どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

パンチパーマちりちり

2012-04-01 16:54:08 | インポート
別にパーマを失敗した訳ではない。五分刈りでどうすれば出来るか逆に考えてみたいものだ。
昔NHKFMのジャズセッションライブ・505だと思ったが、その中でアカペラグループがこの曲を歌っていたのだが、あまりにも強烈で結構探しているのだが、全然見つからない。
元々サックス・フルート・篠笛のジャズプレーヤー岡淳の作曲した曲。もともと歌詞は無いのだが、パンチパーマの発音通りの音形なので、パンチパーマ・ちりちりとずっと歌い続けて最後にはジャングル風景になるという凄まじいパフォーマンスだった。バケモノテクニックにひたすら脱帽だった。
クオリティがとても高かったのできっとCDになっているのだろうと思っていたが、無い。どうもライブのみのようだ。
月日が経つにつれ、また聞きたいとどんどん思う演奏だった。

PS。今日はエイプリルフールだ。ネタだと思われた方、ぜひ検索を。「ビートでステテコ」でもググってみてください。


原発・よくわからない所2

2012-04-01 03:19:28 | インポート
電力会社は昔っから政府と仲が良かった訳ではない。戦後9電力に分割されたウラミもある。資源の傾斜配分もあり国からはかなり優遇されてきたのは確かなのだが、はっきりと癒着がはじまったのはこの原発建設の頃からのようだ。
確かに原発を作る際に、政治家がガッチリと地域の基盤を固めてくれる。そこに乗り込んで用地取得や漁業権の交渉をするのだ。おまけに不平不満は地方交付税で押さえ込んでくれる。とても都合が良かった。
しかし癒着しているとはいえ、電力会社は民間で株式会社だ。公益団体でもあるので原価方式で利益は保証されているが、それ以上の利益を追求しなければ行けない。その意味でもそうそうポコポコ原発を作れる訳ではない。
その上、民間企業なので政府が直接的な援助を出来る範囲はかなり限られている。
ただよく見ると、核発電所の計画が60年代に出来ている事がわかる。高度経済成長にあわせて計画が出来ていたと思われる。またオイルショック後に石油以外のエネルギー資源を求めて計画が進められてきたのだろう。
しかし原発は着工が決まってから稼働まで最低10年かかる巨大プラントだ。場合によっては20年かかる。そうそう作れるものではない。また地元対策にお金を使っているので、作れませんでしたとなった場合の損金をどうすりゃ良いんだともなりがちだ。八場ダムでもそうだったが長引く計画は民間企業ですら撤退できない状況に追い込む。
ここで考えたいのは、原発建設計画を支えた根拠だ。つまり経済産業省、当時の通産省の電力需要の見通しだ。調べてはいないが大体の所、超強気だったのではないのだろうか。出産率が3倍程度とか20年間の経済成長率が8%以上とか、そういった数字に支えられた需要見通しがあったのではないのだろうか。これがオイルショックで石油以外の資源を求めて通産省はかなり研究している。その中で原発が注目された。しかし電力需給見通しは変わらなかったのではないのだろうか。
しかしオイルショック以降、電気の使い方が変わってきた。全体電化製品の性能が向上し省エネ型になってゆく。もちろん電化製品が多くなる生活や、ビルが多くなりエレベーター・エスカレーターが増えたりして電力需要は増えてゆく。精密加工などが増えて工業でも電力需要が増えた。だが現在と60年代に作られた電力需要見通しには齟齬が起きていたのではないのだろうか。


実は信憑性のあるウワサなのだが、今年の冬東北電力は東京電力から電気を買わなくて済んだらしい。夏の豪雨で福島県内の水力発電所を失った東北電力がだ。これは何を意味するのだろうか。


電力会社は株式会社だ。出来るだけ利益を出さなければ行けない。これは確かだ。80年代の後半から各電力会社は深夜電力を格安販売をする。需要のミスマッチがあるからだ。そしてオール電化の家を推奨し始める。実はここに大きな矛盾がある。電気需要のミスマッチを拡大させる方針なのだ。
電力会社が利益を増大させるためには、常に需要を喚起する必要がある。オール家電はそのための手段なのだが、ピーク時の需要を増やす結果になって、深夜のムダを更に生んでしまう結果になる。このミスマッチを生んだ原因はなにかと言えば、過剰に出来た原発なのではないのかと考えられる。


計画時点では誰もが考えていなかったとしか思えない事がある。それは建家と中に入る発電プラントとの、寿命の違いだ。例えば福島第一で言えば、プラントの設計寿命は10年だった。しかし建家は減価償却が一般的な鉄筋コンクリートに準じるならば38年だ。原発だったらもっと長いだろう。なのでプラントの寿命がきてもオイソレとは全部廃止には出来ない。建物の減価償却が残っているからだ。なのでプラントの修理を行う。シュラウド交換なんてオソロシク馬鹿げた費用をかける。当然建物も改修して補強する。それぞれの費用は私の人生がいくらあれば足りるのかよくわからない数字が出てくるほどだ。ここでビル・ゲイツ換算とかそういった指標が必要になるかもしれない。
多分誰も計画時点で考えていなかったのが、廃炉にする時だ。逆にあまりにも頑丈なので修理し続ければ永遠に使えると思っていたのが60年代だったのではないのだろうか。

電力会社は、民間企業だ。廃炉が決まったら少なくとも30年間は燃料なしでシステムを動かし放射能レベルが下がるのを待つしかない。これは損金になる。これをどの程度覚悟してきたのかよくわからないが、やっぱり初めっから考えていなかったとしか思えない。
そして意外なランニングコストが発生したのは大きいと思う。計画当時には研究が無かった応力腐食割れなどの現象だ。莫大なエネルギーが格納容器に普通では考えられない反応を引き起こすのだ。これは70年代まではさほどの問題ではなかったが、80年代以降大問題になってしまう。
次が更に悲惨なのだが、維持管理の人件費がとてつもなく圧縮されているのではないのだろうか。本来は電力会社が現場での維持管理技術を持った社員を育成して配置させるべきなのだが、そうなっていない。福島第一で4次請負という考えられない雇用状況が判明した。偽装派遣まであった。以前からウワサにあった原発ジプシーもいた。


原発を正しく運営した場合のコストは、とても高いのではないのだろうか。もちろん廃棄物処理は国が持つとしてもだ。


だから一番わからないのは、どうして原発に対して電力会社が撤退とまでは言わないが減らす方向に行かなかったのかだ。もう一度言う。株式会社なのだ。民間だから逆にできる事なのだ。損金を発生させ赤字になっても社会的な責任とかって言い切れば良いだけの事なのだ。
筆が滑った。民間なので赤字決済を回避しようとし続けたのだろう。例えば全電力喪失についての答申を歪めたのは電力会社だろう。追加で起きる経費を出来るだけ避けたかったのだろう。
しかし、原価からの計算方式でフツーの人の電気料金は決まっている。そこには原発の減価償却費も入っている。つまりある程度は?減価償却費を貰っているハズなのだ。

一体何があるのだ!
40年経過した原発を廃止すると政府が言った時の電力会社の反応がすごかった。つまり税制上と経理上の問題をあわせて政府は40年と言ったのだろう。これに対する電力会社は投資を取り戻せないと言ったものだったと思う。多分核燃料サイクルに対する投資などを国から要請されて出資してきたとかまあいろいろあるのだろう。
ただここで、もしかするとなのだが、よく言われている原発のコストより、実際のコスト(燃料廃棄のコストは抜かしても)は高いのではないのかと、思わせる事件だった。原価計算で電気を使う私らは、そのコストを払ってきているハズだったのでなおさらだ。

どんどん自分でもわからなくなってきている。