高畑城堀跡は、山形県の置賜地方の高畠にある。
高畑城は、現在の高畠小学校を中心に築かれていた。高畠小学校の辺りが本丸、西に二の丸、南に三の丸があり、大手は西であったという。
高畑城は、承安年間(1171~1174)、奥州平泉藤原秀衡のいとこ樋爪五郎季衡によって築かれたのが始まりとされる。
1380年、伊達氏が置賜地方に侵攻し、長く当地を支配した長井氏を滅ぼすと応永年間(1394~1428)に高畑城を大改修し居城とし、212年間支配。
1591年 伊達政宗が岩手山城に移封した後は、蒲生氏郷が7年間統治。慶長3年(1598)、越後の上杉景勝が入封。
その後、上杉景勝は会津に封ぜられるも、その家臣・直江兼続が伊達・信夫・米沢を領し高畑を管轄す。関ケ原後、再び上杉景勝が減封され米沢に入部。
その後、幕府直轄領となり、高畑織田氏の陣屋代官所となった。釣り鐘のような形状から鐘ケ城とも呼ばれていたが、現在は大手門内堀跡とみられる位置に水を湛えた堀跡だけが残る。
地元の方に跡地を尋ねたら高畠小学校側が目安と教えられ着くと、記章「高」を見て一瞬高校かと思った。
小学校と堀の隣に映画「スウィングガールズ」の舞台となった高畠高校校舎があったが移転したため、跡地に「たかはたこども園」が建つ。
きょうの話題は、亀岡文殊堂です。
「倶利伽羅」といえば、石川県と富山県の県境に倶利伽羅峠を思います。「剣に黒龍が巻きついたお姿のお不動さま」だそうです。
倶利伽羅源平合戦で有名ですが、山頂は狭くて、ここで戦をしたのかと思うほどに生々しい跡でした。
明日の話題が楽しみです。
いずれ山形に入るのですが、もっと北の最上、新庄、大石田あたりです。
その昔、直江兼続が統治したなど、
歴史の一端だけしか知らないボクには新しい事ばかりです。
ありがとうございました。
印象とおりに、炎が燃え立つかのようです。なんともユニークな姿をするものです。
>今は掘跡だけになっている高畠城は釣鐘のような形状をしたお城だったとのこと。
2枚目の写真をクリックすると高畑城堀跡の釣り鐘のような形状も見れますから、ご覧ください。
明日は、亀岡文殊堂が建つ山の姿について ご紹介します。
この句は、1689年5月13日(新暦6月29日)に平泉で松尾芭蕉が詠んだ俳句ですから、327年前の今頃の作でした。
http://www.tenki.jp/suppl/romisan/2015/05/12/3901.html
珍しい形のお城ならば、復元して見せてもらいたいですね。
2番目の画像「高畠城掘跡」を眺めていると、400~500年前に伊達氏、蒲生氏、上杉氏らによって統治されていたとは思えないような静かさです。
そのお堀が今私たちに何かを語りかけてくれているようなそんな気がします。
>「袰(ほろ)」を指し物として使って精鋭を組むとは、アイデアですね。
織田信長のアイディアのようですね。
信長は型破りの武将だったと言われていますから、現在の日本の政府には彼のような人が必要な気がします。
城址や 堀跡を眺めていると 世の無常を感じますね
「夏草や兵どもが夢の跡」。