どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

あの漫画はSFだったのだろうか

2017-06-13 00:54:43 | 日記

 

今日は日が出るとそれなりに暖かいのだが、少し陰るとたちまち肌寒くなる1日だった。3時過ぎには雨が降り始めて夕方にはかなり降った。

そんな一日仕事をしながら、変なことを考えていた。「Dr.スランプ」はSF漫画だったのかということだ。この漫画が出た時には、絵が綺麗、話が面白い、実はウンコを描いてもなぜか下品にならない世界観、そしてロボット漫画だったのだ。当時オタクどもとこれはSFなのだろうかそれともファンタジーなのだろうかと議論したことがあった。結果ロボット漫画ではあるが、妖精が出てくる時点でファンタジーである、という結論になった。

それで正しいと思う。だが変な視点が出てしまったのだ。あれは手塚治虫のSF漫画の反証ではなかったのかということだ。ただし、ギャグマンガとして作るために設定をずらしているだけのように感じる。まあ世界観が違うんだから当然だ。

当然鉄腕アトムがロボット漫画としては出てくる。ただあの最初っから優等生なAiは存在するのか?というのが一つはあるのではないのか。今Aiと描いたが、手塚治虫世界ではロボットは単なるアルゴリズムで動いているわけではなく、人工知能が必要だと考えていた。アシモフもそうだったろう。つまりはAiなのだが、最初っからまともに動くAiはないと手塚治虫でも考えていた。なので生みの親の天馬博士は亡き子の代わりに最高のロボットを作るが、我が子同然に育てる。つまり教育が必要になると考えていた。

ここを「Dr.スランプ」は突いていたと思う。

アトムの初期教育ってどうだったんだろうと考えれば、10万馬力の小学生なのだ。教育不能だろう。暴走し続ける。どうやってしつけたかといえばロボット三原則となるのだが、そもそも人に危害を加えないという項目の広さが、ギャグを生む。

 

 

ついでに天馬博士は亡き子に似せてアトムを作るが、あんまりにも高性能なので兵器にしよう考え、アトムから拒否される。一応作ったのが子供の代わりだったのが、そうじゃなくなったのでアトムのAiは拒否をしたということになるのだろう。

海苔巻煎餅博士は、モテなくて自分を愛してくれるロボットを作るが、記憶がオボロだが人型はなぜか子供しか作れないというジレンマがあったと思った。まあここはジャンプなので今後出てくるセクシャロイドロボットは描けないわけだが、天才が作った割には暴走しまくりの全然愛してくれないジャジャウマが出来上がってしまった。そこでこのロボットを教育するために小学校に送り込むのだが、そこに美人教師がいて、かの女とお近づきになる手段として使うことを考えるのだが、全くうまくいかない。Aiが常に間違った答えを出すからだ。学習が全く足りないのだ。

しかしだ、ここで海苔巻煎餅博士はついついアラレちゃんを人間のような言語体系で扱ってしまっている。Aiの取り扱いを博士そのものが混同してしまっているわけで、間違うのも確かなのだ。

手塚治虫にはブラックジャックという名作がある。そこに出てくるピノコは、本来双子で生まれてくるはずの一卵生双生児が、片方の体に取り込まれて生育不良を起こして、共に生きてしまったのが大きくなりすぎて摘出手術されるというものだが、全ての臓器や神経系が揃っているのに体の形がないという状態だった。それをブラックジャックは人口骨格や皮膚で組み立てあげて人にしてしまった。なのでピノコは姉の記憶を共有しているのだが、体からのインプットとアウトプットが全くうまくいかない。なので幼児体形そのものの動きしかできない。それでも知能は高いのでブラックジャックの助手も務められる。

 

 

「Dr.スランプ」では男の欲望全開が全くうまくいかないのがギャグの基本だったと思う。ドラえもんとのび太を足して2で割ったおっさんで天才の海苔巻煎餅博士は、とってもカッコ悪くしたルパン3世でもある。無理やりな科学技術も共通したところがある。そういった不純動機に対するアンチテーゼとして、とんでもないのが出てくる。

Aiの方が純粋だという考えだ。なので純粋な子供の前にしか現れない妖精がやってくるのだ。ガッチャンだ。

どうしましょうか。ディズニーを敵に回す勢いの、食欲しかない妖精さんです。ところがですね、伝説にある妖精さんはいい妖精さんもあれば悪い妖精さんもいるけど、イタズラ好きというのが共通項でそこは押さえていたと思う。魔法は使っていなかったと思うがどうだろうか。

 

 

自立型Aiロボットの漫画はいっぱいあったと思う。ここだけに注目すれば、「Dr.スランプ」はSFだったと思う。問題はガッチャンだが、それは人類へのアンチテーゼだとしてしまおう。ものすごく都合のいい妖精さんだが、真面目に考えればゴミ問題を解消できるよな。博士のゴミのような発明は一発で消えてしまう。

Aiが身近になってきた今、考えればそうだったなというのがある。今ビックコミックで連載している細野不二彦氏の「バディドック」は一番の矛盾を解決している。それはメモリーの問題だ。インターネットを使った記憶の分散処理と、サーバーを使った分散処理で巨大なAiのシステムを維持しながら、Aiは子供を作った、まだ話はそうはなっていないが、そこで愛はどうなのかという話になるんではないのかと思われるが、ネットという巨大なメモリーがあるから、この概念ができる。

そう「Dr.スランプ」は、メモリーが限定だったあの時代のSFなのだ。鳥山明氏にオタクのような感じは全くないが、当時のスーパーコンピューターでも大型汎用機でも圧倒的にメモリーが足りなかった時代の、Aiの挙動そのものがアラレちゃんなのだ。

そう、カセットテープでOSを立ち上げていたあの時代、いやフロッピーディスクシステムがお高かった時代の漫画だとすれば、なんであれがSFかどうかという議論が起きたのはわかる。そもそもありえないからだ。

「Dr.スランプ」は人が作ったものが手に負えなくなるという点でも、SFだねぇ。