どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

連休です

2014-07-21 02:24:51 | インポート
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19日からの3連休です。本町の金比羅山でもお祭りだったり、いろいろなイベントが行われているようです。


私と言えば、午前中にチロっと仕事をして、午後からはよしこの芝居を見に出かけました。その途中の肴町です。市民オーケストラがブラームスのハンガリー舞曲を演奏しています。


場所が場所なので音の反射が酷いですね。で、何が起きるかと言えば細かいパッセージのうち、弦楽器のある音が消える現象が起きていました。ドかな?かぶさって聞こえなくなるのではなく、あるかないかに弱まってしまうわけです。


まさかと思って位置を変えたりしたのですが、大体この周辺はそうなっていました。繰り返しの同じパッセージで、同じ音を抜いていたとは考えにくいので、消えていたんでしょうね。




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八幡町です。「メゾン・グリシン」。良くわからないネーミングです。「グリシン」といえば普通はアミノ酸の事ですよね。あとは、ソ連の政治家とかスイスの時計メーカーとかあります。


重要なアミノ酸なのですが、必須アミノ酸ではないですね。生体合成できるので、サプリメントとかであえて摂取するものでは無いですね。採る場合には、大量に摂取しない事が大切なようです。



名前の由来が解らない…




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八幡でもなにかお祭りがあるようです。残念ながらよしこの芝居が終わった三時半にはもう終わっていました。




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あゆ釣りが7月1日に解禁されました。しかし割合雨が多かったもので、増水を嫌ってあまり人は見かけませんでした。この連休はかなりの人がいます。







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月が地球に接近する現象、「スーパームーン」なのですが、ようやく今日拝めました。




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そういえば先週、馬が変な草の食べ方をしていた。前足を思いっきり踏ん張っている。首が痛いのだろうか。


教育の話のはなし

2014-07-20 02:00:10 | インポート
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以前もの凄く引っかかっていた事があった。ある先生と話をしていて、

「今の小学校の先生の教育テクニックって、凄いですよね」と聞いた所、その先生は「何を教えるのかを追求するべきだという考えもあるのだが…」と言った会話があった。



いろんな考え方があった。「生きる力」を教えるとかディベートとか、心を育むとかイロイロあった。


桜山稲荷の火事現場だが、きれいに片付いた。この地での「生きる力」を教育に盛り込むのは、違法建築群なので無理だが、生きる力ってこういったものでもある。




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教育と言うのは何かと考えれば、大人になるための「準備」ということだ。なので大人になった時に、必要になるものを教えるのが教育となる。

所が大人になった時に、必ずしも必要がないものがいっぱいある。一番大きいのは国語の古典だろうか。現代口語訳のものもいっぱいあるし、その前に和歌を詠む生活と言うのは、通常は無い。


だがそれらがあるのはなぜかと言う事だ。


生きる力だったら、間違いなく読み書きと算数だけでいい。戦前の尋常小学校では基本はこの程度、あとは歴史だろうか。




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だが、その前に「大人になる」と言うのは、学校で教えていない。「大人になる準備」と「大人へのなり方」はほぼ無い。


問題は大人像がない事だろう。戦前の教育制度も社会の変遷でクルクルと変わっていて、基本像はなかなか言えないのだが、読み書き算数の最低教育が尋常小学校、それよりマシなのが高等小学校、地域のエリートが中学校、国単位のエリート候補が高等学校、エリートが旧帝大と住み分けがあった。


蛇足だが私学教育と言うのもあり、この制度を補間していた。あとは満州開拓のための開拓教育とか、実学教育もかなり目立つ。



階級社会に則った形式だったと思う。そしてその階級から脱出できるシステムでもあった。


美談としてよくあるのが、尋常小学校の子供を直接面倒見て学費まで払って上位の学校に進学させた先生とか、地域で進学資金を出した話とかだ。版画家の棟方志功は、青森の弁護士組合が金を出し合って、東京に送った。
地域から傑出した人物を出したいと言うコンセンサスがあったのだろう。そしてもしかすれば、故郷に錦を飾ってくれるかもしれない。そういった思惑もあったかもしれないが、システムとして可能だったことが大きいと思う。思いっきり優秀で貧乏だった場合には、陸軍幼年学校と言う道もあった。





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ここで見えているのは、戦前は階級と言う形で、大人があった世界だ。それらにあわせた教育制度と選抜方法があったのだが、戦後階級差が縮まり、民主主義になると階級が無い事が前提の教育となる。



すると、大人の姿が漠然としたものとなったわけだ。階級が無いと言う前提なのだから、誰もが上位を狙う事が出来る。奨学金制度もこのために出来た。努力次第で道が切り開かれる社会となったわけだ。


そうすると、だれもが受験戦争に参加していると言うのが、戦後の姿になる。

なお戦前の受験戦争の方が、それはそれは恐ろしいレベルだった。第一高等学校で1000倍とかだ。こうなると記念受験がかなり多そうに思えるが、定員が少なかった事が原因だ。現在で言えば短大に当たる高等学校だが超エリートコースなので、こういったことが起きる。実際は旧制中学から実学系の高等農林とか工業、師範学校などの道もあったし、尋常小学校から高等小学校へのふるい分けも早くからあり、受験戦争の意味合いが違う可能性がある。。




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相変わらず関係ない写真だな。工学部出身が焼き上げるブリオッシュというのも変なものだ。



戦前と戦後も変わらなく行われていたのが詰め込み教育だ。この起源は古すぎるほど古い。間違いなく紀元前からある教育法だ。古今東西の文献に精通していないと話にならない。代表例がキリスト教だろうか。今でも牧師や神父は聖書のどこの第何節がといわれたら正確に答えられなければいけない。儒教もそうだ。


なにしろ議論があるからだ。全文暗記してすぐに取り出せないようだとバカだと言われてそれでおしまいの世界だ。この影響は大きいと思う。


だがそれ以上に大きいのは、社会要請だっただろう。維新後すぐに西洋教育が始まるのは富国強兵政策からだが、算数も出来ない砲兵はいてはいけない。命令伝達が方言で間違ってしまってはいけない。そして西洋に強いエリート養成のための大学が必要と言うのがあった。このための教育制度の構築が急そがれたのだろう。

そのうち社会が安定するに従って、実学系教育が増えるのも時代の要請だった。


そして戦後も、高度経済成長期に技術者・管理職候補が不足した。このため70年安保の伏線となる、日大水増し入学、いやどの大学でもやっていたのだが、定員の10倍の入学者とか文部省は容認していた。


早く大人が欲しかった時代があった。そう考えるべきだろう。





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自分で言うのもなんだが、訳の分からない考えになっている。本当ならば、大人と言うのは何かと言うのが教育制度に無いから面倒だと言いたかったのだが、書いているうちに違う方向にズレて行っている。

ただ、戦前と戦後の違いは大きいと思う。大人の姿が良くわからなくなって来ているからだ。ここで大きいのは情報化社会だろう。業種があり犯罪とかさまざまな大人の姿があり、戦前とはかなり違う形になっている。


この辺りの何かに、もの凄い問題があるような気がする。もう少し考えたい。





劇団よしこ「迷九数唄」をみてきたよ

2014-07-20 00:54:18 | インポート
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7月19日、雨の予報だったのがなんとか保った天気です。


劇団よしこですが、10年おきに1年休業すると決めていて、昨年は休業でした。再開年に新作「迷九数唄」となりました。「番町皿屋敷」のよしこ版です。


撮影で入っているので、早めの楽屋入りでしたが、なんと開演1時間以上前にお客さまがロビーにいらっしゃるではありませんか。コレって私初めてです。ムチャクチャ緊張してきます。そして満員、追加席まで出てきます。


まだあとひと公演、7月20日盛岡劇場タウンホール14時開演ですので、ネタバレは止めておきましょう。お客様の反応なのですが、1時間後には涙が聞こえてきます。カメラマン泣かせてどうすんのよというレベルです。


ところがとても構造がシンプルな芝居で、能の興行を圧縮したような所があります。能と狂言の交差です。ちょっとシンプル過ぎて私にはアレ?っとなるのですが、ラストにとんでもないものが待ち構えております。


ヒントは「手」。トップに伏線でチラっと出ていて、ず~っと演技上出ているのですが、私見落としていました。なのでやられた感が凄いです。なぜか養老孟司の「バカの壁」を思い出しました。男ってこの辺ダメなんだよな~。


よしこと言えば「ドロドロ」と「カタルシス」ですが、このラストはもう一つ上と思います。


「憑き物が落ちる」感覚がこの舞台にあります。



さて7月20日盛岡劇場タウンホール14時開演、つまり明日ですね。これが最終公演になります。



近況です

2014-07-14 04:01:29 | インポート
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台風が消滅して、太平洋高気圧らしきものが現れてきました。一度上がった梅雨前線はそのまま関東当たりに居座ってしまいました。おかげで全くの梅雨空です。


って写真と齟齬がありますが、これらは先週の写真です。別な記事で用意したんですが、結局書かなかったんでここで関係なく流用します。

テキトーだね!



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まずはサッカーワールドカップでしょうか。なんといってもあと3時間で、ドイツ対アルゼンチンですよ。で、ブラジルがオランダに負けて何と4位!よくよく考えれば4位でも凄いのですが、これでアルゼンチンが勝ったらと思うと、ドキドキしています。


前ローマ法王がドイツ人、まだ存命中です、現ローマ法王がアルゼンチン人。神のご加護はどちらに来るのでしょうか。そしてなんと今週中にアルゼンチンがデフォルトする可能性が濃厚!


いや~アルゼンチンとブラジルって一応国境を接しているのですね。山岳地帯だけど大きな川があるくらいだからどうなるんでしょうか。



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ネタと言えばJBPressが宝庫です。ブラジルやニューヨーク、アジアの邦人誌と契約していまして、その中の記事が毎週土曜日にまとまって出てきます。小ネタが多いのですが、時として時代に埋没しがちな日本人移民の歴史を感じさせる記事が多いものです。さてブラジルなのでニッケイ新聞からです。


夢と消えた50年の決勝戦、FIFAが今年の券を進呈
ニッケイ新聞がエスタード紙から転載したものです。それを私が要約するのですが、



1950年ブラジル大会の決勝チケットを手に入れたが、母親の容態が悪くなり長男だった本人は決勝を見に行けなかった。母親はその後ほどなく亡くなり、チケットだけが大切に保管されていた。

彼も85歳になり。今度こそと思って息子に頼んだら、ギリシャ対コロンビア戦とベルギー対アルジェリア戦の入場券だけ。それはそれで楽しかったが、やっぱり決勝を見たい、そこで国際サッカー連盟(FIFA)のジェローム・ヴァルケ事務局長とゼッブ・ブラッター会長に手紙を書く。

理由があって行けなかった64年前のチケットをサッカーW杯博物館に贈呈したい。代わりに今年のチケットが欲しい。

すると手紙が来た。サッカーW杯博物館に入場券を展示し、その傍らにジョエディルさんの写真を飾る事と、今年の決勝戦の入場券2枚を進呈し、もう1枚の購入を認めると書かれてあった。


そしてFIFAからチケットを貰ったのだが、なんと紛失!しかしFIFAは、警察に届けて調書を取ってもらい、その調書があれば再発行するとした。


FIFAから、3日までに券が戻って来なかったら再発行するとの約束をもらったジョエディルさんは、「僕のいとこは64年前、ブラジルが負けるところを観たけれど、僕はこの決勝でブラジルが優勝する瞬間を観るのを楽しみにしているんだ」と語っている。




現地で7月4日の記事だ。ジョエディルさんは今どうしているだろうか。多分決勝を見にスタジアムにいるだろう。





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同じくニッケイ新聞の記事。「W杯の客は白人の富裕層」



この結論は、ブラジルの調査団体ダッタフォーリャが6月28日にミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテのミネイロン・スタジアムで行なわれた「ブラジル対チリ戦」を観に訪れた693人に対して行なったアンケート調査から導かれたものだ。
ブラジルの人口で最も多いのは褐色系の41%で、白人は2番目の39%、黒人が15%と続いている。

だが、今回の調査の回答者でもっとも多かったのは白人で、実に3分の2にあたる67%と圧倒的だった。続いては褐色系が24%。黒人はわずか6%に過ぎず、アジア系に至ってはわずか1%。さらに先住民は誰もいなかった。

また、アンケートに答えた人の最終学歴では、「大学(相当)」が86%にのぼり、「高校」の13%に大きく水をあけた。「中学」と答えた人は1%だった。
所得別で見てみると、最も多かったのは「月給が国の定める最低賃金の10~20倍」の層の30人で、「5~10倍」が23人で続き、「20~50倍」が21人となっている。ブラジルの場合、「最低給与の2倍」以内の月給の人が国民の42%にあたる。




ということで、経済負担が少なくなるように地方にもスタジアムを建設し、チケット代を安く設定したジウマ大統領だが、ワールドカップ開幕試合でブーイングを浴びせたのは、どのような人たちだったかが解る。


現在のブラジル経済の停滞の理由の一つに、中産階級が勃興したのはいいのだが、彼らはブラジル製品を買わないし旅行も海外旅行を指向するようだ。
察するに、彼らも別にブラジルが嫌いなわけではない。でもあんまりにもインフラが悪すぎて国内旅行も買い物もままならない。その上ブラジルは大国だ。リオに行く航空運賃考えたら、メキシコで買い物しようとかそう言った方向になっているのだろう。おまけに将来の事を考えたら、インフラが悪すぎる弊害が余りにも大きい。

それで、デモが起きたのだろう。そう考え直した。




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さて隣のインド人の料理屋に行って見た。結論なのだがテイクアウトがオススメ。なぜかと言えば確か以前韓国料理店だったので全席座敷です。土足禁止です。だからグループでワイワイやるのに向いているかもしれません。一人で入ったもんだから、どうも居心地が悪い。そう、こちらは着座なのだが接客係が立っているので、けっこうな圧迫感があるのですね。そして彼は職務に忠実なので、こちらへの目配りがハンパ無いわけです。どういった事かと言えば日本流の目配りではなくて、見ているんです。これがきつかった。


味ですが、本格インド料理と言うのは良くわかりません。何しろ広大な国です。おまけに貧富の差も広大です。王侯貴族の料理もあると思いますし、一般大衆の料理もあると思います。私の知っているのは近所の留学生が出すものくらいですので、何とも言えないのです。彼らの料理は、素材のうまみがある料理が多いです。


その彼らよりは圧倒的にうまい。スパイスとハーブの絶妙なブレンドと尖らせ方でしょうか。そしてインド以外のカレー調理法を取り入れたりしているのでしょうか。


なおディナーセットの中間を頼んだのですが、ナンが巨大でしたね。多分6切り食パン3枚分の大きさと重さ。私でも食べきれるかどうかでした。






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多分本当に本格インド料理店なのだろう。接客と調理は完全に分断されていた。


で、面白いのは接客がずっと調理場にはなしかけているのだ。何を話しているのかは解らないが、とにかく延々と話をしている。それでいながらこちらをシッカリ見ているわけで、それが先ほどの違和感になるわけだ。


以前、西原理恵子がタイでマンションを買ったとき内装業者が仕事を全くせずに住み着く勢いだったのを、インド人の現場監督が延々と彼らにしゃべり続けて、作業を終わらせたと言う話があった。で、その時はそんなものかと思っていたが、どうも彼らはもの凄くしゃべるらしい。


アンベートカルの演説の話もそうだが、インドの政治家の演説は異常に長い。国際会議で会議を成功させる秘訣は「インド人を黙らせ、日本人にしゃべらせる」というジョークがあるが、どうもこれは本当のようだ。




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そして隣のインド人なのだが、夏になると窓を開ける。暑いからだ。これは日本人もインド人も変わらない。


で、あの演説が始まるのだ。かなりうるさい。何度も何度も同じフレーズを変えながら話しているのを慣れてしまったので、これってインド音楽と同じだよね、とか感心したりしているのだが、これから近所の眼がどうなるのか。


日本語堪能なネパール人が、実は5月中にいなくなっていたと言うのが判明。窓口が無くなった可能性がある。





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なぜ盛岡にインド料理店が急速に増大しているのか、全く理解できない。





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今日は劇団かっぱの芝居を見る予定だったが、なんと満席。席を追加しても追いつかない。なので諦める。ゲネ見たし。
そして来週はよしこの芝居がある。切り替えましょう。



すると変な企画が見つかりました。もりげき8時の芝居小屋「自演無双」ですね。でもなんかリンク先の公開が遅過ぎるような気がします。2014年8月7・8日、盛岡劇場で午後8時開演です。現代時報の高村氏とトラブルカフェシアターの遠藤氏、そしてワイヤーワークスの瀬川氏、つまり座長がそろい踏みで、なんと遅筆で有名な瀬川氏の脚本・演出と言う極めてスリリングな芝居になる事間違い無しです。


今月はよしこ一押しですが、来月もとんでもない芝居があります。これもオススメです。


ネコミミを買ってみた

2014-07-12 01:18:40 | インポート
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以前チラっと出したネコミミだ。今ウエアラブルコンピューティングとかと言っているが、2年前から日本ではこんなウエアラブルなガジェットが売られていた。しかし日本的だ。なにしろ面白い以外は全く役に立たない。強いていえば自分の頭の中を曝してみせるという、究極のコミュニケーションツールだろう。腹を割って話す事が出来るかもしれない。

オモチャにしては高度なのも日本的。脳波を拾って、そのパターンでネコミミを動かしているわけだ。そう書けば簡単だが、脳波を検出する高感度で丈夫な検出器と、脳波に含まれるノイズ、特に瞬きなどの筋電位を除去、脳波パターンの検出と簡単な解析、そしてサーボモーターを動かす駆動部に分かれている。当時としてはこれでもかなりコンパクトに出来たと思う。


とはいえアマゾンで4000円で売られているのだから、はやり廃りの影響は大きい。



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そこで早速付けてみたりしているのだが、実際私が付けると面白くも何ともならない。大体常にリラックスモードなのだ。つまりα波成分が圧倒的に多いようだ。たまに集中モードに入るが長続きしない。このブログを書いていても大体はリラックスモードだ。たまに文面で悩んでいてもリラックスモードが大半だ。


いやそれでは本当に集中するとどうなるのかと言えば、やっぱりリラックスモードになる。まあこれはナゾだ。


それでは喫茶米山にいって付けてみたが、これまたリラックスモードのままだ。米山だからと言うのはある。リラックス出きる店だからだ。にしても音楽にも反応しない私の脳波は何なのだろうか。


まあ頭がデカイので、検出するプローブが最適な位置にきていないようにも感じる。とはいえこの精度でも検出して入るのだから、かなり優秀なプローブなのは間違いが無さそうだ。


とりあえず自分を観察するには面白い機械だとは思う。どうせだったら仕事で使ってみたいのだが、いつ使うか、それが問題だ。