見学した武家屋敷の中でも大名屋敷の形式を整えた熊本の細川刑部家は格式が高かったが、日光の大正天皇御用邸はそれ以上の規模で素晴らしかった。
部屋数は106
日光田母沢御用邸【重文】は、明治32年に大正天皇(当時 皇太子)の静養地として造営。その後、小規模な増改築を経て大正天皇のご即位後、大正7年から大規模な増改築が行われ、大正10年に現在の姿になった。昭和22年に廃止されるまで、大正天皇をはじめ三代にわたる天皇・皇太子が利用された。
1階 御座所、2階 御寝室、3階 御展望室
御玉突所(ビリヤード) 謁見所 長い廊下
御学問所として使った書斎の丸窓
御座所は、天皇陛下の執務室として使われた。
2階
日光にこんな名所があるとは知らなかった。 つづく
[ 華厳の滝にもどる ]
一方では都知事公邸が35億円で公開入札だそうです。
子供たちが廊下を走っていたりしておりました。
当時は何の知識もなく安い宿泊所的な感覚でした。
もったいないことをしたと反省。
管理している方の言葉使いが、上品だったのが印象に残りました。
大正時代って 何だか ロマンを後付けして 思い出す程度です。
建物 宿泊施設だった時もあるのですね~
もし 今も続いているなら 泊まりたい所の一つでしょうに。 残念!
「富士山見える度%」終日0のときほど、光明をみつけやすいのだと思ったりします。
天国と地獄の妙は、その時代であれば紙一重であったのですね。合掌。
(すけつね) さん へ
塩原温泉には、通過したことだけでご縁がなかったです。いま、紅葉が盛んでケッコウです。
日光には、奥日光の温泉と鬼怒川温泉等々につかり、那須温泉には会社の厚生寮があったので よく遊びに行きました。
ナスかしい。 (^^ゞ
大正天皇の御用邸に泊まったとは、運がよかったです。106室も抱え、庭の手入れが行き届いた得難い貴重な体験でした。
明日は、庭を歩きます。 m(_ _)m
(野の花) さん へ
>明治 昭和は なんとなく身近に感ずるのに
大正時代って 何だか ロマンを後付けして 思い出す程度です。
大正ロマンという言葉を識り、大正生まれの親父も帽子をかぶったり、白い上下の洋服を着てそれらしく感じたことが
ありますが、大正は15年と短かったため印象が薄いのでしょうか。
部屋数が106もあるなんて、さすがは天皇さまの静養邸宅です。
なかなか見ごたえのある御用邸でした。
4日間の旅の中で、此処で撮った写真が一番多かったですよ。
映画では、民間に下ってから靴のひもさえ結べずに、まわりから揶揄されてました。
その点、徳川慶喜は死を免れ、下々の生活からは遠く暮らしました。華族階級の暮らしぶりは、さすがなものです。^^
いままでに観覧した中で一番素晴らしかった御殿は、大正天皇の御用邸です。
二番目が、熊本の細川刑部家の大名屋敷でした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/8be8dbd1e6578f62895559ad80e211e3
(mannmo)さんのブログアドレスをコメント上に置きました。