此処の直ぐ北手の屋町通御池上がるの高瀬川越しには、これより立派な大村益次郎と佐久間象山災難の碑がある。
たまたま、司馬遼太郎著の大村益次郎を扱う「鬼謀の人」を読んだ。幕末に、長州征伐に押し寄せた幕府軍を破ったことによって、情勢は一転倒幕でき得るものに変転する。その最大の功績がこの大村益次郎になる。みごとな戦術家として世に現れ去った鬼才だったと云わしめる。
[ 明治維新の成立 ]
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
大村 益次郎(1824~1869) 之 遭難碑 幕末・明治維新後の政治家・洋学者・兵学者 長州(周防)人、村田家の養子となり医者になる 初名は村田蔵六。 緒方洪庵に蘭学を学び 宇和島藩に出仕、その後長州藩士として桂小 五郎(木戸孝允)の推薦・高杉晋作に乞われて 奇兵隊の指揮を執るなど、戊辰戦争に活躍した 明治維新後、軍制改革を大胆に行おうとした ため藩兵を親兵化しようと目論む保守派士族 の反感を買い、明治2年(1869年)京都で襲撃 され約2ヶ月後、大阪で死亡 | . . | 佐久間 象山(1811~1864) 之 遭難碑 幕末兵学者、信州松代藩・下級武士の子 名は啓。 藩主真田幸貫の命による蘭学・ 砲術に通じ、和魂洋才を提唱し、公武合体 ・開国論者として活躍。 吉田松陰・勝海舟 (実妹は象山の妻)・河井継之助・坂本竜馬 らを育てる。後、安政元年、吉田松陰の 密航事件に関与して蟄居、京都入りたが、 孝明天皇の彦根動座を画策したことが原因 となり、尊攘夷派の志士に暗殺される |
たまたま、司馬遼太郎著の大村益次郎を扱う「鬼謀の人」を読んだ。幕末に、長州征伐に押し寄せた幕府軍を破ったことによって、情勢は一転倒幕でき得るものに変転する。その最大の功績がこの大村益次郎になる。みごとな戦術家として世に現れ去った鬼才だったと云わしめる。
[ 明治維新の成立 ]
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
1824年5月3日~1869年12月7日
「兵学家」 佐久間象山
1811年3月22日~1864年8月12日
武士の社会から、庶民の社会へと、時代の激流の中、共に暗殺されました。
先人たちの理想の追求により、日本は世界一平等な社会を作ったのかもしれません。
しかし、唯一の失敗は、日本人とそれ以外の国や地域では、物の考え方の根本が違うと云う事に、気付かなかった事です。
異民族に、食いものにされている現実にすら、気付く人の少ない、今の「愚かな日本」。
命を賭して時代を変えた先人たちは、この状況を、草葉の陰で、どのように見ているのでしょうね。(笑)
それに引き換え現在はどうでしょう。
近隣諸国や世界から蔑(さげす)まれています。
平和ボケもそろそろ卒業して、大和魂を取り戻して欲しいものです。
とちおとめ1パック198円は安いです。
大阪・熊取では佐賀県の「さがほのか」とか福岡の「あまおう」等が販売されていますが、値段が高くてなかなか口に入りません。
イチゴは自家製が獲れるまでお預けです。
日本は、幕末に、「アヘン戦争」を合言葉にして国難を避け得たアジア唯一の国であったかと思えます。
大国の中国さえ、理不尽なアヘン戦争を仕掛けられて負けたので、日本にアヘン戦争が再来しないよう憂え、
必要な人財が群がり出ては散って逝きました。日本が極東に位置していたとは申せ、将に奇跡的なことでした。
歴史的に俯瞰すると、欧米の植民地政策を、遅くに目覚めた日本は、第二次世界大戦でその欧米に負けました。
いまも、グローバル化という名の元に欧米の尺度を押し付けようとしている構図は変わっていないようにみえますね。
もっとも、日本が敗戦したのは、逆に勝っていたら軍部がますます台頭して、いまより大変な事態に陥っていた
可能性が高いことから、妙な言い回しながら不幸にも幸いでした。
(らいちゃん) へ
ワイルドな 妻を持つ俺 女々しくて
今朝の新聞に載った上を見て、五七五かなと指を折って確認しました。たしかに五七五でしたよ。
相変わらずサラ川は、ことしも巧い川柳が揃ってました。
iinaブログも一時、川柳と誤変換を扱ったことがあり、
【爺々占領(じじせんりょう)時事川柳】と創作四字熟語した当時のサラ川から一つひろうと、
「課長いる?」 返ったこたえは 「いりません!」/ごもっとも
ことしも、サラリーマンに耳が痛い句(苦)が選ばれています。
辞めてやる 会社にいいねと 返される
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/10bda3571e840d6d1928af47f8262604
日本人は、なぜか自嘲して自己批評をしがちですが、近隣諸国や世界から蔑まれていることはないと思います。
一部にそんな一面もありますが、中国や北などは国策でおとしめているのですからその攻防は難しいです。
平和ボケなところは確かにありそうですが、誰もがいまの国を憂えていることも確かです。その方策が万全か
どうかは いろいろあるでしょうね。
ネット世代の若者達には
「今の団塊世代前後の年寄りたちが消滅するまでは、日本の変革は無い!」
などと言われますが、そんな甘いものでは有りませんね。
もっと、根本的な部分から日本人の自覚と、行動できる環境作りから取り組む必要が有りそうです。
スーパーのバレンタインのチョコ売場では、特定メーカーの製品が、多数売れ残っておりました。(笑)
自らを犠牲にしてもなお国家のために尽くそうとした多くの人達がいたことを
改めて思い知らされます。
これからも彼らに恥じない日本であってほしいですね
光あるところに影が有り・・・
本文にプラスして
(あQさま)と(らいちゃん)さまのコメントが素晴らしく
幕末の時代世相をはじめ、その他いろいろなことを学ぶことが出来ました。
なるほど~と思う事ばかりでした。
豪雪の中の交通機関
西日本や、首都圏等でこれほどの雪に見舞われれば完全に交通マヒでしょう
やはり、打たれ強いという表現は大変失礼ですが、環境に適応できる態勢が
出来上がっているのですね
それも、多くの方の苦労の結晶なんですね、良く分かりました。
ありがとうございました。
あっ~忘れていましたが、お土産をたくさん買って宅急便で送りました。
佐久間象山の没年を調べ直すと、さすがな(あQ) さんが記したとおり1864年8月12日でした。失礼しました。
某WEBをコピーしただけで確認までしてなかったです。m(_ _)m
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E8%B1%A1%E5%B1%B1
ある意味、日本は少子高齢化が進んだ人口構成になっていることで、経済的には伸びしろが少なくなっているのが
最大の原因であろうと考えます。活力は、ピラミッド型人口構成が望ましく、戦後の日本はそのような人口構成でした。
(「のべR山会」のK)さん へ
雪景色の中では、城はまるで雪像のようです。人の気がまったくないので、いよいよ幻想的です。
偶然ですが、きょうの拙宅では雪の車をアップしました。
最近、鶴ヶ城の瓦が茶色だったことが分かり、黒から茶に葺き直したそうです。
雪で覆われてますから、瓦までは確認しづらかったですね。豆知識でした。