民間企業として電力会社は大きな欠点を持っている。それは資本回転効率が悪いという事だ。これは電話や水道、ガスにも当てはまる事だ。まず各家庭に配信するために電線を引かなければならない。もうこれだけで十分だろう。発電所はお金を稼ぐ電気を作るが、電線や電柱はメンテナンスや土地利用に対する使用料やなんやかんやかかる。
なぜソフトバンクが携帯電話事業に飛びついたかと言えば、彼らはコンテンツ配信でもうけるからであって、実際インフラ整備に汲々としている。
戦前の電力王だった松永翁が、電気事業の民営化にこだわり抜いたのは、資本回転率の悪い中でどうやって利益を出してゆくのか、これには競争が必要でありその苦労がなければ行けないと見抜いたものだからだろう。もちろん澁澤栄一の言う所の実業であり続けるためにだ。社会や国家のためになりながら、利益を出し続け発展させてゆく、実業という言葉にはそういった意味合いが含まれている。
それが地域独占で総括原価方式で利益が保証される。そして努力の末電力の安定供給が出来るようになってきたのが60年代だったのだろう。電力会社としては利益を出すための次の一手が欲しかったと思われる。
また水力発電などの計画がうまく行かなくなったのもこの頃だ。度々出てくるが八場ダムなんてその際たるものだろう。公害で石炭はダメ、オイルショックで石油もだめ、LPGなんてどうやって運ぶんだよ!という時代だ。まあそこまで先は読めたかどうか解らないが、競争の無い所にある閉塞感があったと想像している。
これが電力会社が原子力に飛びついた理由なのではないのだろうか。
つまり、電力料金が固定されている状況でこれ以上利益を上げる方法は更に大資本になる事だったのではないのだろうか。電力需要も見込めていた。ただ手段が限られていた。
しかしだ、政府と手を結ぶという事はどうゆう事なのか?国鉄しかりJTしかり、日本郵政しかりろくな結果になったためしがない。たいてい政治に翻弄される。キッパリと縁を切れたのはNTTだけだろう。
電力会社はオイシイ思いもしたが、政治献金や情報操作に加担し、核サイクル基地建設と高速増殖炉建設のため金をしぼられ、交付金の途絶えた原発のある町村から新規原発建設をお願いされた。あげくの果てに大需要家向けには自由化が求められた。
実はこの癒着の関係だが、実際の所電力会社は辟易としていたのではないのだろうか。それでも続けてきたのは原発を持っている事で政治力が必要だったからだろう。そして互いになあなあの関係になり、甘えも生じていたのではないのだろうか。
原子力関連では政府機関はかなり甘めの採点をしてくれていたし、シビアアクシデントの時の保証もあった。(とはいっても政府は今回の事故を想定してはいなかったのが問題でもある)
癒着から甘えへ、この変化があったと思われるのは最近のゴタゴタだ。政府が一義的には東電の責任、政府はサポートに回るみたいな言い方をはじめにしていたと思うが、ここからはじまる政府と東電のやり取りがあまりにも変だからだ。特にねじれが大きくなったのは枝野経済産業大臣が「株式総会での議決権」を要求した。これに対して東電が拒否した。我々は民間であってこそこの事態を管理できるみたいな大見得を切ったのだ。
実は議決権を持つ事で、国が責任をかぶるとウラでは言っていたのだ。
ここからの泥沼は怒りさえ覚える。東電は大電力契約者に対して値上げを言い出した。大電力は自由化されているから、この値上げは確かにできる。しかし政府に取ってはこれはとんでもないカードを切られた訳だ。これに対して政府は自由化されている大口契約に対して、独占禁止法に触れていないかどうか調査をはじめた。その直後に東電は政府に対して1兆円の融資を申し込んだのだ!年度末だから、通りやすいというのが理由だ。
どうゆう事だ。
私らは巨大な3歳児を目の前にしているのか?
さて気を取り直そう。今後の問題だ。
現在の地域独占の電力会社を、発電・送電を分離するという当たり前のプランがある。正直な所東電はこのプランを受けるべきだと思う。絶対ムリというのは沖縄と北海道電力であって本州は確実にできるだろう。しかしこれはすぐには出来ない。理由は簡単で、電力会社が採算の取れない部門だと思っているからだ。それでいて地域独占のための虎の子でもある。相当難しいだろう。
それでは、この間原発がいきなり全廃止になった場合なのだが…確かにこの方が良い…現在の原価方式での電気代の決定では廃炉に至る経費が電気料金に乗っかってくるのだ。とりあえず天然ガスで運用したとしても、もちろん原発の本当のコストが入っていなくとも、今以上に電気代が上がるのは確かだ。天然ガスに関しても、日本はパイプラインを作りにくい島国なので、液化天然ガスプラントと船が必要になる。ロシアもアメリカも今作り始めている段階だ。しばらくはコスト高が続く。
現在東電が非難されているが、これは全国に広がる話しだ。他人事ではない。
歴史的経緯とかいろいろ考えてきた。自分の脳内では単純な陰謀説で遊んだりも出来る。でも現実はそんなもんじゃない。整理しようとがんばってきたが錯乱しっぱなしで、本当に解らない。
おまけに見栄とかいろいろあるんじゃないのか。もちろんアメリカから輸入しなければ行けなかった経緯もあって、東電では沸騰水型のコストは安いし単純だが安全管理のキビシイやつと、関電の加圧水型の放射能漏れが少ないが、設備が複雑で壊れやすくメンテナンスの経費が大きい二つのタイプが東と西で分かれている。これは確実に見栄と政治だ。全体で見ればなんでこうなっているのか異常なのは間違いが無い。
年金もそうなのだが、前の世代の壮大な、負の遺産を私らは目にしている。
原発なんか引き継ぎたくない。しかしどうこうしても使用済み燃料の保管とかイロイロが絶対かぶさってくる。
これらを理解して合理化したいのだが、やっぱり錯乱してしまう。これがこの文章の一番言いたい所だ。
汚染された土地に生きるためには、逃げる事もかなわないのなら、どう受け止めれるのか。
さて本稿の本当の最後なのだが、反核物質派に言いたい。もはやどうしようもないのだ。
出来る事は、原子力政策の徹底的な情報公開だ。これに基づいてダマシダマシ現在のシステムを運用しなければ何ともならない状況になっている。市民活動は確実に曲がり角にいる。今のやり方では確実に意味の無い形に終わるだろう。
今現在の本当の市民運動は、資本主義を逆手に取る事だ。ネットがどうかと言われているが、それは別な話し。アメリカの例では確実に使える。この言葉が意味する事はとんでもないが、絶対考えなければいけない。
まあ例を上げれば、東電株を持っている銀行から預金を全額引き出すとか、それを反原発を鮮明にしている湘南信金だったかに移すとか。まあイロイロ。
政府が悪いのか東電が悪いのか、両方悪いのだが、弱い所を叩くのが基本だという事を忘れないで欲しい。しかもロジックが整備されていて公開されている。ここが資本主義のポイントだ。
しかし一番弱いのは、東北そのものなのだがネ。
市民が市民になる方法でもある。
PS
今年のネットでのエイプリルフール祭りはイマイチだった。やっぱり福島第一以降何がギャグになるのかならないのかすごく苦しんでいるように思えた。まずもってこれが震災の影響なのだろう。
錯乱している文章だが、私はラクになった。もうどうして良いのか分からない。東電が1兆円政府にカネカシテと言った瞬間からはじまっていたのだが、ウチキリにします。こんな事をダラダラと考えるほど人が出来ていません。このところの記事は、どうも世間に良くない事を書いているような気もしています。
自分の書いている事に甘えを感じています。
ポパイの決め台詞で。「オレはオレでオレであってオレ以外の何者でもない」といった境地が欲しい今日この頃です。
なぜソフトバンクが携帯電話事業に飛びついたかと言えば、彼らはコンテンツ配信でもうけるからであって、実際インフラ整備に汲々としている。
戦前の電力王だった松永翁が、電気事業の民営化にこだわり抜いたのは、資本回転率の悪い中でどうやって利益を出してゆくのか、これには競争が必要でありその苦労がなければ行けないと見抜いたものだからだろう。もちろん澁澤栄一の言う所の実業であり続けるためにだ。社会や国家のためになりながら、利益を出し続け発展させてゆく、実業という言葉にはそういった意味合いが含まれている。
それが地域独占で総括原価方式で利益が保証される。そして努力の末電力の安定供給が出来るようになってきたのが60年代だったのだろう。電力会社としては利益を出すための次の一手が欲しかったと思われる。
また水力発電などの計画がうまく行かなくなったのもこの頃だ。度々出てくるが八場ダムなんてその際たるものだろう。公害で石炭はダメ、オイルショックで石油もだめ、LPGなんてどうやって運ぶんだよ!という時代だ。まあそこまで先は読めたかどうか解らないが、競争の無い所にある閉塞感があったと想像している。
これが電力会社が原子力に飛びついた理由なのではないのだろうか。
つまり、電力料金が固定されている状況でこれ以上利益を上げる方法は更に大資本になる事だったのではないのだろうか。電力需要も見込めていた。ただ手段が限られていた。
しかしだ、政府と手を結ぶという事はどうゆう事なのか?国鉄しかりJTしかり、日本郵政しかりろくな結果になったためしがない。たいてい政治に翻弄される。キッパリと縁を切れたのはNTTだけだろう。
電力会社はオイシイ思いもしたが、政治献金や情報操作に加担し、核サイクル基地建設と高速増殖炉建設のため金をしぼられ、交付金の途絶えた原発のある町村から新規原発建設をお願いされた。あげくの果てに大需要家向けには自由化が求められた。
実はこの癒着の関係だが、実際の所電力会社は辟易としていたのではないのだろうか。それでも続けてきたのは原発を持っている事で政治力が必要だったからだろう。そして互いになあなあの関係になり、甘えも生じていたのではないのだろうか。
原子力関連では政府機関はかなり甘めの採点をしてくれていたし、シビアアクシデントの時の保証もあった。(とはいっても政府は今回の事故を想定してはいなかったのが問題でもある)
癒着から甘えへ、この変化があったと思われるのは最近のゴタゴタだ。政府が一義的には東電の責任、政府はサポートに回るみたいな言い方をはじめにしていたと思うが、ここからはじまる政府と東電のやり取りがあまりにも変だからだ。特にねじれが大きくなったのは枝野経済産業大臣が「株式総会での議決権」を要求した。これに対して東電が拒否した。我々は民間であってこそこの事態を管理できるみたいな大見得を切ったのだ。
実は議決権を持つ事で、国が責任をかぶるとウラでは言っていたのだ。
ここからの泥沼は怒りさえ覚える。東電は大電力契約者に対して値上げを言い出した。大電力は自由化されているから、この値上げは確かにできる。しかし政府に取ってはこれはとんでもないカードを切られた訳だ。これに対して政府は自由化されている大口契約に対して、独占禁止法に触れていないかどうか調査をはじめた。その直後に東電は政府に対して1兆円の融資を申し込んだのだ!年度末だから、通りやすいというのが理由だ。
どうゆう事だ。
私らは巨大な3歳児を目の前にしているのか?
さて気を取り直そう。今後の問題だ。
現在の地域独占の電力会社を、発電・送電を分離するという当たり前のプランがある。正直な所東電はこのプランを受けるべきだと思う。絶対ムリというのは沖縄と北海道電力であって本州は確実にできるだろう。しかしこれはすぐには出来ない。理由は簡単で、電力会社が採算の取れない部門だと思っているからだ。それでいて地域独占のための虎の子でもある。相当難しいだろう。
それでは、この間原発がいきなり全廃止になった場合なのだが…確かにこの方が良い…現在の原価方式での電気代の決定では廃炉に至る経費が電気料金に乗っかってくるのだ。とりあえず天然ガスで運用したとしても、もちろん原発の本当のコストが入っていなくとも、今以上に電気代が上がるのは確かだ。天然ガスに関しても、日本はパイプラインを作りにくい島国なので、液化天然ガスプラントと船が必要になる。ロシアもアメリカも今作り始めている段階だ。しばらくはコスト高が続く。
現在東電が非難されているが、これは全国に広がる話しだ。他人事ではない。
歴史的経緯とかいろいろ考えてきた。自分の脳内では単純な陰謀説で遊んだりも出来る。でも現実はそんなもんじゃない。整理しようとがんばってきたが錯乱しっぱなしで、本当に解らない。
おまけに見栄とかいろいろあるんじゃないのか。もちろんアメリカから輸入しなければ行けなかった経緯もあって、東電では沸騰水型のコストは安いし単純だが安全管理のキビシイやつと、関電の加圧水型の放射能漏れが少ないが、設備が複雑で壊れやすくメンテナンスの経費が大きい二つのタイプが東と西で分かれている。これは確実に見栄と政治だ。全体で見ればなんでこうなっているのか異常なのは間違いが無い。
年金もそうなのだが、前の世代の壮大な、負の遺産を私らは目にしている。
原発なんか引き継ぎたくない。しかしどうこうしても使用済み燃料の保管とかイロイロが絶対かぶさってくる。
これらを理解して合理化したいのだが、やっぱり錯乱してしまう。これがこの文章の一番言いたい所だ。
汚染された土地に生きるためには、逃げる事もかなわないのなら、どう受け止めれるのか。
さて本稿の本当の最後なのだが、反核物質派に言いたい。もはやどうしようもないのだ。
出来る事は、原子力政策の徹底的な情報公開だ。これに基づいてダマシダマシ現在のシステムを運用しなければ何ともならない状況になっている。市民活動は確実に曲がり角にいる。今のやり方では確実に意味の無い形に終わるだろう。
今現在の本当の市民運動は、資本主義を逆手に取る事だ。ネットがどうかと言われているが、それは別な話し。アメリカの例では確実に使える。この言葉が意味する事はとんでもないが、絶対考えなければいけない。
まあ例を上げれば、東電株を持っている銀行から預金を全額引き出すとか、それを反原発を鮮明にしている湘南信金だったかに移すとか。まあイロイロ。
政府が悪いのか東電が悪いのか、両方悪いのだが、弱い所を叩くのが基本だという事を忘れないで欲しい。しかもロジックが整備されていて公開されている。ここが資本主義のポイントだ。
しかし一番弱いのは、東北そのものなのだがネ。
市民が市民になる方法でもある。
PS
今年のネットでのエイプリルフール祭りはイマイチだった。やっぱり福島第一以降何がギャグになるのかならないのかすごく苦しんでいるように思えた。まずもってこれが震災の影響なのだろう。
錯乱している文章だが、私はラクになった。もうどうして良いのか分からない。東電が1兆円政府にカネカシテと言った瞬間からはじまっていたのだが、ウチキリにします。こんな事をダラダラと考えるほど人が出来ていません。このところの記事は、どうも世間に良くない事を書いているような気もしています。
自分の書いている事に甘えを感じています。
ポパイの決め台詞で。「オレはオレでオレであってオレ以外の何者でもない」といった境地が欲しい今日この頃です。