義父が入院したのが2月の上旬。
入院時には《余命3ヶ月》と言われていたのですが衰弱が激しかったようで、どんどん下方修正されました。
3月中旬には「今月を越せるかどうかです…」との宣告もありました。
家族から見たら昨日も今日も差がないようで、血圧や心拍の数値も変わらないし、何をどうして余命を算出できるのかが不思議でした。
きっと、お医者様にしかわからない何かがあるのでしょうね。
亡くなる2日前に夫が仕事帰りにひとりで病院へ行った際には、今まで痛いと動かしていた手もダランと身体の横にある状態で、きっと痛みさえも麻薬で抑えていたんだろうと思います。
「だいぶ意識も薄くなっているようだ」と帰宅した夫は言いました。
そしてその2日後の朝に「今日か明日がヤマです」と知らせが入り、そこから数時間で義父は旅立ったのだけど。
この「ヤマ」「危篤」がどうしてわかるのかなーと家族みんな知りたかったの。
それは決して病院を責めているのでもなく、ただ単にどこを見て判断するのかが知りたかったのね。
そしたら、《努力呼吸》という言葉を担当医師が教えてくれました。
私達家族みんな、へぇーと初めて聞いた言葉でした。
義父のように徐々に衰弱していく病状の場合どこで判断するかと言うと、呼吸が変わるんだそうです。
人間は横になっている時、普通は腹式呼吸が自然にできています。
お腹が上下する呼吸ね。
それが、肩を上下させ必死に体内に取り込もうとする呼吸…努力して呼吸すること…に変わると、そこからはあまり長くないそうです。
ゆったりしたお腹の呼吸から口先で吸うような呼吸に変わるのが、あるサインになるそうです。
もちろん全ての危篤がこの限りではないでしょうが、義父の場合はこの呼吸になった時が「家族に電話」のタイミングであったと。
看護婦さんも、もちろんそれをご存じで、「長いこと医療に従事していればその変化がわかります」とおっしゃいました。
ネットで検索してみたら、確かに《努力呼吸》についてのブログを書かれている方もいたし、人生何十年生きてきても、知らない言葉ってあるんだね。
義父はそのサインを以って、義母に「早く病院に来い!」と知らせてくれました。
最後の努力呼吸を必死にしていたんだね。
なんか、家族の霧が晴れたような言葉でした。
入院時には《余命3ヶ月》と言われていたのですが衰弱が激しかったようで、どんどん下方修正されました。
3月中旬には「今月を越せるかどうかです…」との宣告もありました。
家族から見たら昨日も今日も差がないようで、血圧や心拍の数値も変わらないし、何をどうして余命を算出できるのかが不思議でした。
きっと、お医者様にしかわからない何かがあるのでしょうね。
亡くなる2日前に夫が仕事帰りにひとりで病院へ行った際には、今まで痛いと動かしていた手もダランと身体の横にある状態で、きっと痛みさえも麻薬で抑えていたんだろうと思います。
「だいぶ意識も薄くなっているようだ」と帰宅した夫は言いました。
そしてその2日後の朝に「今日か明日がヤマです」と知らせが入り、そこから数時間で義父は旅立ったのだけど。
この「ヤマ」「危篤」がどうしてわかるのかなーと家族みんな知りたかったの。
それは決して病院を責めているのでもなく、ただ単にどこを見て判断するのかが知りたかったのね。
そしたら、《努力呼吸》という言葉を担当医師が教えてくれました。
私達家族みんな、へぇーと初めて聞いた言葉でした。
義父のように徐々に衰弱していく病状の場合どこで判断するかと言うと、呼吸が変わるんだそうです。
人間は横になっている時、普通は腹式呼吸が自然にできています。
お腹が上下する呼吸ね。
それが、肩を上下させ必死に体内に取り込もうとする呼吸…努力して呼吸すること…に変わると、そこからはあまり長くないそうです。
ゆったりしたお腹の呼吸から口先で吸うような呼吸に変わるのが、あるサインになるそうです。
もちろん全ての危篤がこの限りではないでしょうが、義父の場合はこの呼吸になった時が「家族に電話」のタイミングであったと。
看護婦さんも、もちろんそれをご存じで、「長いこと医療に従事していればその変化がわかります」とおっしゃいました。
ネットで検索してみたら、確かに《努力呼吸》についてのブログを書かれている方もいたし、人生何十年生きてきても、知らない言葉ってあるんだね。
義父はそのサインを以って、義母に「早く病院に来い!」と知らせてくれました。
最後の努力呼吸を必死にしていたんだね。
なんか、家族の霧が晴れたような言葉でした。
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