盛岡市の東側には散策道という名の、車道があります。かなり良い散歩道です。高松の池を中心に、愛宕山や松園に通じる道です。特に北山散策道は歴史も感じさせる道です。
高松の池の脇から出発です。
赤松の林を通ります。
以外と知られていないのですが、赤松には品種があります。特に岩手はその中の有力な3品種があります。自然状態ではモコモコっとした形になる東山、きれいな三角形になる侍浜、まっすぐな幹が美しい御堂があります。雑種もあるので何とも言えませんが、これは御堂系でしょうか。
冬の赤松は、風雪で幹が洗われて美しいです。
さて、横川省三の銅像があった所。戦中の物資供出で無くなってしまいました。
横川省三は戦前の盛岡では最高の英雄です。詳しくは
http://ja.wikipedia.org/wiki/横川省三
この人物は、確かに冒険家です。業績は確かにすばらしいのですが、「特別任務班第六班班長」という肩書きが重いです。要はスパイだったという事です。朝日新聞社時代からスパイだったとも言われています。日露戦争を勝利に導いたスパイです。
現在の基準ではどうかと思いますが、戦前教育では地域の英雄として教えられていたものだったようです。また横川省三も部下を盛岡で固めていたと、盛岡では伝説になっています。なのでその系列のスパイが盛岡からかなり輩出しているとも言われています。
更に岩手県の地縁・血縁主義ともいえる団結力がスパイには最高の、秘密を墓まで持ってゆくと評価が高かったようです。
ようですとか、言われてますとかアヤフヤなのはスパイの話しだから。本当に彼らは歴史に出てきません。ただ昔横川省三の木像を建立したというニュースがあったのですが、その時の出席者の印象が異様だったという記憶もあります。なんというか、横川省三の説明をしないとか、目配せだけで何かやっている感じとか。
オープンなのに閉ざされているなにか。
ただしやっぱりこぼれ話はあります。日中戦争で南京落城の直前まで蒋介石は、SXしていたというもの。伝説です。
この道は愛宕山に続いているのですが、愛宕山の雑木林の美しさと違うたたずまいです。
歌碑があったりします。盛岡ゆかりの教育家・歌人・書家の小田島弧舟の石碑です。書いている歌ですが、後で写真から読めば良いだろうと思ってましたが、読めませんでした。こういった石碑の解説文が脇にあったのですが、なんと歌を書いていない。
なのでネットで検索。「われひとり よのつねびとの みちこえて しづかにゆかむ さびしかれども」
47歳の歌のようです。私にはちょっとこの覚悟は出来そうにも無いです。
盛岡の東には、こうしてリンゴ畑が広がっています。
廃棄物でしょうか、変なオブジェです。
こちらの道を向かうと、我が家に近い所に出ます。
標識が充実していますが、肝心要の場所に無いような。とはいっても道に迷ったとしても大した事はありません。
実際山なのですが、住宅地のど真ん中でもあります。散歩している人が多いです。今日はきれいなお姉さんとすれ違いました。
もしも家を買えたら?この家は良いですね。昨年ずいぶん手直しをしたようです。
ロケーションがすばらしい。そして家の脇のコブシの木がすばらしい。あと盛岡の古い農家にしては、キッチリとした総2階です。盛岡の民家は基本、屋根裏を広げた作りが多いのでイマイチなのです。
さて北山散策道なのですが、ここからよくわからなくなります。なのでいったんこの三ツ割から、北山の寺町に向かう事にします。
途中に金比羅様があります。そこに向かう坂なのですが除雪がキッチリしています。これは地域住民の努力と、南斜面の賜物でしょう。
本当に急な坂です。
金比羅様の鳥居に辿り着きました。実はまっすぐ行けば良いのだろうと思っていたら、ちょっと曲がらなければ行けなかったようです。
金比羅様がナゼここにあるのかは、真面目に考えるべきです。榊山稲荷の山を越えた裏側、小本街道に面しています。
さて奉納されたこの額、陶器で出来ています。麓にある木村レンガの寄贈品です。
実は今回は、オーバーホールしたレンズと、修理したカメラ、そして中古で買った核安の円偏光フィルターのテストもかねています。現時点で非常に満足しています。特にこの12-24㎜F4レンズのコントラストが改善しました。しかも12ミリ側ですから言う事ありません。解像度も若干よくなりました。
これは誰が寄贈したのかよくわからないのですが、やっぱり木村レンガでしょうか。文字の所を何かで覆って焼成しています。
この程度は誰でも出来るとフツー思うでしょうが、実は以外とかなり難しい事に挑戦しています。
レンズテストをしています。オーバーホールしてコントラスト向上、解像度安定というのは今までの経験ではなかった事です。とはいえこの画像、ヤワヤワに直しています。
階段がガタガタで、ちょっと怖い下り坂です。慎重に降ります。
3年ぶりで金比羅様に来ましたが、かなり整理されていました。以前は変な寄贈物が脇にありました。例えば鋳物屋さんの寄贈物とかです。
金比羅様と火を扱う職業というワケの解らない状態です。本来は違う神様だったと思われます。
江戸時代、神社仏閣の建立は制限されていました。幕府へ許可を求めないと大規模なことは出来ないので、民間信仰とかイロイロ使って拠点を作ったようです。
その上明治維新で神様登録制限したものだから、よくわからない事が多いです。
城下町では、こういった準軍事拠点と信仰がないまぜになっている地点が数多くあります。
逆説的に、世界的に見ても紛争が起きやすい地域とかがポイントであります。そこも似たように軍事拠点だったりします。軍事と宗教という何ら関係のなさそうな話しですが、実は大きい話しだと思います。エルサレムなんて地中海最大のポイントですし。
密かに円偏光フィルターを使っていましたが、はっきりと使いました。以外と難しい。なんというかコントラストを上げるために使うというより、色のコントロールも要求されるようです。色温度が変わるようです。
こんな事も知らなかったのと怒られそうですが、このフィルターとっても高いものですし偏光フィルターのわざとらしさも嫌なもので、使う気にならなかったものです。
とりあえず厄介です。どう使えるか今後の課題になりそうです。
小さいリンゴ選果場とポンプ井戸です。
三ツ割トンネルがこの道の下に出来たので、不要になったと思われていますがかなり交通量があります。
リンゴの直売所があります。県庁まで歩いて15分でしょうか、無人販売所です。
この地域のリンゴ農家の中心地だから出来るのでしょうか。
さて、私青森出身なのでリンゴにはうるさいです。個人的に20年前から流行の矮化栽培の木のリンゴは、フレッシュで鮮烈な味わいですが、マイルドで繊細なバランスのニュアンスはこの辺りに多い古い栽培方法の古木から生まれます。とはいってもこの三ツ割地区のリンゴの評価は聞いた事が無い。
青森でも私の考える最上級のリンゴは青森市浪岡の黒石よりの斜面。黒石も浪岡よりの南斜面で、盛岡の三ツ割地区とかなり近い条件です。木の古さも同じなのですがなぜなのだか、味がボケているように思います。
悪口のように思われるかもしれませんが、逆説的に盛岡近郊のリンゴでおいしいと思うのは、この北上山地沿いのリンゴです。
あと、古い品種を探すとあるのがこの東側です。食べられる歴史という企画は出来そうですね。
盛岡でも有名な横沢パン。機械を使わない方向でパンを作っています。
チョロっと微妙な言い方をしました。手で生地を練っています。初めのあたりは機械だろうと疑っていますが、一次発酵の前に手で捏ねているだろうと考えています。
ここのパンですが、おいしいのですが今の流行とは全く違います。完璧な安定感です。戦前の技術を洗練させていいった系譜だと思います。戦後に入ったパン文化と、80年以降に入ったヨーロッパスタイルの本格派でもなく、木村屋のアンパンクラスの技術です。
馬鹿にしているように思われると困ります。ちょっと無い味なのです。なんだろう、麦を食べている。そういったら失礼か。素朴ではないが華麗ではない。
最高の日本のパン、でしょうか。
バイパスの陸橋と街道と、山田線が交差します。
さて北山の寺院通りにきました。
この通りは、歩道がロードヒーティングになっているはずなのですが、変なことが起きているようです。
何があったのでしょうか。