中国では、なまずを「鮎」と書いていたが、日本では神功皇后が「あゆ」を戦いの占いに使ったという故事来歴があるため、
「鮎」を「あゆ」と読ませ、なまずには国字の「鯰」があてられた。
「日本書紀」によれば、皇后が縫い針を曲げて釣り針とし、米粒を餌に裳の糸を釣り糸にして「われ西方にある財の国(新羅)を求めんと欲する、 もし事が成すことができるなら、河の魚かかれ」と神意を占ったところ、香り豊かな魚が捕れた。以後は、この魚を「鮎」と記すことになったという。
面白いことに、「鯰」という字は中国に輸出され、今では「なまず」に「鯰」の字を使っているという。
「鮎」を「あゆ」と読ませ、なまずには国字の「鯰」があてられた。
「日本書紀」によれば、皇后が縫い針を曲げて釣り針とし、米粒を餌に裳の糸を釣り糸にして「われ西方にある財の国(新羅)を求めんと欲する、 もし事が成すことができるなら、河の魚かかれ」と神意を占ったところ、香り豊かな魚が捕れた。以後は、この魚を「鮎」と記すことになったという。
面白いことに、「鯰」という字は中国に輸出され、今では「なまず」に「鯰」の字を使っているという。
でもオショロコマと、カンカイと サケが捕れます。
神様が釣った川は 何処で 何という川だったのかと
こだわりやの 野の花は思ってしまうのでした。
>「われ西方にある財の国(新羅)を求めんと欲する・・・
まるで某 〇国と△国みたいに
よその領土を欲しがってはいけないと思いますが・・・
ナマズは体をうねらせることから「鯰」の文字は理解できますが、中国で「鮎」をナマズと読ませるのは日本人にはなかなか理解できません。
漢字発祥の国と漢字の成り立ちは随分違うようですね。
北海道には、鮎も鯰もいないのでしたか。φ(..)メモメモ
でも、鮭がいるから十分すぎるほどの恵みがあるように思います。
(勿忘草)さん へ
おわら風の盆歌の踊りを、河童橋でみても屁のカッパ。
「風の盆恋歌」は、石川さゆりが歌って流行りましたが、好い歌です。
菅原洋一が歌う「風の盆」も、しっとりと唄って好いですよ。
(延岡の山歩人K)さん へ
山には、長者さまがいたり、仙人がいたり、お坊さんまでいて賑やかです。
Kさん宅は、いつも20コメントほどでにぎわって、山を題材にしたブログは珍しくて人を惹きつけるようです。
きょうは、山に咲く花がいっぱいでした。 ^^
古代は、国力を誇示する時代でしたから、領土を広げる野心をもつのが正義でした。もっとも、神功皇后は、
神話の世界にのみいて、実在しないことになっています。
(らいちゃん) へ
冒頭に「事実は小説より奇なり」ではじまるテレビ番組「私の秘密」を、幼いなりに毎週 楽しみに見ていました。
その司会をした高橋圭三の講演を聴いたことがあります。そのとき、正月番組の「スターかくし芸大会」で審査員を
していたか、家庭での話題にと録画の途中採点を内緒で教えてくれました。たしか、父親の権限が薄れたことを嘆いて、
予言をして当てて父権復活をという意識づけでした・・・。
タイトルから、実話に結びつけたのも、ひとつの「事実は小説より奇なり」といえるかもしれません。
日本人は、和歌や俳句等に宇宙観さえ詰め込むことに長けており、漢字も簡略化させる名人かと思えます。
いまでは、それを漢字の本家にも使われているケースがあります。
中国で「鮎」をナマズと読ませたのには、当然いわれはあるはずです。
名前のつけかたや漢字の成り立ちも、案外と面白いデス。
あらら「鯰」は中国に輸出ですか。(^_^ゞ
ますますややこしくなりますね、漢字の成り立ち。
なにより、京の和菓子は、繊細ですね。
京といえば、鮎や鯰よりハモでしょう。包丁で身をけずっているので、”鱧”は ”歯にも” やさしいです。