どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

天才を生み出すシステム

2017-06-25 01:12:06 | 日記

 

文科省が迷走しているのは、加計学院問題で将来予測などの数字を持っていないからだとわかった。未来予想ができなければ、将来に向けた立案などできない。教育行政でPDCAサイクルができないのはその長期にわたる、人の一生にわたる壮大な実験で、現実的にそれはPDCAのショートサイクルではない。国家というものから考えなければいけないのだが、国家がどうなるのかという超長期予測は、経産省が散々失敗したし、厚生労働省は人口動態から年金問題から国民健康保険まで40年前にわかっていたことを放置し続けた。そして財務相は、将来の税収減に対して増税を画策して減収を招いてきた。つまり誰も成功しなかったのだ。

文科省の迷走はゆとりから酷いものだったが、なぜ失敗したのかという理由がとても簡単だ。

日本人は経験主義であり、教育に全く力点を置いていない。もちろん家庭によっては違うが、これは間違いがない。テストの点数は気にするが子供がどんな回答をしたのかを気にする親はとても少ないだろう。本当はここが大事なのだが、それは実社会で役に立つものではないと考えている。あんなの受験テクニックでくだらないことだとすら思われている。なので大学に入ったものを、お勉強ができたのね、と暗に差別する。それでいて大学に入ったら大学のヒエラルキーに縛られてしまう。

で、どっちにしても勉強しない。大学で勉強する人はかなり変わり者だ。その変わり者が研究者になる。勉強しなかった人たちは、現実的に大学で学んだことは全く役に立たなかったと、ほとんどの人が喋るだろう。なぜ?

基礎的すぎて役に立たないというのはある。だが一番大きいのは人間関係に役に立たないということだろう。日本の緻密な社会では大学を卒業しただけでは、大人として扱われることはない。修士あたりから専門家として扱われるようになるが、それは研究室で揉まれたという修行の成果が評価される。

 

 

ゆとり教育は、余った時間を子供達が自分の興味のある分野に振り向けるようになったというのがある。なので表現系ではかなりの進歩があったと思う。だが全体での教育水準を下げてしまった嫌いがある。

だが大学はまだ人の多様性がある。地方の多様性を認めない世界からそこに入った人は、ようやく考えるということを覚える。

ゆとりの考える教育の失敗は、結果考えさせなかったからだ。そして日本の社会は緻密で、考える必要が常にない。

大学は異論を認める社会だ。日本から切り離されているとも言える。だから考えないとどうしようもない所でもある。でもそこから出てきた人は、ある意味役に立たない人物なのだ。

 

 

教育の現場では常にPDCAサイクルが回っている。その上情報共有も行われている。学科別や教科別ではかなり進んでいる。これは間違いがない。ただ先生の個性や学生の個性によって結果の濃淡が出るだけで、これは幼稚園から大学まで全く同じだと思う。

なぜ専門の教科のPDCAサイクルが進むかと言えば、教材の内容が同じだからだ。大学でも文系は最新の事例を扱うことが多いので、さらにそうなる。

だが目標は高度な知識の取得でしかない。でもそれは必要がないと誰もが思っている。

それ以上の目標、つまり文科省のどっかの審議会で出た天才を育成する大学とドメスティックな大学とを分けるという考えは成立するのだろうか。天才を入学させてきた東大は、果たして天才的な官僚を輩出して日本を変えてきたのだろうか。確かに戦前生まれの70年代まではあった。だが今はない。

 

 

天才を生むのは教育だけではない。天才を守り育てる社会が必要だ。だが天才ってだいたい変人なのだ。

変人を守り育てる教育がアウトになった今、PDCAサイクル程度で天才は作れるのだろうか。いやもっと面倒なことを言おう。量産できるのか?実は社会的な要請はそうなんだとおもう。もっとひどいことにヤンキーに寄り添う天才哲学者とか、それは社会学者ではないのかと思うが哲学者としてね、そういった人物が欲しいのだろうか。

まあ哲学が日本で一番いらない学問と言われていますがね。西洋倫理学の個人主義を右翼は嫌いますなぁ。

ここが問題なのだ。


カメが四匹

2017-06-24 01:11:17 | 日記

 

今日は程よく晴れた。夏至の頃の快晴はかなり残酷な光で、写真に撮るとコントラストがつきすぎて見るも無残な状態になる。程よい薄雲がちょうどいい感じになった。最高気温は26度と暑くないはずなのだが、南風が吹き込んだせいか妙に暑い一日になった。

 

 

北水の池に涼みにゆく。目が涼しければ暑さも和らぐものだ。いつもの島にカメが二匹いた。しかしその先に怪しげな生き物が。

 

 

でた、ミシシッピアカミミガメ、通称ミドリガメだ。誰だこいつを捨てたのは。本当ちょうど捨てたくなるサイズだなぁ。

昨年誰かが捨てたのが一匹。今年になって1匹、そして更に二匹捨てた奴がいるようだ。

 

 

カメがカメよ呼ぶんだろうなぁ。

食物連鎖のピラミッド最上位の凶悪な生物がいるところに、こうして放してゆく人がいるというのは奇特なことだ。そう行った方々はきっと供物としてカメを育てていたに違いない。そうして大切に育てられた供物を受け取らないわけにはいかないだろう。そう最強生物は言っていました。

とは言え、実はカメは捕獲困難です。水を得たカメはなかなかに素早いものです。

 

 

要注意外来生物だから罰則規定はないが、それにしても買うときにわかっていたはずだろう。

まあ人は感情でしか動かないからな。こうして感情で捨てるのだろう。


極端だね

2017-06-23 01:26:56 | 日記

 

かなり前にどこの記事か忘れたが、人間は高度なコミュニケーションが必要になった大昔、しかも縄文時代のような半農狩猟時代から、不正に対する嫌悪感がDNAのようにあるという。嘘もその中には入るが、不正に関しては本能的に反応してしまうという。比較的少人数の狩猟時代の公正な分配から、農業が定着してからの大家族的なものからもっと大きな単位になってから、さらに強化された。

その不正への反応は人類共通であり、それが現在の混乱を生んでいるという。

とんでも説ではあるが、説得力もある。だがその不満がなぜ今世界中で爆発しているのかと言えば、実際のところ理由はバラバラで、人類共通なはずなのになぜ不正を犯す人は、それを罪と思わないのか、彼らは宇宙人なのかとも思うが、なかなか説明しにくい。

ただこれがインターネットの普及によるものと考えれば、簡単なのだろう。これはかなり古くから言われていることだ。情報が広く伝わることで、今まであまり見えなかった金持ち達の生活が見えてしまった。彼らの邸宅はいくらで、彼らのあの服はいくらで、それが見えてしまった。そうすると当然、なんであんなにお金を稼げるのかがわからなくなる。IT長者はまだわかりやすい。天才でありバクチうちだからだ。そして彼らの生活はひどくかけ離れていないように見える。実は違うのだが、服が普通なのだ。正確には違うのだ。アップルのスティーブ・ジョブスはミヤケ・イッセイのタートルネックのセーターを好んだ。そんなには高くはない。だが彼は気に入ったから100枚以上まとめて買った。そういった変なところがある。

だがそうではない、よくあるセレブの発信はどう見えるのか?

アラブの春は、自由な表現がネットからなだれ込んだことで、もともとあった不正への不満が、この場合かなり複雑な、宗教対立や部族対立も含めて、噴出したとも言える。そのせいか、ISがネット利用を重視するのは、その時のインパクトなのかもしれない。

圧政が不正だと思うのは、意外と高度な話だと思う。やはり比較対照できる事例がないとわかりにくいだろう。ネットはそれを提供した。

ただここで考えたいのは、IT系のトップエリートの考えているのは、新しい世界の創造なのだ。ヒッピー文化の極地の世界なのだ。天才が徹底的に自由に生きられる世界、全てが解放された世界だ。その彼らの影響で不正に対する不満が世界中で広まったとすれば、つまり一般市民に武器を与えたとすれば、今ある現象は序盤戦でしかないのかもしれない。

ただ、不正のない社会というのが想像できないので、この新しいマルクス主義はどうにも宗教のように見えてしまう。

 

 

溢れた情報が量産系女子を生み出したように、今後は情報を制御するためにAIが重要になる。これは間違いがないだろう。人は今ある情報を制御できなくなっている。これが原因で人の不正検知DNAを発動させている可能性は、ないわけではない。

ネットで人をどう誘導するのかというのをアーキテクチャーといっているが、その考えを現実世界に出してみようかという考えも出ている。今ある法も法制も、その考えで再構築されるべきだという考えだ。

AIによりそれが精緻になり、人の不満なども誘導されてゆくのではないのだろうか。

手始めに自動車の高速道の自動運転から始まるだろう。交通事故撲滅の最も有効な手段だ。そしてドライバーの過重労働も激減させられる。そしてそのために標識システムから白線から全てが微妙に変わるのだろう。実はこれはもうすぐくる。

 

 

トランプさんの支持率が若干上がったという。ということでやっぱり楽しいネタを。メキシコ国境の壁は太陽光パネルになるという。

「ユニークなことを考えている。南の国境についてだが、日光が降り注ぎ、暑い場所でしょう。建設する壁を太光発電の壁にすることを考えている。それでエネルギーが作られるし、費用も賄える。それにこれなら、メキシコが払わなくちゃいけないお金はずっと減る。いいことでしょう?」

このアイディアはすでに壁の設計案の募集した中にあるのだが、それを自分のアイディアだというのもどうかと思うが、悪くはない。だがあのパネルは簡単に壊れるのだな。

事業的に考えれば壁そのものが太陽光パネルというのは、赤道に近いメキシコ国境では効率が悪い。なので角度をつけないといけない。しかもその角度が浅い。壁の高さが5メーターとして最大の高さが、パネルの角度が多分20度以下だと思う。

上まで行ったら歩けるよな。そしていろんな方法で登ってゆこうとする人たちからみれば、太陽光パネルの意味がない。なのでかなり壊されるだろうな。むしろどんな高さになっても積極的に壊しにゆくだろう。

その前に太陽光パネルのメンテナンスのために、メキシコ人を雇うのだろうか。

まあもう少しすればもっとすごいアイディアを出すはずだ。太陽光パネルに覆われた、国境沿いの高速鉄道とかね。

で、これも募集された中にあるのだな。

 


そんな言葉があったのか

2017-06-21 19:35:38 | 日記

 

今日は昼過ぎからずっと雨だった。まあそれでも仕事はある。仕事の中で、昨日読んだ日経BPの記事の言葉を女の子に聞いてみた。「量産系女子」って何?

その記事は誰が「アパレルを殺すのか」シリーズの中で共立女子短期大学渡辺明日香教授のインタビュー記事「アパレル企業を悩ませる“量産系女子”」だ。量産系?ザクやドムではあるまいし、え、何が?というのが私の見えている世界。大昔の松田聖子と中森明菜が最盛期だった時の女子のファッションといったらそりゃもう、量産系というより規格系としか言いようがなかった。だから量産系ってなに?カローラかいな?

渡辺:「量産系女子」とも言われますが、思いっきり尖ったものを着る子は少なくなりましたね。1994年からストリートの定点観測をしていますが、今売っているものを今着る、というように変わっているので、その中でコーディネートすると、どうしてもみんな同じような格好になる。一方で、それが多様性の欠如には直結していません。本当はものすごく多様化しているのです。多様化しすぎていて、違いを比べた時に、その差が外部から見えなくなっているという感じです。」

これが定義。なお私のみている4大だともう少し豊かになる。この理由は多分、短大のカリキュラムが厳しいことがあると思う。2年間でどこまで高められるかというのが短大で、取得資格が重要視されるのでどうしてもカリキュラムがギチギチになる。結果ファッションは両極端になりやすいのだが、それが量産系女子に収まっているというのが特徴なのだろう。

 

 

彼女たちは非常に自由で、何でも着ていいし、トレンドもたくさんあるという、豊富な選択肢が目の前に広がっている。それゆえに、よりどころを見つけづらくなり、自分で選ぶのが難しくなっている。だから無難なところで収まって、その中で小さな個性を演出するようになっているのだと思います。」

この一言がとてもよく表している。私自身は、最近の学生はアメカジが多いな問い思っていた。いや、もう少し正確に言えば30年前のアメリカ通販に出ていたような服がとても多い。今だとGAPだろうか。スタンダードなオールドファッションだ。だが彼らはアメカジとは思っていないようで、それがトレンドだと思っていたようだ。

そう考えてゆけば量産系女子は5年前からかなり増えていたのだなと気がつく。流行色を中心にコーデするというのが一般化した。

「分かりやすいオススメコーディネートがあって、メークもその通りにやればよかった。いわば、雑誌は教科書だったんです。昔は楽だったとも言えますね。現在は、SNS(交流サイト)で情報が山のように取れるようになったのはいいけれど、自分で能動的に情報を取捨選択していかないといけなくなっている。“お墨付き”がないから、自分が選んだものに自信や確証が持てない。その証左として、最近の学生は洋服を褒めると、ことのほか喜ぶんですよね。」

これはすごくよくわかる。

ものすごく興味がありますよ。よく言われる「ファッション離れ」なんて一切ありません。おしゃれを楽しみたいという気持ちは強いんです。ただ一方で、ひねれば蛇口から出るほど情報があって、それをさばききれない状態でもある。「誰かに選んでほしい」と思っている。」

なのでものすごく大変なことになっている。

 

 

彼女たちは非常に自由で、何でも着ていいし、トレンドもたくさんあるという、豊富な選択肢が目の前に広がっている。それゆえに、よりどころを見つけづらくなり、自分で選ぶのが難しくなっている。だから無難なところで収まって、その中で小さな個性を演出するようになっているのだと思います。」

私、日本人はついに小物まで追求するファッションセンスになったのかと思っていたら、様相が違うようだ。個性を出すための努力しか見ていなかったのだ。量産系女子という言葉は思いつきもしなかった。

 

 

ただこの卑下したような言葉に、何か業界的ないやらしさがある。尖った服をかえ!みたいな感じだ。逆に言えばバブルの時の服は確かに良かったが、あの時でも普段に尖った服をきている人は少数だった。今の状況を渡辺明日香教授も記事中で、全く否定していない。

ネット上では古いものもいっぱい見られる。それらを参照した結果、相当同じようなのだが全く違うファッションが生き残る。未だかつて森ガール系やとても根強いエスニック、そして古着重ね着ファッションは健在だ。

古着はゾゾタウンの政策で今後もっと面白くなるとおもう。

 

 

ファッション業界の人たちには悪いが、なんでこんなことに気がつかないのだろう。その上、量産系女子という言葉を重ねるのだろうか。

そして彼らは、ひとつ失敗した。服を軽くしすぎたのだ。そう重量でね。素材も結果化繊になり、動きやすさを追求した挙句、ファッションの古典的意味がなくなってしまったのだ。価値の喪失だ。

あの重さに耐えられる人だけができるのが、ファッションなのだ。

全てカジュアルな世界では、そもそも究極のファッションはない。


亀が三匹

2017-06-21 01:13:28 | 日記

 

今日は最高気温が29.5度ととても高くなった。低気圧が通過して南風が吹き込んだせいだ。こうした日はだいたい3時頃に最高気温を出す。そしてその通りになった。暑苦しい夕方は、体力ばかりを奪ってゆく。

今日もまたカメが甲羅干しをしていた。

 

 

トランプさんは、やっぱり外交センスはおろか国家というものがわかっていないようだ。中国にテロとの戦いの関係関与を要請した。

ソーントン氏は記者団に対し、中国はより高い関心を示しているものの、テロ対策でのこれまでの役割は限定的だと指摘。「中国が対応を強化し、より大きな責任を持つことを望む」と述べた。」

最悪だ。中国は人権侵害で有名だが、今までもテロ対策と称してウイグル族やチベット族への弾圧を行ってきた。内モンゴル人は大戦前の満州国のせいで、大虐殺までされた。その上チベット仏教を制限された。これにアメリカはソフトに抗議し続けてきた。そう、アメリカは人権擁護の世界最高の国でなければいけなかったからだ。でも商売もある、だからソフトな抗議だったが、これからはこれも出来なくなるのだ。

確かに弾圧は現実的な方法だ。だがその影響は末代に祟るものだ。それを解決するためには100年の計が必要だ。だがアメリカが伝家の宝刀として使ってきた「人権」をここであっさりと捨てたのだ。もはやアメリカは人権を語ることはできないだろう。

もちろん、最低限国民が生きていられればそれが人権なのかもしれない。だがそれが嫌だからアメリカ人はトランプさんを大統領にしたのだ。そして生きてゆくだけの自由というのは、自由とはいえない。

中国はテロ対策のお墨付きを得たわけだ。これはダブルスタンダードでもなんでもない。あられもない大国の姿だ。

 

 

池に三匹目のカメがいた。これは発見だ。だがこのカメは三匹ともサイズが同じ。なんでだろう。この池で仲良くそだったのかしらん。そんなことはない。この池には昨年までカメはいなかったからだ。しかもミドリガメ、ミシッシッピーアカミミガメだ。誰かが離したのだろう。そして池に亀がいるのを見て、ここなら生きてゆけそうということで誰かが二匹目を、そして三匹目となったのだろう。

サイズが同じというのは、飼いきれなくなるギリギリのサイズなのだ。この一致も人為的すぎてなんともいえない。

なお岩手大学北水の池は凍結するのと、近くに冬眠に適した場所がないので死亡する可能性がある。3年前にそういった死骸を見たことがある。なので元気に育ってよといったアバウトな考えで捨ててはいけない。

 

 

今日学生が池にきたオジサンから変な話を聞いた。「近所の田んぼからザリガニを取ってきて離しているんだけど、学生が食べるようで全然増えないんだ」。いやオジサン、それって特定外来生物を離しているということで、法令違反でしょ?挙げ句の果てに、他人の池でしょ?アメリカザリガニは駆逐されるべきものでしょ?

で、この話のおかしなところはザリガニを食べたやつに話したということだ。

ということで亀を離すのはいいのだが、地球上最強の捕食者がこの池にはいる。「両生類から爬虫類の肉は基本的にあっさりしていて鶏肉と変わんないですよ」といっています。

みなさま、この池に離すのは放生会にはなりませぬ。とはいっても明石市のカメポストもどうかと思いますが、基本的にペットは看取るまで飼いきりましょう。

なお北水の池のアメリカザリガニは今までの知見では絶滅することは全くありません。池を洗浄しようが何しようが無くなりません。アメリカザリガニの生命力はハンパないです。なので特定外来生物は食べて減らそうという運動がありまして、カメポストもその流れでして、ザリガニを食う学生もその流れですが、それ以前にとある国の方々が毎週1回食べまくった時期がありまして、その時にたまたま学生さんが食べまくっていたのですが、ですから推定の数は昨年以上だったと思われるのですが絶滅しませんでした。

それが減っているというのは、雑食性のカメのせいではないのかと推測されます。

 

 

タチカタバミも群れると綺麗ですね。これも外来種だったと思ったな。

で、タチカタバミと言い切っていいのかどうか。

とりあえず、こいつらも絶滅不可能だな。できるだけ細く長く付き合いましょう。