旧二井宿街道に面した鞘堂に、古下駄・ぞうり・わらじがたくさん奉納され、特に4mあまりもある大わらじが目をひく。
昔、旅の安全と、仏の慈悲を願い奉納されたものではないかと思われる。
また、旧1月15日には、裸の若連が雪の中、大わらじを担ぎ町内をねり歩く「大日如来わらじみこし祭」を行うという。
水車の縄文小屋の奥に安久津八幡
山形の高畠町は、江戸時代 - 高畑城(屋代城)下の地、屋代郷が江戸幕府の天領として統治される。
ただし、時期や地域により、米沢藩領もあれば高畠藩領もある。また、旧糠野目村地区は江戸時代を通じて一貫して米沢藩領であった。
高畑城は、その形がつり鐘に似ていることから、鐘ヶ城ともいわれた。この城は、承安年間(1171~1174年)に藤原秀衡のいとこ、樋爪五郎季衡が築城したと伝えられている。天授6年(1380年)、伊達宗遠が長井広房を攻め、以来150年間屋代城と称し、伊達氏の居城となった。高畠は、伊達家の本拠赤舘城(現桑折町)と地理的にも近く、しかも二井宿峠を背に要害の地であるところから選定したといわれ、「高畑城」を中心に施政が行われた。
その後、晴宗(15代)から米沢城に移り、貞山政宗(独眼竜政宗1567年生れ)の天正19年、岩出山城(岩出山町)に移されるまで、210年間、置賜を統治した。
以後、上杉時代には城代が置かれ屋代郷が幕府直轄となるに至って空塁となった。
明和4年(1767年)より織田信浮が居城、天保2年(1831年)まで64年間、織田氏が本拠とした。
高畑城
高畠小学校グラウンド内に本丸が、昭和保育園付近に大手門があったといわれている。
[ 伊達氏と高畠町 ]
この地方を『置賜』という。「置賜は国のまほろば」と詠まれたように、この地域は、豊かな土地であったと思われる。それは、この地に天皇領や摂関家、後白河法皇の領地(本所)であったことからも推測できる。置き賜う=興玉=オギタマ(伊勢の二見ケ浦興玉神社が有名)という名前からも、当時の権力者は、条件の良い豊かな土地を自分のものにしていたと考えられる。
了
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百合にピントをあわせて、まわりをぼかすと花が光って造花にも見えたりします。
そうでした、きょねんに行った油壷に、白百合が咲いていました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/edf599cf8cb57b80ab1c36484bacf55e
>4mもある大きなわらじ、旅の安全や仏の慈悲を願ったんですね。
大きな仏さまが、慈悲深くみまもっていました。
4mもある大きなわらじ、
旅の安全や仏の慈悲を願ったんですね。
お祭りは盛大に行われるんでしょうね。
雪の中は寒く冷たいですが、
風情がありその様子を見たくなります。
山形牛の串焼き、美味しそうですねヽ(*^^*)ノ
田植え時なら、カエルが鳴いて夜は眠れなかったのではありませんか。
山形では、夜も日中も鳴くので、カエルはいつ寝ているのかと心配したら、日の明け時に静かになりました。
置賜を「おきたま」とも「おいたま」とも読ませます。
地名では置賜郡(おきたまぐん)であり、駅名では置賜駅「おいたま駅」と読ませます。
置賜という地名は珍しいですが、やはり由緒ある地名だったんですね。
そんな「死にたい殺人者」を、数年前にブログにしていました。死刑制度廃止論についても、素朴な疑問を投げかけています。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/16c87aff50e8178ffcfb7f85650e3713
極刑も、止むを得ないと思うような凶悪事件が起こっています。(^^ゞ
>縄文茶屋の水車は風情がありますが、瓦屋根に少し違和感があります。
たしかに、茅葺屋根の方が風情がありますね。ただ、此処は「道の駅」ですから、葺き替え費用の関係から瓦にしたのかも
知れません・・・?
山形には、鯉の甘露煮が美味ですから、鯉が泳いでいると、何人前になるかなどと不謹慎にも思ってしまいます。
キャンプ地に アヒルも鯉も ひとに慣れ / iina川柳
きのうの1句の結句を次のように代えます。
菖蒲揺れ 水面に映る 逆さ神楽 / iina
(神楽女湖)
神楽女湖で、お神楽を見てみたい。
小さな町に大きな歴史的文化財が残されていますね。
iina様もここで旅の安全を祈願されたのですね。
縄文茶屋の水車は風情がありますが、瓦屋根に少し違和感があります。
茅葺屋根にした方がより一層趣が出てきそうな気がしますが・・・。
>ポケットティッシュを、きのうだけで2個も出かけた先の駅前で手渡されました。直ぐに使わなくても、溜めて
必要に応じて持ち歩きしますから重宝しています
ポケットティッシュは私も重宝しています。
最近、大阪市内へ出かけることがあまりないので、中々手に入りません。
最初 この巨大な「わらじ」を拝見したとき
石仏様が履くのかと思いましたが¥・・・大日如来像は座ってました
>旅の安全と、仏の慈悲を願い奉納されたものではないかと思われる
そう言う事だったのですね
>雪の中、大わらじを担ぎ町内をねり歩く「大日如来わらじみこし祭」
ユニークなお祭りですね