TATSURO SHIBUYA + ARCHITECTURE LANDSCAPE DESIGN STUDIO

アーキテクチュアは建築、ランドスケープは景観。風景を生かす建築環境デザインに取組んでいます。

新建築2005年12月号 「川崎のハウス」

2005-12-03 01:46:35 | 辛口な月評
現物見てないので、本当は現物を見てから書きたいのですが、そんな特権は私にはないので、そのまま書き出します。(実際、新建築の月評書いている人だって、現物を見てる人が少ないし・・・。)

というハンデがあるので、建物中身の評論は来月号の新建築に譲るとして、気になったのは、西沢(兄)大良さんの文章である。

「屋外のコンテクスト、室内のコンテクスト」と題された川崎のハウス建設に絡む四方山話がずらずらと書き並べてある。
集合住宅と戸建住宅が混在する町だとか、だいたい集合住宅は間知石の擁壁で造成されたところに建っているだとか、計画地がちょうどそれらのノードにあたる角地だとか・・・。

そこで、こういった周辺のもろもろのコンテクストを住宅に取り込んだのだという。「施主の希望は二世帯住宅だったが、それをふたつの住戸による最小限の集合住宅のようなものと考えて、独立住宅でもあり、集合住宅でもあるような建物を作ろうと考えた。」

西沢(兄)大良さんは、硬派な論客としても知られるし、いろんな意味で、建築に対して「熱い」人だと思っていたのだが、これを読んで、実際の矩形をみて、げんなりした。。

「そのまんまじゃん。」

ある意味、すごく日本人っぽいなあ、と思うのは、コンテクストを読み解いて、それをまじめにそのまま建物に取り込んでしまうという律儀さである。

そこには、集合住宅と戸建住宅というスケールの違いは存在しない。
「2階建て」、「ふたつのフロア」、「間知石の擁壁(わざわざ宅造申請までしている。。)」、「共用階段」などなど、というキーパーツを盛り込んだ、ごった煮住宅ではないか。

「だから、何ナノ?」

素朴な疑問である。

計画地の様々なコンテクストは分かる。しかし、建築に求められるのは、そういったコンテクストをどう消化して、建築の「空間」として還元するかということなのではないだろうか?
それが、ライトルームと呼ばれている、明かり取りなのだろうか。反射フィルムを張ったハチマキ状の外観なのだろうか。否。。

もろもろの要素をそのまま取り込んだだけでは、コンテクストを解釈したことにはならない。それはただの「言い訳」である。

だからかどうだか知らないが、「~してみた。」という語尾表現がやたらと目に付く。

間知石の台座の上に建物を乗せてみた。
家具、家電と室内の色艶を揃えてみた。
壁面の凹凸を家具と揃えてみた。

「だからなんなんだよう。。」
ナニナニしてみた。だけじゃあ分からないではないか。。そこのところを突っ込んで欲しい。

ここでやりたかったことは、「ミニY町」を作ることだったの?
何をやりたいのか全くわからない。

ちなみに、家電と仕上のツヤを合わせても、所詮材料が違うから、全く同じにはなり得ない。つまり同じには見えない。。色艶合わせりゃ、違和感がなくなるのか?
なんとなく、無駄な抵抗に思えるのは私だけだろうか?
ますます設計の意図が分からない。

結果、出来上がった建物はなんとも言えず冴えない外観(P129の北東全景)である。間知石の擁壁が周りとの断絶を生んでいて、とってつけたような違和感がある。
周辺環境を取り込むなら、もうちょっと方法があったのではないだろうか。。

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