金峯山(きんぷせん)は、吉野山のシンボルの一つで飛鳥時代の天武天皇のころ、修験道の開祖・役行者がこの金峯山を道場として修行し、蔵王権現を感得しその姿を桜の木で刻み、お堂を建ててお祀りした。 それが、この蔵王堂であり、金峰山寺の草創である。
蔵王堂
銅の鳥居(発心門)↓
吉水神社も、役行者により建立されたと伝えられる。
吉野に潜行した後醍醐天皇の行宮所になり、義経や静御前一行が逃げて隠れたり、その後太閤秀吉の花見の本陣になった。
義経潜居の間
後醍醐天皇玉座
源義経 所用色々威腹巻
吉野朝宮跡 →
延元元年(1336)、後醍醐天皇は吉野山に入り、吉水院(現吉水神社)を仮皇居とした。南朝57年間・4代の天皇(後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇)が政権回復の策をはかったところ。
* 18年ほど前の関西のテレビ「歴史街道」に放送された画像を使用。
同じ世界遺産の熊野古道や高野山には行っているので、季節がよくなればここにも出かけてみたいです。
>おそらく逆だと思います。消費者団体の心配をなくさなくてはという使命感を行政が感じて、賞味期限や消費期限表示を義務づけたと考えます
そうでしたね。
飽食の時代に育ち、食糧難の時代を知らない世代の人たちが、何かあるとすぐに行政の責任にする風潮からこのような規則や法律出来たのでしたね。
長谷寺と室生寺しか行ったことありませんので
歴史街道で学ぶこと多いです
今後も楽しみです。
満開の桜を楽しむ花見には、吉野山よりも吉野梅郷のほうが、ボクは好きです。
20字×20行の400字詰の原稿用紙をも元祖でしたか。元寇の国だけに、原稿の基準にもなったのでした。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/78b04b83582fa1a36166342e61137888
吉野行きは、桜の咲く季節が好いですよ。
もっとも、春の1度しか行っていません。(^^ゞ
水仙が咲くと春が近づいた気がしますが、冬はこれから本番です。
iina宅の歴史街道は、すでに訪問地をアップ済ですから、取り残しを投稿しています。
前にも書いたかもしれませんが、蝶は風に乗って富士より高く舞い上がるドキュメント・テレビを見たことがあります。
また、エベレストの上空を飛んで越冬する鶴も見ました。
吉野山といえば、桜の名所ですが、桜より梅がお好きでしたか。 (焼酎学生)さんは、やはり人と違う志向があるようです。
ウグイスとまちがわれる目白ですが、目を見ると区別できるようです。
ことしは、まだ鶯の鳴き声を聞いていませんが、浅草の初席で江戸屋猫八の鶯を聴きました。^
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「歴史街道」は、20年ほど前の月~金曜日18時54分~19時00分に放送していましたが、いまは不定期になっているそうです。