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多摩聖蹟記念館

2013年07月06日 | 東京エリア

建物は、明治天皇が30歳代(明治10年代)の頃、連光寺の山や多摩川で兎狩や鮎漁をしていたことから、この地に多摩聖蹟記念館を建てた。
洋風建築(多摩市指定文化財・東京都景観上重要な歴史的建造物)は昭和5年に建つ。

高校生のころ、この地の直ぐ近くに暮らしたことがあって、姉が武相荘と此処に行ってみたいというので訪ねた。此処からは見晴らしがよかったのに、樹木が茂り視界が妨げられて残念に思ったが、公園として整備されていた。

館内には、幕末明治に活躍した人たちの書画や、多摩市周辺の豊かな植物の写真等を展示している。
[最寄駅:京王線・聖蹟桜ヶ丘]


←明治天皇


対鴎荘の模型
対鴎荘は、記念館を建造する折に浅草の隅田川の川端にあった三条実美の別邸を移築したもの。
明治6(1873)年、三条は征韓論のもつれから心痛のあまり病んで引きこもっていた。明治天皇は、三条が病を養う橋場の別邸におもむいた。そのときの玉座の間が対鴎荘の客間であった。

この対鴎荘
は、浅草の白鬚橋の西詰め南側に建っていた。いまは、こんな石碑がある。→


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10 コメント

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萱葺き建物 (らいちゃん)
2013-07-06 06:47:26
多摩聖蹟記念館の展示物もさることながら、対鴎荘のような萱葺き建物が懐かしいですね。
子供の頃、私の田舎でもよく見かけました。
現在では岐阜県の白川郷などの保存されているところに行かなければ見られないのが残念ですね。

>兵庫県の「三田」は、ミタといわずサンダと読ませるとは大阪に暮らして知りました。
私は反対に東京の独身寮に暮らした時、「三田(みた)」の事をサンダと読んでいました。
いろいろな読み方があるので止むを得ないですよね。
返信する
(らいちゃん) へ (iina)
2013-07-06 09:05:57
なんだかんだといっても、独特の読み方は当地でないと分からぬものですね。[三田=ミタ=サンダ]

噛んでもないのに、暴風雨で梨が落とされるのは癪です。
風雨で落ちる”梨”が、 ”ナシ” になるよう品種改良されることを願います。

「武相荘」は売りに出されるほど荒れた農家でしたが、白洲次郎・正子夫妻が暮らすのに都合の好い和洋折衷の部屋
に改造していました。1時間ほど居ましたが、居心地がとてもよかったです。
返信する
Unknown (鷲谷芝嵐)
2013-07-06 13:59:44
天皇がアユ釣り・・・一般人は川に立入り禁止で大騒ぎだったのでしょうね。
近年は政治家がアユ釣りする場合だって一般人を締め出しするんですから。
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はじめまして ()
2013-07-06 14:11:32
勝手ながら読者登録させていただきました翼と申します。「武相荘」も拝読し、様々な思いを巡らせております。

模型画像の手前に見えているのは茶室のような造りですね。祖母に連れられ京都に赴いたときのことを思い出します。帯刀禁止の茶室の入り口は、子供の私でも漸く入ることができる程の小ささで、そこを潜り部屋に入ると、ギヤマンをはめた大きな掃出し窓がありまして、小さな入り口に意味はあるのだろうか・・と、納得いかないまま今日に至ります(笑)

古民家にもとても興味があります。萱葺き屋根は葺き替えが高価になっているのと、職人が減ってしまったことから一般家庭では維持が難しくなったそうですね。

長々と失礼いたしました。
返信する
兎狩や鮎漁・・・ですか (延岡の山歩人K)
2013-07-06 18:47:33

[多摩聖蹟記念館]
>明治天皇が30歳代(明治10年代)の頃、連光寺の山や多摩川で兎狩や鮎漁をしていたことから
天皇が兎狩りや鮎採りですか、現在では、なかなかできないでしょうね

 一方「対鴎荘」は、日本の伝統的な建物で歴史と文化を感じます。
こんな建物を観ると「維持費」が大変だろうなあ~、その費用は何処から出ているのかな~
つい、そんなことを考えてしまいます。

不思議な花
 >刷毛(はけ)のような棘のような不思議な花を咲かせる「ねむの木」ですね。
ほんとうに不思議な花ですね
暑い夏の間、山間部を走ると国道沿いの木立の緑の中に、この赤い花を良く見かけます。

 >宮城まり子の「ねむの木学園」も
そうでした。~思い出しました。宮城まり子さんもりっぱなお方ですね。

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コメントに ( ..)φ (iina)
2013-07-07 08:11:19
(鷲谷芝嵐) さん へ
「五色ヘビ」を「ど~や」と名づけるのも「いま風」で、 e 感じ です。
「ナニコレ珍百景」は、自薦と他薦を問いませんから、申請してみると採用されるかも知れません。

なにより、ことしの干支は蛇ですから、これを拾った芝嵐さんに福が飛び込みそうです。
ぜひ宝くじを買って、運試しをしてみてください。




(翼) さん へ
読者登録をありがとうございました。こんなサービスができたのですね。

知識として知るばかりですが、茶室の”にじり口”は、武士も商人も身分に関係なく、頭を下げなければ入れない、
茶室に入れば平等であるという意味を込めたようです。実際、にじり口の上に刀を預けて這入る仕掛けです。

この対鴎荘は、今は残っていません。こんどは、ブログ・アドレスを残してお越しください。




(延岡の山歩人K) さん へ
八戸観音滝の豪快な落下する音が聞こえてくるようです。
富士山が世界遺産に登録されましたが、白糸の滝は見事ですよ。富士に染み込んだ水が湧いて白糸のように垂れ涼しく
気持が癒されます。

対鴎荘は、その後 人手に渡り料亭になり風雅な店でしたが、老朽化が進み閉店したそうです。次第に建物は荒れ果てて
幽霊屋敷のようになったといいます。
「対鴎荘」は、模型があるだけですから、維持費はかりません。
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京王線の聖蹟桜ヶ丘 (更家)
2015-01-05 12:15:10
京王線の聖蹟桜ヶ丘は何度も行っているのですが、多摩聖蹟記念館へは入ったことがないので、今度入ってみたいと思います。
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(更家) さん へ (iina)
2015-01-06 08:12:03
対鴎荘は、明治通りの白髭橋辺りにあったそうです。

墨堤というと、真っ先に花見を思い浮かべるほど、桜の季節がにあう気がします。ですから、墨堤をmyブログによく採用しています。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/cf62f209a2defce2df6c3ea70d2c99e8

篠崎街道や船堀街道は,あいにくご縁がありませんでした。でも、甲州街道を調布より先に歩こうと考えていたとは、・・・。

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ご紹介ありがとうございます。 (みなりん)
2017-01-10 08:37:48
おはようございます。

多摩聖蹟記念館には伺ったことがありません。
明治天皇の御真影はよく覚えているので、知らなかったことが恥ずかしいです。
今度行ってみたいと思います。

ご紹介ありがとうございます。
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 (みなりん) さん へ (iina)
2017-01-10 08:59:49
二上山に葬られた大津皇子のことを悼んで、姉の大来皇女が次のように詠んだのでした・・・。

     うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む


檜原神社
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/bf5c6234a0718bf9a17c2913abe7df87

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