どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

教育の話のはなし

2014-07-20 02:00:10 | インポート
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以前もの凄く引っかかっていた事があった。ある先生と話をしていて、

「今の小学校の先生の教育テクニックって、凄いですよね」と聞いた所、その先生は「何を教えるのかを追求するべきだという考えもあるのだが…」と言った会話があった。



いろんな考え方があった。「生きる力」を教えるとかディベートとか、心を育むとかイロイロあった。


桜山稲荷の火事現場だが、きれいに片付いた。この地での「生きる力」を教育に盛り込むのは、違法建築群なので無理だが、生きる力ってこういったものでもある。




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教育と言うのは何かと考えれば、大人になるための「準備」ということだ。なので大人になった時に、必要になるものを教えるのが教育となる。

所が大人になった時に、必ずしも必要がないものがいっぱいある。一番大きいのは国語の古典だろうか。現代口語訳のものもいっぱいあるし、その前に和歌を詠む生活と言うのは、通常は無い。


だがそれらがあるのはなぜかと言う事だ。


生きる力だったら、間違いなく読み書きと算数だけでいい。戦前の尋常小学校では基本はこの程度、あとは歴史だろうか。




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だが、その前に「大人になる」と言うのは、学校で教えていない。「大人になる準備」と「大人へのなり方」はほぼ無い。


問題は大人像がない事だろう。戦前の教育制度も社会の変遷でクルクルと変わっていて、基本像はなかなか言えないのだが、読み書き算数の最低教育が尋常小学校、それよりマシなのが高等小学校、地域のエリートが中学校、国単位のエリート候補が高等学校、エリートが旧帝大と住み分けがあった。


蛇足だが私学教育と言うのもあり、この制度を補間していた。あとは満州開拓のための開拓教育とか、実学教育もかなり目立つ。



階級社会に則った形式だったと思う。そしてその階級から脱出できるシステムでもあった。


美談としてよくあるのが、尋常小学校の子供を直接面倒見て学費まで払って上位の学校に進学させた先生とか、地域で進学資金を出した話とかだ。版画家の棟方志功は、青森の弁護士組合が金を出し合って、東京に送った。
地域から傑出した人物を出したいと言うコンセンサスがあったのだろう。そしてもしかすれば、故郷に錦を飾ってくれるかもしれない。そういった思惑もあったかもしれないが、システムとして可能だったことが大きいと思う。思いっきり優秀で貧乏だった場合には、陸軍幼年学校と言う道もあった。





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ここで見えているのは、戦前は階級と言う形で、大人があった世界だ。それらにあわせた教育制度と選抜方法があったのだが、戦後階級差が縮まり、民主主義になると階級が無い事が前提の教育となる。



すると、大人の姿が漠然としたものとなったわけだ。階級が無いと言う前提なのだから、誰もが上位を狙う事が出来る。奨学金制度もこのために出来た。努力次第で道が切り開かれる社会となったわけだ。


そうすると、だれもが受験戦争に参加していると言うのが、戦後の姿になる。

なお戦前の受験戦争の方が、それはそれは恐ろしいレベルだった。第一高等学校で1000倍とかだ。こうなると記念受験がかなり多そうに思えるが、定員が少なかった事が原因だ。現在で言えば短大に当たる高等学校だが超エリートコースなので、こういったことが起きる。実際は旧制中学から実学系の高等農林とか工業、師範学校などの道もあったし、尋常小学校から高等小学校へのふるい分けも早くからあり、受験戦争の意味合いが違う可能性がある。。




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相変わらず関係ない写真だな。工学部出身が焼き上げるブリオッシュというのも変なものだ。



戦前と戦後も変わらなく行われていたのが詰め込み教育だ。この起源は古すぎるほど古い。間違いなく紀元前からある教育法だ。古今東西の文献に精通していないと話にならない。代表例がキリスト教だろうか。今でも牧師や神父は聖書のどこの第何節がといわれたら正確に答えられなければいけない。儒教もそうだ。


なにしろ議論があるからだ。全文暗記してすぐに取り出せないようだとバカだと言われてそれでおしまいの世界だ。この影響は大きいと思う。


だがそれ以上に大きいのは、社会要請だっただろう。維新後すぐに西洋教育が始まるのは富国強兵政策からだが、算数も出来ない砲兵はいてはいけない。命令伝達が方言で間違ってしまってはいけない。そして西洋に強いエリート養成のための大学が必要と言うのがあった。このための教育制度の構築が急そがれたのだろう。

そのうち社会が安定するに従って、実学系教育が増えるのも時代の要請だった。


そして戦後も、高度経済成長期に技術者・管理職候補が不足した。このため70年安保の伏線となる、日大水増し入学、いやどの大学でもやっていたのだが、定員の10倍の入学者とか文部省は容認していた。


早く大人が欲しかった時代があった。そう考えるべきだろう。





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自分で言うのもなんだが、訳の分からない考えになっている。本当ならば、大人と言うのは何かと言うのが教育制度に無いから面倒だと言いたかったのだが、書いているうちに違う方向にズレて行っている。

ただ、戦前と戦後の違いは大きいと思う。大人の姿が良くわからなくなって来ているからだ。ここで大きいのは情報化社会だろう。業種があり犯罪とかさまざまな大人の姿があり、戦前とはかなり違う形になっている。


この辺りの何かに、もの凄い問題があるような気がする。もう少し考えたい。





劇団よしこ「迷九数唄」をみてきたよ

2014-07-20 00:54:18 | インポート
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7月19日、雨の予報だったのがなんとか保った天気です。


劇団よしこですが、10年おきに1年休業すると決めていて、昨年は休業でした。再開年に新作「迷九数唄」となりました。「番町皿屋敷」のよしこ版です。


撮影で入っているので、早めの楽屋入りでしたが、なんと開演1時間以上前にお客さまがロビーにいらっしゃるではありませんか。コレって私初めてです。ムチャクチャ緊張してきます。そして満員、追加席まで出てきます。


まだあとひと公演、7月20日盛岡劇場タウンホール14時開演ですので、ネタバレは止めておきましょう。お客様の反応なのですが、1時間後には涙が聞こえてきます。カメラマン泣かせてどうすんのよというレベルです。


ところがとても構造がシンプルな芝居で、能の興行を圧縮したような所があります。能と狂言の交差です。ちょっとシンプル過ぎて私にはアレ?っとなるのですが、ラストにとんでもないものが待ち構えております。


ヒントは「手」。トップに伏線でチラっと出ていて、ず~っと演技上出ているのですが、私見落としていました。なのでやられた感が凄いです。なぜか養老孟司の「バカの壁」を思い出しました。男ってこの辺ダメなんだよな~。


よしこと言えば「ドロドロ」と「カタルシス」ですが、このラストはもう一つ上と思います。


「憑き物が落ちる」感覚がこの舞台にあります。



さて7月20日盛岡劇場タウンホール14時開演、つまり明日ですね。これが最終公演になります。