりたくて特に心情を吐露しました。
読みにくい楽しくない記事でしたよね。
聞いてくれて(読んでくれて)ありがとうございました。



さて、今月末に会社に行って清算をしたらおしまい!と思っていた会社から「早くに決着しましょう」と連絡があり、急きょ会社へ行ってきました。

私の要求は
我がブラック会社では前例がない有休を取得すること。
それを0731まで使えること。
雇用保険に加入し、失業保険を取得できること。

この3点でした。

会社から電話があり、
「今回の正式な解雇予告が0701だったので、そこから法的に30日(が決まりです)というと、0730。
Marchさんの主張される0731では1日長いので0730で解雇となります」

・・・?
ちょっと納得がいかないんですけどぉ。

私は電話を切った後に「解雇 30日 数え方」と検索をしてみました。

すると出てくる出てくる、いくつものサイト。

どれを読んでも私の言う(労働基準監督署の言う)0731が正解。
(予告日の翌日がカウント1日目となります)

会社はわずか1日分の賃金でもごまかしたいのかしらと情けなくなりました。


さらに「有休を使うのではなく、全部働いたことにして賃金は支払うので、有休取得は取り下げてもらいたい」

・・・。
それじゃここまで準備した意味がないじゃないの。
なんで1から10まで私が飲まなきゃいけないの?


結局、本来はたぶん気の小さい私は(笑)その瞬間から翌日会社へ行くまでの間、心臓をドキドキさせ手がずっと冷たい状況で、夫の話も上の空で過ごしました。

明日会社でまた法解釈のバトルをしなければならないのか。
見たくもない相手の立腹した顔を見ることになるのではないか。
朝一で労基に行って、背中を押してもらってから出勤しよう、とブルーな気持ちは続きました。

最後の電車の中でお友達の23ちゃんと出勤途中のまきちゃんにLINE相手になってもらいながら気を紛らせ励ましてもらい、労働基準監督署に。



これまで数回頼りにしてきた心強いおじさまは本日お休み…
わかりやすいほどガックリと肩を落とす私に労基の方は「お約束されてましたか?」と心配してくれました。

「いえ、お約束はしていません」

新しく私についてくれたのはドリカムの美和ちゃん。(絶対似てると言われてるはず)
大きな目の可愛らしい女性でした。

おじさまの残した書類を元に美和ちゃんとこれまでの流れを確認し、最後の私の行動を確認します。

まず0730は誤りで0731が正しいこと。
有休は権利だから主張できること。

私が会社で主張しなければならないことをメモし、心細さを自分なりに鼓舞していたところ、美和ちゃんが
「監督官から会社に電話して、この2点を飲みなさい と言ってもらいましょう」

そんなことができるのね?

これまで会社には私が労基に行ったことは伏せていました。
何も事を荒立てるつもりもなく粛々と権利を主張するだけで、「私のバックには!」などと声高に言うつもりがなかったから。

けれど、もう労基に力を借りていることをカミングアウトしてもいい頃だね?
美和ちゃんも「そうしましょうよ!」と言うので監督官から会社の総務部長へ電話をしてもらいました。

「あなたの数える30日は間違っていますからちゃんと確認しなさい。そして有休での支払いをMarchさんが望んでいますからそれでよろしく」

私が会社で言うより、なんと心強いことでしょう。


そして私は会社へ行きました。

0730が誤りであったことは会社はスンナリ認めました。
(私はそれで一晩苦しんだのに!)
けれど「有休での処理はできない」と、そこは譲れないと言うの。

私と、同い年の総務部長は、テーブルのこちらと向こうで結構な意見を闘わせました。
彼は前任者が病気で戻れないことが確定し、1週間前に総務部長になったばかり。

「有休取得」という前例を作りたくない会社。
というか、社長に怒られたくない総務部長の気持ちはよくわかるよ。

でも私は「だったら私はこのまま帰ってもいいんだよ。月末までまだ時間があるんだからもう一度考えてよ」
(総務部長は22年の付き合いの古い仲間です)

それはそれで「早く処理をしろ」と社長に言われているらしく困る…。
結局、会社が「有休」という形を飲み、その代わり「今日で帰って」ってことなんでしょうね(笑)


私は有給休暇の前例を残るアルバイトの子たちのために残すことができました。

自己都合で辞める時には有休なんて使わなくても翌日から来なきゃいいけれど、私のように解雇になる場合には働かずにもらえるお給料が餞別代りになるじゃない?
翌月から無給になることを思えば一つも喜ばしいことではないけれど、それでも心情的にそれくらいは認めてほしい。

何とかスッキリとすることができました。


仕事の引継ぎも新人社員Hさんと行い、私におんぶにだっこだったパソコンの作業も説明をしました。
「困った時にはここにノートを残しておくからね」

あんなに取られたらいやだと死守してきた半年1度の仕事も、残るアルバイトの女の子と気持ちよく引き継ぎをしました。

なんてお人好しなんだろう?ワタシ。

けれど、自分がこんな立場でありながらも、仕事の話をするのがとても楽しいの。
私が経験で得てきた気をつけなくてはいけないポイントも、全部さらけ出し、この先能率よく働いてほしいと思う。

今後私にこんな素敵な仕事が来るかはわからないのに…



各階の社員やアルバイトさんとも何人とHUGしただろう(笑)

おっさんもおねえちゃんも、ジェントル上司とも、みんなとぎゅーっとハグして励まして帰ってきた。
本当は泣いちゃうかなーと思ったのに、家ではあんなに落ち込んでいるくせに、ひとたび会社に行くと元気になっちゃうの。

それは自分を取り繕っているのもあり、本来の自分の一面でもあるんだよね。

今月末で退職の嘱託ム-ちゃん(65歳)は根っからの女子好きで、ハグが高じてほっぺとほっぺをぎゅーっと合わせてきた。

社長秘書のMちゃんは涙を浮かべ、エレベーターホールまで見送ってくれた。そこでまたぎゅー。

大先輩のおばさまTさんにも「あなたのバイタリティなら絶対に前途洋々!」と言っていただきました。
前途洋々…いい言葉です。
身に沁みます。

仲良しの人とはそれぞれ30分も話し込み、それが一切とがめられないヒマな会社(笑)
(それだけで帰宅が夕方になってしまった)

毎日のランチが楽しかったまきちゃんとあきちゃんは泣いちゃうし(そりゃそうでしょうよ、私のものまねで笑っていたんだもんね)、一番明日は我が身なゆかりちゃんともじっくり話した。

心残りは毎日クヨクヨとため息をついているらしいジェントル上司のこと。

「あなたがいたからワタシはここまで長く勤められたんですよ。
最後にいい上司と働けて本当に感謝しています。ありがとうございました。
だからもう泣くんじゃねぇ!
はい、ぎゅーっ!」

回りはみんな笑っていたけれど、私は本気でした。


すぐ隣の席で毎日働いていたお姉さんのSさんは、私の荷物を駅まで持ってくれて、そこで1時間半の立ち話…
(どんだけヒマなんだ?!)
最後には改札口でぎゅー。

本当は泣きたいのは私なのにさ、それがどうにも顔に出せない(笑)
愚痴らしい愚痴も笑い飛ばし「ふざけんじゃねえってことよ」と泥船に残る人たちを明るく励まし、実に私らしかったじゃないの。
(愚痴や不安はここで吐き出すわ)

去る者はすがすがしく残る者は淋しい…。
なかなかオトコマエに辞めてきたと思うの、私。

―自己満足―?

けれど、自己満足って大事なことなんだよね。
そうポーズをとることで本当にそんな自分になっていけるんだもの。


私は前途洋々なんだって。
そのありがたい言葉を胸に、これからも頑張らなくちゃ。
どんなフィールドでもね。

以上、退職物語…おしまいっ!



嫉妬の気持ち

2015-07-09 | 仕事
嫉妬…

ジェラシーややきもちとはちょっと違う。

嫉妬ってとても苦しい感情だ。



ジェラシーややきもちが、対『人』に向けられるものだとしたら、嫉妬とはなんといろんな部分を浸食してくるんだろう。
ニュアンスは同じかもしれないけれど、私には嫉妬が一番強く歪んだ感情だわ。


私はこの数年、仕事に対してたくさんの嫉妬をしてきた。

私のやりかけた仕事を持っていかれた時に芽生える感情。
本来なら私がやるべき仕事に他の人が参加した時の悔しさ。
目の前のバイトさんが何の苦労もなく新規の仕事を得る中、そこにうちのチームがリストアップされない時。


心の中にはドロドロとすごく濁ったマグマがいたと思う。


もう、それはずっといやな感情だった。
身体に悪かった…

  

芸能人は強いなぁといつも思う。
いや、強くないとつとまらないんだよね。

私がキャストされたはずの役にあの子が出ている…
私に感じが良かったあの監督が今度はあの子と蜜月を築いているの?
このまま私に仕事は来なくなるのかしら?

安定を約束されない芸能の世界。
はっきりと目に見えるそのキャスティングの結果に、
きっとたくさんの俳優さん、芸人さんが、歯ぎしりの夜を過ごしているんだろうなぁ。

そう思うと、私にはできない職業だなーとしみじみ思ったの。
病むのもよくわかるわ。


嫉妬心は身体に悪いよ。
心が腐る。

嫉妬と無縁の世界に行けて良かった(笑)

正義の味方

2015-07-09 | 仕事
会社を辞めてもらうことになりそうだ…

6月下旬に最初の打診があった時。

とうてい納得はできなかったけど、本当にそんなことになるのかしら?
この措置は正しいことなの?
もし辞めるとしたら私には何ができる?

それを聞くために私は新宿の『労働基準監督署』に赴きました。

翌日に起こしたこの行動は実に早かった。(と自己評価している)

その道のプロにいろいろ相談に乗ってもらいたいわ。
何しろこんなことは初めてだから、何にもわからないのよー。


自分の相談したいことをざっくりと所定の用紙に書き、担当者が現れるのを面会室で待ちます。

となりのパーテーションからは、Bボーイ風の男の子が
「3年働いている会社に有休がなくって」という相談をしているのが聞こえます。

あんなファッションの子でも企業で働いていて、そして悩んでいるんだなぁ。



私の担当になったおじさま。
「22年働いた会社を業績不振で解雇になりそう」と書いた書類を見てとても驚いていました。

そして「上司が認めるほどの22年も働いたあなたを解雇しようなんて会社なら、とことん権利を主張しましょう」といろいろ教えてくれたの。



まず、うすうす気づいていたけれど(笑)私の会社はかなりのブラック体質みたい。

アルバイトやパートでも、勤務年数によって有給休暇は取得できるものなのに、私の会社ではそれをとったバイトを私はこれまで知りません。
それはもちろん私もで、私が会社を休む時はお金は一銭にもならないで休んでいたよ。
有休なんてとれるって知らなかったのよ。

それと同様に、例えば人身事故で1時間電車が遅延してもそれは働いたことにはならず、ただ私の労働時間が1時間減るだけ。
遅延証明書なんてその場で無視されちゃう状況でした。
その分帰りに1時間残業したらそれは請求できるから、そういう点はゆるくて調整しやすいんだけどね。

私の勤務年数からは私は1年に20日の有給休暇があるらしい。
2年分で40日。

もしこれを今までの私が「使いたい」なんて主張したら、社長の逆鱗に触れて居づらくなったことでしょう。
そんな会社だから、今いるバイトさんも誰も有休なんて主張しません。

おじさまは「ありえない会社だなぁ」とあきれていましたね。

でももう私にはあとがないし、居づらいもへったくれもないんだから、
「残る人の為にもあなたが有休を使いましょう!」
これが都合2回相談に行った私に担当者のおじさまが言ったことです。

この前、0703に上司に『有給休暇取得届』を出す時、もし断られたらどうしようと一日中ドキドキでした。
同じバイトのあきちゃんも私の計画に一緒にドキドキした一日だったそうです(笑)

「いいですか?まずあなたがしっかりとした届を書きなさい。ん?ペン?パソコン?どっちでもいいよ。じゃ、ペンでしっかりと書きなさい。そして必ずコピーをとること。それがあれば相手が受取ろうが破こうが、こっちには出したという証拠が残るから。ハンコも押すんだよ。」

私は目の前に座り必死にメモをする生徒のようです。
アルバイトには有休届の用紙すらないんだから、私が一から自分で書くしかないのね。

「そして、いいですか?それを出したらあなたは絶対に会社に行ってはいけない。会社に行ってちょっとでも仕事をしたらあなたは有休の権利を行使していないことになるんだよ。そして、月末の最後の日にもし有休なんて認めない!と一か月分の支払いを拒否されたらその足でここにまた来なさい。その時は私たちの出番だから。労働基準法でちゃんと守られているから。何か月経ってもお給料は取ってあげるから」

涙が出そう。
いや、ホントはちょっと泣いた。
会社には冷たくされても、ここには正義の味方がいるわ。

一見くだらない会社の話(元の上司が4階で、私は6階にいて…みたいな)も真摯に聞いてくれてメモをしてくれるの。

あまりに心配で「こんな話してていいんですか?」と一度聞いちゃた。
そしたら「もちろん。あなたの会社の状況がわからないとアドバイスができないでしょ。気にせず詳しく話して」


「失業保険は?もらえるの?」

「え?雇用保険料を徴収されていないのでもらえるアテはありません…」

「ほんとに?22年も働いてるのに?」

「…はい。」

「だったらハローワークにも行きなさい。これからでもさかのぼって納められるから失業保険ももらいなさいよ」


何もかもがうちの会社では前例のないことばかり。
そんなこと、私一人ではできなかったと思うけど、こうして早期に相談に来たおかげで知恵と勇気をつけてもらった。
そして、ささやかながら私は会社に復讐をしてみよう。

私の復讐など金額にしたらたかが知れていて、会社にとっては痛くもかゆくもないかもしれない。
それとも社長はムキーッとなるのかな?

どうせならムキーッとなってほしいな(笑)

同じ辞めるにしてもただじゃ辞めない。
大いなる前例を残して、残りっ屁をして辞めてやる。



「解雇通知書も書いてもらうといいよ。のちにこじれた時に役に立つこともあるかも知れないから」

「解雇通知書?」

「そう。解雇日と具体的理由を書いてもらいなさい。それも申請を書類に残すんだよ」

「はい。」

「あ、それから、もし"じゃあその代わりに退職願を書いてくれる?"と会社に言われても書いちゃだめだよ」

「あ。そうなんですか?」

「だってあなた、退職を願い出ていないでしょ?」

「あ、はい…」

「だったら書いちゃダメ。退職願を書いたら退職に同意したことになるからね。いいですね、あなたは解雇なの!解雇!」


何ともわからないことばかりだ。
でも言われてみれば納得のことばかりで、つい「わかりました」と書いてしまいそうなことも気をつけなくちゃいけないんだね。


そんな風にして今回労基に背中を押してもらった。

お役所は所詮お役所仕事だ…とよく言われることだけれど、私には本当に心強い。
私は正しい権利を行使しているだけなんだ、と強く思うことができる。



この一か月、月末までは私はまだ気持ちが闘いモード。
それがたとえ一人相撲だとしても、こうしている間もまだ会社に属していて、そこと闘っている緊張感がある。

そして心配なのが来月になってからかな。

来月の私はもう会社にも属していない。
どことも闘っていない普通の主婦だ。

その時にもう一度、心が折れそうな気がするわ。
不安になってしまうと思う。

それでも負けない心づもりを用意しなければ。

正義の味方に背中を押してもらったと、世の中には捨てる神あれば拾う神ありなんだと、知ることができただけでも、私は幸せ者なんだと思うことにしよう。




会社を辞めるということ(2)

2015-07-08 | 仕事
私のチームの2人の社員はその日以来本当に仕事がなく、可哀そうなほど席に座っているだけ。
新人のHさんは手帳を見たり、新聞を読んだり、自分の作ったレポートを見直したりとそんな状況で、上司のYさんは研究と称して図書館へ行きました。

簡単に解雇されない社員はそれで済んでも、アルバイトの私はそうもいかず、それに「私を辞めさせまい!」と動いてくれた何人かによってその日その日の仕事が与えられました。
今日はMさんの調べ物の仕事。
明日はSさんの資料整理の仕事。
仕事に優劣はないと思っている私は「こんな仕事をワタシにやれですって?!」とは思わないけれど、みんなが一生懸命自分の仕事を削ってでも分け与えてくれる「日雇い」の仕事がとても心苦しく、それでも希望を持って会社へ行ったの。
夜は寝られなくとも。

「これをやっている間にうまく事が運べばいいなぁ」
まさに、祈るような気持ちでした。





「4階に産休の子が出たって!これで一件落着だよ!社長も納得してくれた!」
上司のYさんが言ってきた時、私は心底ホッとする反面、この数日間に開いた胸の中の空洞はどうしたものかと、戸惑っていました。

でも、誰かを切るのではなくオメデタという形での契約解除なら、まだ私も心苦しさは生まれないかも…
良かった。
私はこれで4階に移って仕事が続けられる…

そうして6月が終わりました。



0701、再び上司のYさんに呼ばれます。

「二転三転してしまって本当に申し訳ない。4階に妊娠した子がいたでしょう?彼女とMくん(ジェントル上司)が話をしたんだけど、彼女は臨月まで働きたいと言うんだ。今度これを無視するといわゆるマタハラになりかねないらしくて、社長がやっぱりMarchさんに辞めてもらえ。今度は最終通告しなさい、と言うんだ。」

あー…やっぱりか。
最近問題のマタハラね。

まぁ、そりゃそうだ。
私が彼女だって同じ選択をするだろうし、マタハラで訴えられるのは会社だって嫌だろうよ。

でもさ、じゃー私のは何ハラなの?とムカムカしたのも事実。
私のは何のハラスメントでもないの?
ヒマハラじゃないの?
社長はあと半年を待てないのね。
あと半年、私と彼女がWで働くことを待てないんだ。


翌日、私の定休日。
私は労働基準監督署に行く前に、ジェントル上司Mさんに電話をしました。

彼の認識はどうなのか?と。

頑張って抵抗してくれたMさんをもってしても「もうだめだ」と言うなら、私は潔く身を引こう。
彼が「まだあきらめてない」と言うなら私も頑張る。

「実際のところ状況はどうですか?マタハラの話は聞きました。私はやっぱりアウトですか?今の状況でウルトラCは起こりえないでしょう?」

Mさんは、
「俺はまだあきらめたくはないけれど、でも1か月後の解雇日までに好転するから、と100%で確約できないのも事実なんだ。
6階に大きな仕事が入るとかそういうことでもない限り、社長は納得しないと思うよ。
もしこの先、誰かが急に実家の家業を継ぎますと辞めでもしたら俺はMarchさんに残ってほしいけど、その時に君がフザケンナ!とケツまくったとしても俺はそれを尊重するよ。
その選択権は君にあるんだ」


もういいや。
そこまで思ってくれた事実があるのなら、もうこれで良しとしよう。
22年間で得たものは幾人かの社員の信頼。
悲しがってくれる数人のアルバイトの仲間。
ありがたいことではないか。

思い出でご飯は食べられないけど、思い出でお金は生まれないけど、それでも私の心の中のプライドだけは誇り高く持っていよう。



毎日少しばかりの仕事を分けてもらい働くこと。
中には心配するフリして今回の顛末を楽しんで見てる社員がいるのも知ってる。
自分に火の粉が降りかからないと人の気持ちがわからない人たち。
自分だってヒマなくせに。

ヒマになったここ2年は「手伝うことありませんか~?」と他のチームに営業にも行った。
押しの強い上司についているアルバイトの子はヒマになるとその上司が次の仕事をどこからともなく見つけてきてくれていた。
でも私はいつも自分でやったんだ。
本来は研究員がやる外回りの仕事も「私もやりたい!」と頼み込んで行かせてもらった。

私が手がけた仕事を「Marchさん、○ちゃんが仕事ないからその仕事教えてあげて」と横取りされたことも。
なまじキャリアがあるからかくだらない仕事は回ってこず、私に頼むなんて恐れ多いという空気。
「ゆっくりやっていいからね」と言う枕詞がついて仕事を分けてもらうこと。

…ありえないでしょ?

私、心が折れちゃったんだよね。



そうして私は整理解雇を受け入れたの。

受け入れたんならあとは権利を行使するのみ。
明日を最後にもう会社にはいかないぞ!と決めたのが0702のことなのです。


「1から10までMarchさんにおんぶにだっこだったよね。もし辞めた後もいつもの仕事が入ったら応援に戻ってきてほしい。ムシのいい話なのはわかるけど」
上司のYさんにそう言っていただいたけれど、私は知っている。

仮にその時そのPJを手伝ったとしても、それが終わったらまた花火のように消えねばならず、次は自分たちでやってみようと新しいバイトさんが入ったりして、その時に私は2度振られるんだってこと。
世の中に私じゃなきゃできない仕事なんてものはなく、その時にもう一度「不要」を突きつけられるのはまっぴらごめんだわ。

だからこの先声が掛かってももう行かない。
ううん。
私のきっぱりした態度を見て、上司ももう悟っただろう。

「せっかく月末までのお仕事を作っていただいたのに、明日から有休を使ってみようと思います。月末までもう働きたくありません」
私がそう言ったら、ジェントル上司はとても悲しそうな顔をした。

ごめんなさい。
でも、もういやなんだ。
好奇の目にさらされることも。
おこぼれを恵んでもらうことも。



「俺たちミスったなー。こんなことになるとわかっていたらあの時無理にでも4階に引っ張っておくんだった。そのあとにも何度かチャンスはあったと思う。俺が先を見越せていればこんなことにはならなかったのに。本当に申し訳ない…」
エレベーターで2人きりになった時、ジェントル上司は言ってくれました。

「いえ、私がYさんとMさんの両方の仕事をしますなんて欲張ったからいけないんですよ。」



私自身がアルバイトの分際でありながら、大学生のバイトさんを大人数頼んだときにはその適性に応じての配置もしていたし、スケジュールも組んでいた。
私は仕事が好きだったんだよね。
可能な限りのやりがいのある仕事をしていたかったの。






専業主婦5日目の今日。
有給休暇4日目の今日。

まだ心の中には悔しさが充満しています。
こうしている時間にも同じようにヒマな人たちが少ないパイを分け合って働いているんだ。
なんて理不尽…


でも、世の中にはもっと不安でいっぱいの人がいて、これが一家を養うパパだとしたらその心情はこんなもんじゃ済まないだろう。
お友達の友達は息子さんを亡くしたとブログでも読みました。

私より大変な人がもっともっといるんだ。
それを一週間心の中で唱えながら、私なりに頑張ったんです。

だからそれよりは今は少し楽。



幸いなことに、夫はこの状況を少し喜んでいます。

まず、帰宅したら晩ご飯ができているという事実(笑)

今までは一緒に20時に帰宅してダッシュで刑務所風呂に入り、2人で粗末な晩ご飯を作って、21時過ぎから食べるのが普通だったの。
食べ終えたら消化する間もなく夫は寝るわけ、明日に備えて。

それが私を駅でピックアップすることもなくまっすぐ帰り、20時前に食事が始まるのはとてもいい感じだと(笑)


それと、今まで奥さんが遠くまで通勤していたのが心配だったと。

やれ小田急線が人身事故だの、3.11もあったし、一日のうちの4時間を通勤に費やしてまで働きに行き、クタクタになっているのがなくなるのは安心だと。
もしこの先有事があって、その時に私がたまたま新大久保にいたとしたらそれは運命だけど、実際には家にいるかピックアップしやすい近いところで働いていてくれたらそれは安心であるって。


まぁ、私の心の中の空洞は夫には100%はわからなくても仕方ない。
彼は私じゃないからね。

けれど、この状況を「少しほっとした」と言ってくれるんだから、そういう意味ではいいのかもしれません。


まずは晩ご飯。
そしてサボり続けていた家事全般。

結婚以来初めての主婦業を少しはやってみようかな。




会社を辞めるということ。
整理解雇されるということ。

年齢的にも遠くない未来に起こると思っていたけど、それがいつだかはわからなかった。
そしてまさかここで来るとも思っていませんでした。

この先、少しのんびりしたらまた仕事をしたいと思うけど、今度はうまく見つかるのでしょうか?
22年ぶりの仕事探し…正直言うと、考えたらどっぷりブルーになります。

今の会社は30歳でお世話になり、みんな一緒に歳をとったから自分の年齢が肩身を狭くしたことはなかったわ。

けれど一歩外に出たら今度はいやおうなく突きつけられる自分の年齢…
「おばさんじゃん」という現実。

私の持ち前のパワーだけで乗り越えられないことも多いと思う。
イヤだなぁ。
本当にイヤだ。



それでももう現実は決まっているんだし、流されてみるしかないよね。

何人もの友達が「大丈夫?」というメールをくれました。
私にとっての働くことの重要さを理解してくれていたもんね。
家事を軽くは考えていないけど、私自身のやりがいは家庭の外にもどうしても欲しいんだ。

くんちゃんは可愛いブーケをくれました。
「ひとまずはおつかれさま」と。
会社の人でもないのにね(笑)



22年ぶりの黄色い花束。
昔ビールを辞めたときには毎晩持って帰った黄色い花束。

黄色いバラも、トルコキキョウの黄色も可愛いよ。




こうなったら遊ぶわよー。

働いているからと言い訳してなかなか会えなかった友達にも会いに行こう。
今のうちに。
専業主婦のプロの友達には歌舞伎も連れていってもらおうかな?


私、夕飯の支度さえしたらあとは大いばりで出かけちゃいますから(笑)。

友よ。
たまには私と遊んでくださいね(^^)

会社を辞めるということ(1)

2015-07-08 | 仕事
22年勤めた会社を辞めました。

正確には今月末までの在籍。
今は有給休暇中です。


私はシンクタンク会社にアルバイトとして働いていました。
夫の扶養の範囲の収入で、基本週5日、新宿まで通っていました。(年末には出勤調整もしています)

シンクタンク会社の仕事の内容は、クライアントから依頼をされたある事案を調査し、研究し、分析してクライアントに報告をするというもの。
職場には「研究員」と呼ばれる社員と「研究助手」とされる女子社員&アルバイトがいます。

私は2人の社員とチームを組んで、その助手的分野を一手に引き受けていました。


これまでにもこのブログで何度か、仕事のヒマさを書きました。

大きな仕事(依頼)が入れば忙しく、そのプロジェクトが終わるまでは毎日がとても充実します。
けれど、レポートを仕上げてしまうとパタッと暇になり、正直出社するのがイヤになるほどヒマな日もありました。
(そんな時は休んだりもしていました)

いや、こんな風になったのはここ2年ぐらいかな?
かつてはルーティンワークに加え、どんどん仕事の依頼が舞い込み、本当に忙しく、そして楽しかった。

運がいいことに会社の風土として、たとえアルバイトといえども社員に渡す最後のデータまでの一手を、私のやりたい手順で、私の工夫のままにやらせてくれるようなところがあり、言われたままに動くのではなく創意工夫できる良さがあったの。
それは22年かけて私が培ってきた実績のようなものだったかもしれないけれどね。


思い返せば22年の間にたくさんの仕事をしました。
最初はほんの腰掛けのつもりで、ビールを辞めて少しのんびりしてからお世話になった会社。
子供ができたら辞めるんだろうと漠然と思っていたけれど、人生とは計画通りに事が進まぬもので、気がついたらの22年でした。

働くということは時に大変でもあり、でも自分を表現するための重要なファクターだったの。
働かない自分は考えられない。
それは金銭面においても、17歳から誰にもお小遣いをもらわずに暮らしてきた自分には、自分の収入があるということは(金額の多少は関係なく)基本中の基本だったと思います。



「ヒマだなぁ」
「今日は会社で何をしようかなー」

今までそんな状況が情けなく、意地もあるから友達には口にしなかったけど、そんな風に思いながら小田急線に揺られた日もありました。
家でできる軽作業をわざわざ会社に持参して、こっそり時間をつぶしたことも。
いっそミシンを持参して縫い物がしたい、編み棒を持参して編み物がしたい…それは無理なんだけどね(笑)

仕事がないというのは、私に限られたことではなく、ここ数年会社全体がそうでした。

私の会社には営業部門がなく、自分で仕事をとってくるという社員がいないの。
それはすべて社長一人の仕事。
社長の持つ太いパイプで、ある一社(不動産会社最大手)からの仕事を専属でこなす会社だったのね。

ところが先方も代替わりが進み、社長の太い神通力が効かなくなってきた。
「○○社長(うちの社長)、ピントがずれてるよなぁー」
なんていう若手社員が先方に出てくるようになったの。

加えて、「この分析なら我が社は●●万円でやります!」というライバル会社の出現もあり、私が途中まで準備した仕事が突然他社に寝返ったなんてことも出てきました。

世の中は不景気なんだから当たり前だよね。
同じ仕事を安くやってくれる会社があればいくらパイプがあろうとなかろうと、水は低い方へ流れるのです。

去年の暮れには、会社の3つの柱のひとつであった大きな契約(部門)がなくなり、年間数億という収入が途絶えました。
その憂き目を見たのは仲良しだったみっちゃん。

みっちゃんは去年の年末で会社を辞めています。


そして、先月末(0626)。
私の上司Yさんに呼ばれ、「明日からの僕たち3人の仕事が全くないんだ。社長はMarchさんに会社を辞めてもらえ、と言っている」

さっきまでとなりのグループの仕事を手伝い、次の仕事の指示かなぁと気楽に膝を突き合わせた自分が馬鹿のよう。
私が会社を辞める?
辞めてもらえ?

仕事がないのは私のせいじゃない。
社長のせいでしょう?
今まで3人でチームワーク良くやってきたじゃないか。
なぜ私が割を食わないといけないの?

その提案には到底納得できず、私は「はい」という言葉は最後まで言いませんでした。
「お話だけはうかがっておきます」と。

これまで、表面上仕事がヒマでも本当になくなったことはなく、同じフロア内でなんとなく調整しながらみんなで食いつないできたの。
けれど、明日からの社員2人の仕事が本当にないんだって。


帰りの小田急線は心臓がドキドキしてとても苦しかった。
どういうことだろう?
どういうことなの?
私を切るなんて会社は何を考えているの?


私には少し前まで別の上司がいた。
このブログにもたびたび登場したジェントル上司Mさん。
私は彼を尊敬し、彼は私をとても買ってくれていました。

彼が異動をすれば私もついていき、そうしてこれまでやってきていたの。

けれど2年前、Mさんが6階から4階の室長になった際、私は彼の誘いを断ったんだ。
「このまま6階であなたの仕事を補佐します。4階には私の座る席がなく、毎日PCを持ってジプシーになるのはいやです」と。

【その時の記事】

そうして見た目は6階の社員2人とチームを組んで、新しい環境が始まりました。


今回、私を切ると社長が決めた時、Mさんが
「彼女を切ってはダメです!彼女のスキル(と言ってもあの会社における だよ)を簡単には手放しちゃだめです」
と社長に抵抗してくれました。
スキルや経験などは関係なく、何としてもアルバイトの削減1をしないと気が済まない社長は
「だったら彼女を4階に移して4階のアルバイトを1人切れ!」と。

Mさんは「俺が今頑張ってるからまだ短気を起こすな。どうにかするから」と言ってくれ、回りの社員も「彼に任せておけば大丈夫だよ」と言ってくれました。
その心境は私のチームの2人も同じで、上司のYさんも私が辞めることには強く反対だけれども、自分に仕事がないことには社長に強く言うことができず、新人のHさんも
「Marchさんがいないといざ仕事が来た時に困ります!」と言ってくれていたの。

私の気持ちも上がったり下がったり、安心していていいのか不安なままなのか…
実に苦しいものでした。

また、同じフロアで働いていた女子社員Sさんは、私を4階に移して4階の人を1人切れ!などという人事上の裏話が私の耳に入ったことをひどく立腹してくれて、
「そんなことはMarchさんが知らなくていいことじゃない?たまたま4階に欠員が出たから運良く移れた~♪でいいものをそんなことをあなたに言うなんて!」
とYさんの対応を怒っていました。

確かにそうなの。

誰かを切って私が残る…
知らなければそれだけのことでも、知ってしまった以上『誰かの不幸の上に私の幸せが成り立っている』なんてことは私には耐え難いことなんだよ。


うちの会社には、40代のアルバイトの男の子がたくさんいて、時々「彼らはこの先結婚ができるのかしら?」と私が心配になるような所得で働いているの。
それでもニートで親のすねをかじっていない分だけ、私は彼らを尊敬しているよ。
でもこれが今の日本の縮図かと、悲しくなるのも事実。
そんな彼らの誰かを切って私が残るなんて…

私はどうしたらいいんだろう?



いつもと違う朝・・・

2015-07-04 | 仕事

久しぶりにぐっすり寝られた。

この一週間、感情が上がったり下がったり。
溜め息ばかりついて、腹筋には力が入らずふわふわと、実に苦しい一週間だった。

何より眠りが浅く、それが悩みによるものか加齢のせいかはわからないけれど。
2時間ぐらい寝たら目が覚めて、そのあとは朝までまんじりともしない時間を過ごしていました。
苦しかった…


あー。
久しぶりに寝た気がする。
それはこの先の人生が上向きだよとの教示ならいいな。




ワタシ、この度仕事を辞めまして、専業主婦になることになりました。

若い頃なら仕事をしていないとプー太郎(死語だけど)。
結婚しているとそれが「専業主婦」という肩書に変わるのはなかなか面白いわね。

自分の中では専業主婦よりプー太郎(死語?)の方が感情的にピンと来るんだけど。


そう。
専業主婦。
いや、いずれまた仕事をするだろうから、暫定の専業主婦ごっこ。

  

青天の霹靂ってあるものなのね。
10日前には会社を辞めるとは思いもしなかった。

下がったり上がったり、あれよあれよの一週間でした。
変わり映えのない平凡な人生においては、実に大きな一週間だったな。


いつもなら「今日は休~もう」で休んでいたこの土曜日も、今回は有給休暇一日目の朝。

今日から月末まで連続で有休をとって、月末に会社に出たらそれでおしまい。

昨日は引き出しの中の荷物第一弾を大きなバッグ2つで持って帰って来ました。

  

今朝はそれでも目覚ましより1時間早く目が覚めました。
だけど「寝られた~」と感じての目覚めだったので爽快だったわ。

朝起きて一番にしたことが、シンクに出してあったマグカップ3個の茶渋を落とすこと。

この3つは会社から持って帰ってきたものだ。

1つはコーヒーを飲む時用。
茶濾し付きは中国茶。
そして、ランチを食べる階の給湯室にひとつ、スープ用。

22年の勤続とはそういうもんなんだね。




髪の毛もボサボサのままサプリを飲もうとした時に、シンクに置いてあったマグカップの茶渋がひどいのが目についた。

真っ白いメラミンスポンジで一心不乱にゴシゴシと…
「落ちるわぁ」と独り言を言いながら茶渋を落とすことが、仕事を辞めると決意しての翌朝一番にやることとは。

なんだかおかしかった。
何やってるんだろう?ワタシ。

いつもの休日は、仕事をしていることへのエクスキューズがそこに含まれていて、
「だって、身体を休めるんだも~ん」というスタンスでダラダラと過ごしていたけれど。

今日も明日もあさっても、もう会社にはいかないんだ。
それは今までの休日とは違うんだね。


茶渋が落ちてスッキリきれいなマグカップを3個並べて記念撮影しよう

22年分の(22年間洗っていなかったわけではないが)垢を落として、心機一転。
ワタシもスタートしなくては。




いつもと違う朝がやってきた。

ふと込み上げる怖さや複雑な心境は、時間とともに薄れていくだろう。
それはこれまでの人生でわかっている。

オトナになるということは、こういう朝をいくつも迎えていくことなんだ。
そんなことを自分に言い聞かせていた一週間だった。




追伸:
思わせぶりな日記でごめんなさい。
落ち着いたらちゃんと書きます。
なにせ、時間はたっぷりあるからね(笑)

その記事を書けた暁には「お仕事お疲れさま」と言ってやってください。