いつもココロに太陽を!

~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

ベトナムノート2015:day1-文廟→湖への車窓から(旧市街)

2015-06-20 | ベトナムノート2015
さすがに暑いベトナム

それでも北ベトナムに位置するハノイは、南よりは年間平均4℃は低いんです。




ワタシにはワクワクするような熱帯のトロピカルなツリーたち。
普通に街に植わってる。




マンゴーもぶら~ん




気根が伸びた大きな木。
これはガジュマルかなぁ?




そしてプルメリア
白にピンクにと華やかです。





車窓から。

全ての家がお店を開いており、店先にはプラスチック椅子と暑さでぐったりしたお店番。




額縁屋さんが始まると



しばらくは額縁屋さんが続く。




洋酒屋さんが始まるとしばらくは洋酒屋さん。
お店の看板に『Liqueur』とでも書いてくれればすぐに洋酒とわかるのに・・・

ま、それはこちらの勝手な都合。
『酒屋』としか書いてないお店だって日本にもあるもんね。




オーディオ屋さんが続く街並み。

こんな風に、同じ業種のお店が軒を連ねるのが特徴みたいだね。
ここは旧市街というらしく、フンさん、どこに行っても「旧市街」と言うのだけど、
じゃぁ「現市街」はどこなのさっ?

それがずっと謎でした・・・(笑)




あ!
カルティエのお店が出てきた!




ディオールにヴィトン。
こういうお店もあるのね~

でもこの路面店、バスでぐるぐる走っているワタシには、いったいどこにあるのか?
ここに買いに来ようとは思わないけれど、もしここに買いに来るとしたらどこなのか?
ホテルを基準にどっちの方向?
その位置関係がさっぱりわかりません。

やっぱり自分の足で学ばないことには、地図は頭に入りませんわ




フランスの英雄を讃えた銅像・・・じゃなかった石像。
(英語が書いてないから何がなにやら?)

そしてその前で待機するのは、シクロと呼ばれる人力車。

今回は団体だから乗らないけれど、個人で来ても乗らないほうがいいそうです。
人のいい日本人はたいていが言い値交渉でぼられちゃうらしい。
といっても数百円の話でしょうが。


ベトナムノート2015:day1-文廟(ヴァン・ミウ)

2015-06-20 | ベトナムノート2015
まず最初に・・・

『廟』(びょう)という文字がついたら、そこは祖先(先人)を祭るところ・・・と思っていいでしょう。
まれに「政治を行うところ」という意味もありますが、たいていが誰かを祭っていますよ。

ホテルに向かう道中最初に降り立ったのは、『文廟』でした。
ここは学問の祖である「孔子」が祭られた場所であり、また、国内初の大学が置かれた場所だそうです。



ここでは、官僚や王族・貴族の子弟が学問を学びました。
そして今では、学問にご利益のある場所として、観光地として残っているんですね。



入場料はかかりますが、フンさんがチケットを回収してしまうため詳しくはわかりません(以下:同)
(フンさんが立て替えてくれたお金を、回収したチケットの枚数で会社で請求するらしいの)

チケット欲しかったんだけどな~。




池を囲むように回廊ができている。




その周りぐるり一周には亀の石碑。
亀は「勉学の神様」とされているんだって。

おびただしい数のこの石碑には、科挙(昔の官僚登用試験)で合格した人の名前が刻まれており、それにあやかってベトナムの学生たちが座ってなでてを繰り返したため、文字が磨り減ってしまったらしい。




ワタシは普段、ロン毛のわりにあまり髪の毛を結ばないんだけど、
さすがにこの暑さ、湿度では髪の毛を高い位置で無意識に結んでいましたね~




木陰の芝生の上には、トロピカルなお花で作った「花文字」が。

-仁・義・智・才・信・徳-
里見八犬伝みたいやん!




「大成門」をくぐりましょう。
この先に見える赤い建物が「孔子」が祭られている『文廟』です。




お邪魔しますよ~。




足元の両サイドにはシーサーに似た、狛犬のような動物がいます。
これは「ゲー」という架空の守り神。

わざと足元に段差をつけてあるのは、ここをまたぐときに人が足元を見ることにより無意識に「頭が下がる」・・・つまり、学問とはそういう尊敬される対象にあるのだ、ということなんだそうです。




香炉のような龍のオブジェ。
(何なんだろう?)
台湾からこちらに来たワタシは、ついお線香を立てたくなりますが、ここは煙ってはいませんでした(笑)





メラメラと燃えるような灼熱
右に見えるのが孔子が祭られている所なんだけど、ワタシはあそこへ行ったのか?
それとも大成門をくぐってすぐ、このパラソルの下に避難してしまったのか・・・

記憶にありません・・・

のちに、ネットで孔子廟の画像を見ましたが、そのお姿をお目通りした記憶がないことから推測するに、
ワタシはここまで来ておいてきっと孔子には会っていないようです・・・
イヤ、行ったような気も・・・?ホントに記憶がないなんてっ

と言うのも、誰か気前のいいメンバーの方が「アイス食べる人~?」と大きな声で聞いてくださって、
みんながハイハイハイと手を挙げたんでした。




アイスはのどが渇くしねぇ・・・と躊躇していた私たちにもアイスが回ってきて、
結局は全員で美味しくアイスをいただきました。




大きさの違いはなんでなんだろう(笑)?

ワタシのいただいたこの白いアイス、とーーーっても美味しかった!
ベトナム上陸後初めて口にしたのはなんと美味しいアイスでした。
たぶん、2-30円ぐらいで買えるんじゃないかな。




ベトナムの国花でもあるハスの花。

この蓮池(Lotus Pond)を見るのを楽しみにしていました。
(ここの・・・という意味じゃなく)

それはお釈迦様の台座でもあり、雨が降ったらカエルが傘にする・・・(あれ?それは里芋だっけ?)

子供の頃に見た絵本の風景・・・

ピンクの花が凛と美しく、昔からなんともハスのたたずまいが好きなんだよね



まだ満開時期には少し早い。(6-7月)

ベトナムでは「ハス茶」が有名です。
ハスの花の雄しべを煎じて緑茶と混ぜたハス茶。
甘い香りが優しくて、以前からワタシは大好き(代々木公園のベトナムフェアで買いました)。

ハスの花が咲くのは年に1回、お茶作りもその頃が盛んになるそうです。

今回はとうとう本場で買えるわ~




文廟の外に出たら、ノンラー(Non La)をかぶったおばちゃんたちの攻撃がすごかった。
壁に飾りたくなるような大きな扇子を40,000VND(ベトナムドン)=約200円 で買ってくれというの。

外気の暑さに負けてMさんが1本買ったら「もっと買え」とずっとついてきました。

この旅初めての買物で、どのお札がそれかわからずモタモタしていると、お財布から大きな紙幣を取ろうとするらしく、うかうかしたらうんと高い扇子になってしまうらしい。

ワタシなど、かつてハワイでまだコインの種類がわからぬ頃、レジで持ってるだけのコインを出して、お店の人に好きなように取ってもらったことが何度もあります。

けれど、ベトナムでそれはやっちゃダメ!
わからないのをいいことに絶対に大きな紙幣をサッと取られてしまうそうです。

お財布はできるだけいくつかに分けて、小さな紙幣・大きな紙幣、別に持つこと。
目の前でお財布を全開にしないこと。

それがお互い気持ちよくお買物をするマナーなんだと教わりました。


ベトナムノート2015:day1-ノイバイ空港から一歩出ると・・・

2015-06-20 | ベトナムノート2015
ベトナム社会主義共和国の首都・ハノイの NOI BAI国際空港 に着きました!




失礼ながら、勝手に描いていた脳内想像より立派な空港




新しくてピカピカなんですけどぉ~?




デン。
ノイ チュイェン?

ふりがな(英語表記)がなかったら何のことやらさーーーっぱりわからない!


飛行機を降りたら、おトイレに駆け込む人、一服したい人
そんな私たちを毎回添乗員の石川さんが数えてくれます。
1
2
3
4・・・



ウエルカムフラワーにはとてもお国柄が出ていて、ハワイならレイ、韓国ならぎっしり固めた感じの束。
ここベトナムでお友達を待つ彼の花束も、デコラティブで珍しいものでした。

そしていつも思うのが、やっぱり日本の花束のさりげなさが一番好きだなぁ~


空港内から「バス乗り場に移動しますよ~」と団体さんは外に出ます。


きれいなガラスのドアを一歩出て・・・
そこで全員から声が上がりました。

うわーっ!
ひゃぁぁ~!


そこはまるでスチームサウナ?
一気に熱気+湿気が押し寄せて、マジで驚きました。

「空港の中は空調完璧だったんだねー」「こりゃ暑いっ

今年のベトナムは40年ぶりの暑さらしく、今年だけで何回かの40℃超えを記録しているそうです。
湿度の高い日では95%なんて日もあるらしく、考えらんないね。

ちなみに今日の気温は37℃
40℃を体感した地元の人は「過ごしやすい~」なんて思っていそう。
(通常35~37℃)





乗り込んだバスはこんな感じ。
中華風のヘッドカバー
台湾バスのような無意味なポンポン装飾はなく(笑)、フットレストもある新しいバスです。
何より贅沢だったのは、40人乗りの大型バスに20人で乗るので1人2席分を使えること。
それぞれの席に座り込みここからバス移動が始まりました



青い空。
そして本当にキレイな空港
この空港は今年の2月にオープンしたそうです。

「日本のODAを使って造られました。」(ガイドさんの解説)

ODA・・・。
ニュースではよく耳にします。
たしか「政府開発援助?」とか言わなかったっけ?
Dはおそらく「開発」を意味する「デベロップ」だろうけど、OとAが何の略かわかりません・・・(恥ずかしながら)
後で調べるようにメモメモ・・・

O・・・Official
D・・・Development
A・・・Assistance

日本政府または政府の実施機関によって、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による公的資金を用いた協力のこと(by外務省)



ガイドさんは「皆さんの税金も使われていますね。この橋もこの道も。ありがとう」

なんだか、嬉しかった。

明らかに発展途上にある国に対して、日本の資金・日本の技術を提供し、その国の人たちの幸福に寄与することがODA。

古館さんが「日本のODAでどこそこが・・・」と言ってても、その画面を興味深く見ることがこれまではなかったけれど、
なるほど
こうしてODAは本当に形になっているんだ。

百聞は一見にしかず。
実際に見ないとわからないワタシにはこのピカピカの空港がとても親しみ深いものに思えてきたし、これからはどこの国のどんな分野に役立ったか、ニュースをしっかりと見るようになるでしょう。

そしてこの先、日本とベトナムが企業進出を通して深く結びついているということもたくさん目にすることができました。
(日本人の駐在は2万人。日本企業は400社ぐらい来ているんだって)




これは管制塔かなぁ?




コーディネーターでもあり、ガイドさんをしてくれたのはフンさん。

フンといってもあの「ふん」ではなく、
発音するなら咳をするように「フンッ!」と言うんだって。
(難しいよね)

フンさんは自分のことを「僕の名前はフンです」としか言わないの。
それが「鈴木フン」なのか「フン良夫」なのかこっちとしてはわかんないわけよ。

後ほどフンさんのファーストネームとラストネームを確認したら、
「ベトナム人は苗字の種類が少ない(同じ苗字の人が多い)ので、たいていが名前(親がつけた名前)しか名乗らない」んだって。

グエン、チャン、レだけで全体の60%。
ファム、フイン/ホアン、ファンまで加えると国民の75%になる(by Wiki)


そりゃ苗字が少ないわけだ。
日本中が佐藤さんと高橋さん、みたいなもんなのね。



姓・ミドルネーム・名の3つで構成されるベトナム人の名前。
(例:ホー・チ・ミンのような)
つまりフンさんの名前は山田・ヴァン・フン・・・みたいなことだね。

フンさんのフンは意味は「興」。
「栄える」という意味の「興す」が親のつけてくれた意味なんだって。

また、男女は結婚しても別姓のままで、子供はパパの姓を名乗ります。
(韓国と同じだね)



こんな感じでお勉強的に進むよ、今回のブログは(笑)

だって、ワタシにはまったく知らない国。
ただ車窓からの景色を「きれいねー」で写しただけじゃつまんない。

自力で得られる情報は少ないので、どんどんフンさんに質問して、少しでも見聞を広めたいと思ったの。

もし退屈だったら斜め読みしてかまわないからねー





ベトナムの特徴的な一般的な家の外観。



間口が狭いっ!

かつてフランスの植民地だった時代、フランスは間口の広さに対して住宅の税金をかけたんだって。
間口の広い家は税金がたくさん取られちゃう。
だからこんな間口が狭く奥行きの長~い家が建てられたらしいよ。




とうもろこしやレモン畑が広がる景色。
ハノイ人口600万人のうち、農業従事者が6割強という農業の都市なんだ。




屋根の上には地下水をポンプでくみ上げたタンクが乗っています。
これがないと、水圧が弱いので生活にならないらしい。




日本のキヤノンが建てたなんやらのツインタワー。
社宅だったっけな?(よくわかんない)

けど、こういった高層ビルがずっと続く平野の中に突如現れると、やっぱり日本の力を感じますね。




フランスの建築様式の名残がある家屋。
窓枠が重厚ね。
可愛いっちゃ可愛いんだけど、なんか、上に増築を重ねたかのように統一感がないデザインはどうしてなんだろう~?
(フロアごとにデザインが違うとか)



車窓の変化が楽しく、空港からハノイ市内まで40分の道のりは目がランランで
顔を右に左に大忙しのワタシでした。




ハノイ観光名所のひとつ、『ホーチミン廟(びょう)』
今日は車窓から。
ここにはホー・チ・ミンさん(通称:ホーおじさん)のご遺体が安置されています。

ホーおじさんについてはまたのちほど。

ベトナムノート2015:day1-機内で観た映画は・・・

2015-06-19 | ベトナムノート2015
映画を観ようか・・・
それとも寝ておくべきか・・・
なんたって荷造りがヘタゆえか、夕べは2時間しか寝ていないんだ

迷いながら一応映画のラインナップを調べました。
(マツコのバラエティ番組とかもやっていて、オットは珍しく隣で大笑いで観ています)



実写版の『シンデレラ』
ジョニー・デップの『チャーリー・モルデカイ』
日本映画からは『神様はバリにいる』
など・・・

そんな中「あれ?これ聞いたことがあるタイトルだなぁ。」と思ったのが、
『国際市場で逢いましょう』

どんな映画だっけ?とあらすじ(キャスト)を見て思い出した!
韓国通の23ちゃんが新宿で観て、大絶賛していた映画だわ。
韓国歴代2位の興行収益(観客動員?)になった映画なんだったね。

彼女のブログを読んだ時、
「私も観たいなぁ。でもわざわざ映画館には行けないかなぁ。ビデオになる頃には忘れちゃうしなぁ。」
と思ったの。

ここで会えたのも何かの縁
主役が純朴青年を演じたら右に出るものなし(と私は思う)のファン・ジョンミンだもの!

観ます、観ましょう、はいスタート!





朝鮮戦争の真っ只中、一家は北朝鮮に暮らします。
軍を進めていた米軍は中共軍に包囲されたため進軍をやめ、拠点としていた興南(フンナム)という場所から撤収することになりました。

アメリカの大きな戦艦が何艘も港に着き、それにあわせてそこに住む北朝鮮民が「私も連れて行って」とばかりに港に押しかけます。
船に積むのはアメリカの大切な武器・戦車・・・
人間は置き去りのはずでしたが、説得に応じた司令官は「武器を捨てて人を乗せよう」と決断します。

大きな鉄のドアが開き、戦車が出てきた隙間から人間が船の中になだれ込みます。

どの船に乗ろう?
家族の手を離さぬように走るお父さん。
転んで泣く子供。
起こし上げてくれる親切な他人はそこにはいません。

23ちゃんの「全編号泣」の言葉が既に脳裏にある私は、この壮大な引きの映像からもう涙でした。
難民とはこうして生き延びるのか。
北アフリカの難民船の転覆がニュースになっても、想像力に乏しい私にはリアル感がなかったけれど、
こうして、人は争いながら我先にと船を目指す・・・
この映像が恐くて恐くて苦しかった。

鉄のドアがダメなら渡し舟で船の側面から乗ればいい!
今度は小さな船に人が押しかけ、ドクスの家族もその船に乗ります。
「ドクスや!妹の手を離すんじゃないぞ!」
父の言いつけを必死に守り、末の妹をおぶいその手を押さえ、船の横から縄のはしごで乗船を目指す・・・

あと数段・・・もう少しで船のへりに着くとき、すごい勢いでその下からはしごを上ってきた男の手で妹の腕ははがされ、ドクスの肩はふっと軽くなるのです。

海に落ちたのか、小船に落ちたのか・・・
船のへりから末娘の名前を叫ぶ家族。

ドクスの父が「これからはお前が家長だ。家族をしっかり守れ。わしもあとから必ず行くから」と言葉を残し、船を降りて娘を探しに行きます。

船は無情にも出港し、家族が住んでいた村は爆撃で赤く燃え・・・
「父さーん!」と叫ぶ家族・・・


物語はその後のドクスの生涯を描きます。


避難民となった家族は、釜山のおば(父の妹)の家に世話になり、国際市場で暮らします。
ドクスは家長としてお金を稼ぐために頑張ります。

片時も忘れたことのない父、そして末の妹・・・

南北戦争が一時停戦の日を迎えても、そこからは南北分断が始まるのです。
戦争が終わっても家に帰ることができない理不尽は何故なのか・・・

それは今も続く離散家族の実態をまざまざと現していました。



金になると聞けば西ドイツまで炭鉱夫として働きに出、歯まで真っ黒にして仕送りを続ける青年ドクス。
危険と背中合わせの作業場で、自分の夢も捨て弟や妹の学費、家族のために働きます。

夢も希望もないような生活の中で出会った女性、ヨンジャ。
人はどんな絶望の中でも愛を知るとこんなにも気持ちが浮き立つものなのかしらと、恋するドクスに涙が止まりません。

契約が切れて釜山に戻ると、今度はベトナム戦争へ技術者として志願します。

いくら家族を守るためといっても、自分の子供はどうなるの?
私はどうなるの?

「あなたの人生なのに、そこにあなたがいないじゃない」との妻ヨンジャの言葉に泣きました。
同じ女だからか、この言葉がしみました・・・

それでもドクスは一家の家長として「大丈夫、大丈夫」と笑いながらそれが自分に与えられた使命と出稼ぎに行くのです。


期せずしてこのベトナム行きのの中でベトナム戦争のシーンを観ることになりました。

一服の清涼剤であり、ヒーローとして描かれている兵隊ユンホ(東方神起)。
軽快で素敵だった~(笑)

映画の中でファン・ジョンミン(ドクス)は「カムオーン」というベトナム語を使いましたね。
(=「ありがとう」私がこの旅に備えて覚えておいた2つの内の一つです。もう一つは「こんにちは」という意味の「シンチャオ」。
この2つだけでこの先のベトナム旅行を切り抜けようとしています!)

このあと、物語はここで書いてはもったいないような出来事が起こります。
昔の日本にも同じような出来事がよくあったよね。
桂小金治を思い出したのは私だけではないはず。


月日がたち、白髪になったドクスはたくさんの子供や孫に囲まれながら暮らしています。

「わしは本当は船長になりたかった」
ヨンジャにそう語るドクス。

彼の人生に彼はいたのか。
胸が苦しくて私はどんどん泣きました・・・
飛行機のゴーッの音が私の嗚咽をかき消してくれるけれど、
隣でマツコを観ている夫が驚いて覗き込むほど機内食のナプキンを手にヒックヒックと泣きました(笑)
(おかげでコンタクトのドライアイが一気に解消!)


父との待ち合わせ場所だった国際市場の「コップンの店」ももう手離してもいいよ。
今度こそ売りに出そう。
わしがこんな年なら、親父ももう生きてはいまい・・・

コップンの店にはそんな意味があったんだ。


父さん。
僕の人生もなかなかだったろう?
僕は必死に頑張ったよ。
でもね、父さん・・・
本当はとても辛かったんだ・・・


あの日、船の上で、父がドクスの身体にかけた父の上着(着物)を抱きしめて泣くドクス・・・
(今でも書きながら涙がツツー)


《 国際市場で逢いましょう 》

やばい映画です。
家族の人生を支えきった素敵な男の物語。
切なく、そして心が温かいそんなお話でした。




ベトナムノート2015:day1-機内食

2015-06-19 | ベトナムノート2015
8:55AM。
ANA857便にて北ベトナムのハノイに向けて飛び立ちました。
5時間半のフライトです。

便も航空会社も選べない団体ツアーでしたが、運良く手持ちカードにマイルも貯められてラッキなスタートでーす!




今回の飛行機は前回の台湾(チャイナエアー)よりさらに進化して、目の前のTVでミールメニューも知ることができました。
(早いもん勝ちで予約もするのかしら?と少し焦りました・・・が、予約はありません。献立紹介のみ)

普段なら絶対にやらない数独のゲームやブロック移動のゲームにも挑戦しちゃおう♪




どうしよう?
荷造りが下手で睡眠時間2時間で来てるのに、やりたいことが多くって寝るタイミングがないわぁ



さて、お約束の機内食ですよ

ワタシは和食のメニューを選択しました。



たらの煮付け丼、おうどん、もやしのナムル、それにお饅頭でした。
ANAなんてワタシは何年ぶりかなぁ。
国内はともかく海外で乗るのは本当に久しぶりです。
いつもサービスとは無縁の(?)アメリカのエアーばかりですので、この機内食のおいしさは言うまでもありません・・・
お味噌汁ともこれでしばらくお別れかなぁ。



オットは洋食のメニュー。



チキンのハーブソテー、スモークサーモンのマリネ、フレッシュサラダ。
スモークサーモンにはちゃんとケッパーまで入った本格的で美味しいの!


私たち一行は一応業務?(海外視察)・・・なわけですから、
この手のものに初参加の我が家はどこまでくだけていいものか・・・と悩み、
一応失礼のない格好(ファッション)で空港まで行きました。
(オットはリネンシャツにロングパンツ)

しかし緊張したのもここまで。

機内食とともに、あちこちからシュポッ!というビール解禁の音が聞こえ、
「大丈夫みたい」とオットも安心して缶ビールを頼めたようです

そして心配御無用!
この音は、この一団のこの先のビールじゃんじゃん旅の祝砲だったのです(笑)

ベトナムノート2015:day1-結団式

2015-06-19 | ベトナムノート2015
ひょんなことからお出かけすることになったベトナム日記、書いていきますね。

今回もワタシの旅のお供はこのノート。



この前まで「台湾ノート」として活躍し、今回はベトナムのことを26ページにわたってしっかり記録して来ましたよ~。
(不思議と車の中で書いても酔わなかったの!メモ魔としては優秀(笑))
その時芽生えた感情とか、時間経過とともに忘れちゃう前に書いておくんだよ。


全部をブログにしないまでも、あとで読み返して自分が楽しいのがMyベトナムノート


今回はオットが海外視察としてベトナム行きとなり、そこに「自費でなら」家族の参加も可、という不思議な形態でした。
これまではオーシャン方面にばかり目が向いていて、あまりアジアに興味はなかったけれど、
そんなワタシでもずっと行ってみたかったのが唯一ベトナムでした。
潜在意識の中での優先順位でいったらずっと1位だったかも。
(ナゼだかはわからないのだけど、ずっと呼ばれていたような・・・)

なので渡りに舟とばかり、自己負担を支払って一緒についていく事に。
オットを1人行かせて感想を聞くだけなんて、きっと耐えられないもん!


今回の一行は全20人の団体ツアー。
添乗員さんも一緒のツアーなんて、何十年ぶりでしょう?

Zカウンターの前に集合し、チェックインを済ませたら『視察団』の結団式がありました。



そもそも出国ゲートのすぐ横に会議室があることも知らなかった!
ロビーで輪になって挨拶するんじゃ周囲の目が気になるなぁと思っていたら、こんなお部屋がいくつかあるんだね。

そこでは団体ツアーお約束のお土産の斡旋紹介があり、自己紹介もありました。



「団長の○○です。皆さん本日は…」
「○○所属の××です。団長はこの旅のリーダーですが夜の団長は別にいましてぇ~・・・」
「えー、夜の団長の○○です。夜のことでしたらぁ・・・」

こんな風に笑いありの和やかな自己紹介が進みます。



おそらく(職場が一緒の)顔見知りや何度かの視察に同行しているメンバーがいて、自然と役割分担(キャラクター)ができているんだわ。

ならばワタシもと、
「モアイの妻で今回ご一緒させていただくことになりましたMarchと申します。
オットと片時も離れたくなくてぇー(ゲラゲラ)
夜が心配なのでついてきちゃいました(ドッカーン:拍手)」

まずはつかみはOK!?のようです。

みなさんとても明るい方たちで、年代こそ何層かに分かれていますが、
日々の志は同じ方を向き、日本経済をある側面から支えている同業社の一行です。

楽しい旅行・・・じゃなかった『視察』になるといいな。
さぁ、出発しますよ。

ベトナムノート2015:day1-行ってきます!!

2015-06-19 | ベトナムノート2015
羽田の朝は早い…
睡眠2時間で空港に着きました。

さて、いきさつはともかく、ベトナムへ行ってきます。
6月の江戸小路は紫陽花の花(生花)が飾られています。
4月は確か桜でした。



7時に近くなってきたら、空港も目覚めたかのように、活気がでてきましたね~。

新しい1日の始まりです。

しかし眠い…

行きのフライトで何か映画を観たいと思っていたけれど、5時間半の空の旅は寝て過ごすことになりそう…



生まれて初めて、自分のスーツケースを買いました。

これまでは旅好きだった叔父からのお下がりや、オットの知り合いからのお下がりやらで、渡り歩いてきたの。

サムソナイトの良品を最後に使っていたのだけど、一昔前のそれはかなり重く、やはりこの時代、特にアメリカ便対策に軽いのが欲しい…
ならばこの機会にと買いました。

もうさっそく擦ったようなキズがつきました…
それも旅の勲章と、気にしない気にしない…
(バリバリ気にしてる証拠よね~ 笑)



最後に(あ、縁起でもないか)
記事の結びに今日のファッションチェックでーす。

今日はデニム on デニムで
ガウチョパンツをチョイスしました!!

ウエストゴムで機内も楽々~(の予定)

難航したサンダル選びは諦め、
はきやすいレインパンプスに。

では、本当に行ってきます!!