横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

林縁の虫

2016-06-11 05:56:18 | 日記



家の近くの高校の北側には林がある。
中には入れないのが縁の部分に木の花が咲いていたり虫などを見ることができる。






これはクワの葉に止まっていたキボシカミキリだ。
黄色の斑紋と長い触角が目立つキボシカミキリは割合よく見かけるカミキリだ。






カミキリたちは花や葉や茎なども食べるため大顎が発達している。






これはキイロスズメバチだろうか。何かを捕まえている。






テントウムシか何かの幼虫だ。
肉団子にして巣に持ち帰り幼虫に食べさせるのだろう。蜂の幼虫は肉食なのだ。




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あじさい

2016-06-10 05:58:35 | 日記



アジサイで有名な場所は鎌倉とか開成町とか箱根登山鉄道とかあちこちにあるが、
家の近所にも多くの株があるのでしばらくの間は十分楽しめる。






地区センターの植え込みにはガクアジサイが広がっている。






たくさんの小さな両性花のまわりに装飾花が額縁のように取り囲んでいる。






両性花は蕾から開花に向かうにつれて青色がしっかりしていくように見える。






5枚の花弁は平開し、雄しべは10本で雌しべの花柱は3個ある。






蜂は装飾花のほうでなくしっかりと両性花に来ていた。

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クリの花と虫たち

2016-06-09 04:54:59 | 日記



家の近所のあちこちに栗の木があって今ちょうど花盛りだ。
クリの花は雌雄異花で穂状になって雄しべが目立つのが雄花だ。






雌花は総苞の先に3個セットでついている。
実になるときは総苞(鱗片状)が次第にイガイガに変化していく。






匂いの効果もあってかさまざまな虫がやってくる。
近所のクリでは、今年はまだアカシジミなどは見ていないがキタテハの姿は多い。






トンボエダシャク(蛾の仲間)の数は多い。
蜜を吸っているのに背後からちょっかいを出すのがいた。雄だろうか。






ミツバチは両脇に黄色い花粉をいっぱいつけて動き回っていた。



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ツツジにアゲハ

2016-06-08 06:41:45 | 日記



湘南平で丸く剪定されたツツジがきれいに咲いていた。






するとチョウがヒラヒラ飛んできて花に止まった。






キアゲハが蜜を吸っている。ツツジの花はアゲハの仲間に人気があるように思う。






ツツジの花にはアゲハもキアゲハもやってくるが、
幼虫の食草はというとアゲハはミカン科でキアゲハはセリ科だそうだ。
キアゲハもミカン科と思い込んでいたのでちょっと意外だった。






善兵衛池を過ぎて住宅街のトウネズミモチの花にはアオスジアゲハがいた。

アオスジアゲハはクスノキ科の木の周りで見ることも多い。食草の関係だ。

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善兵衛と藤村

2016-06-07 06:43:40 | 日記



湘南平からは相模湾や富士山がきれいに見えるはずだが、
この日は靄がかかって残念だった。

昼を食べたあと真っ直ぐ南へ下りることとした。






子犬と一緒に上がってくる人とすれ違うなど比較的楽な道だ。






出会った花はホタルブクロのほかはアジサイが多かった。






山道が終わるあたりに、大きな樽を使った四阿風の部屋みたいなものがあった。
残念ながら近寄れないので入り口はじめ詳しいことは分らなかった。






そこからすぐに善兵衛池に出た。

江戸時代このあたりは川がなく痩せた土地であった。
1810年ごろ善兵衛さんが農地の開発を志し自力で用水池と水利を整えた。
それにより良田をつくることが出来て善兵衛は幕府に賞され苗字帯刀を許されたとか。






JR線をくぐって大磯駅方面に向かう途中に島崎藤村邸の案内が出ていたので立ち寄った。






藤村は昭和16年の1月に大磯のドンドン焼きを見に来て珍しい郷土行事と喜び、
また温暖な土地を気に入って同年春からこの地に住むようになった。

静子夫人と2年半を過ごしたが脳溢血に倒れ「東方の門」が絶筆となった。






この庭に面した広縁つき8畳の居間と4畳半の書斎と控えの間という簡素な住まいであった。

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