
『月光仮面』の原作者と、森進一が歌った『おふくろさん』の作詞者は同じ川内康範。
このことを知ったキッカケは、「おふくろさん騒動」が起こったからだった。
「おふくろさん騒動」は、川内康範が作詞し森進一が歌唱した楽曲「おふくろさん」に森が川内に無断で前奏パートを付して歌ったと怒った2007年の騒動。
『おふくろさん』のイントロ前に「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした」で始まるパーツが挿入された。
これでは「三文芝居」だと大憤慨し、魂を注入して作詞した歌を「もう森には歌ってもらいたくない」と反発し森は歌えなくなった。
川内死後に「今後は川内康範のオリジナル作品のみ歌唱すること」を条件として歌えることとなった。
また川内は月光仮面のテーマとして「憎むな、殺すな、赦しましょう」としていたが、
以降の小説版再版の際に「憎むな、殺すな、真贋(まこと)糺(ただ)すべし」と改めた。
「憎むな、殺すな、粛清せよ」は、赦さぬことが赦すという反語なのだという。
川内康範を調べてみた。
他の作詞は、誰よりも君を愛す、君こそわが命、骨まで愛して、恍惚のブルース、花と蝶、伊勢佐木町ブルース、にっぽん昔ばなしなど。
作詞家、脚本家、映画監督、政治評論家、作家などとマルチ的活躍をした人物だった。
本「おふくろさんよ」後書きより
産業革命以後、経済発展やバブル、IT革命を経験した私たちの生活は、とても豊かになったと云われている。はたしてそれは本当なんだろうか。
人が己を主張するあまりに、人が人を平気で傷つける時代である。人が己の利権を守る為に、あらゆる手段を用いて邪魔者を排除する時代である。
これはアメリカ的自由と世界平和の方便が、あまりにも蔓延しすぎた結果なのだ。意図的な世界制覇の欲望がもたらした、歪みだと言えるだろう。
弱きに手を差し伸べる、日本人が大切にしてきた伝統的精神文化は、その価値思想の下にあっては、もはや無用の長物以外の何者でもないのである。
はたして私たちはそれでいいのだろうか。
隣人のために命をかけた志があったからこそ、今の私たちへとつながり、大和民族としての歴史が在るんじゃなかろうか。時には、損得勘定だけではない、無償の愛を正義の名において遂行する心が求められるのだ。
失われつつある日本人の精神を、崩れ落ちつつある国家の骨格を、敢然とした態度で正気に戻させる新しい時代の担い手が、今まさに必要とされているのである。
混迷する時代の流れのなかで、日本人が世界に示せさなければならないものは、「やすらぎ」の精神である。
真の平和を復活させるためには、私たちは多くを求めず、ただ与え、かつ、共に歩もうと手を差し伸べるのだ。倒れそうな者がいればそっと背に手を回し、黙って支えればいい。
さて、あとがきが長くなってしまったが、この本は八十七年の人生を駆け抜けてきた私の、熱い祈りである。ちまたの雑犬、川内康範の「生の証」としてここに記す。
お詫び:森進一は好きな歌手ながら、川内康範のこだわりに関心をもった。
このことを知ったキッカケは、「おふくろさん騒動」が起こったからだった。
「おふくろさん騒動」は、川内康範が作詞し森進一が歌唱した楽曲「おふくろさん」に森が川内に無断で前奏パートを付して歌ったと怒った2007年の騒動。

これでは「三文芝居」だと大憤慨し、魂を注入して作詞した歌を「もう森には歌ってもらいたくない」と反発し森は歌えなくなった。
川内死後に「今後は川内康範のオリジナル作品のみ歌唱すること」を条件として歌えることとなった。
また川内は月光仮面のテーマとして「憎むな、殺すな、赦しましょう」としていたが、
以降の小説版再版の際に「憎むな、殺すな、真贋(まこと)糺(ただ)すべし」と改めた。
「憎むな、殺すな、粛清せよ」は、赦さぬことが赦すという反語なのだという。
川内康範を調べてみた。
他の作詞は、誰よりも君を愛す、君こそわが命、骨まで愛して、恍惚のブルース、花と蝶、伊勢佐木町ブルース、にっぽん昔ばなしなど。
作詞家、脚本家、映画監督、政治評論家、作家などとマルチ的活躍をした人物だった。
本「おふくろさんよ」後書きより
産業革命以後、経済発展やバブル、IT革命を経験した私たちの生活は、とても豊かになったと云われている。はたしてそれは本当なんだろうか。
人が己を主張するあまりに、人が人を平気で傷つける時代である。人が己の利権を守る為に、あらゆる手段を用いて邪魔者を排除する時代である。
これはアメリカ的自由と世界平和の方便が、あまりにも蔓延しすぎた結果なのだ。意図的な世界制覇の欲望がもたらした、歪みだと言えるだろう。
弱きに手を差し伸べる、日本人が大切にしてきた伝統的精神文化は、その価値思想の下にあっては、もはや無用の長物以外の何者でもないのである。
はたして私たちはそれでいいのだろうか。
隣人のために命をかけた志があったからこそ、今の私たちへとつながり、大和民族としての歴史が在るんじゃなかろうか。時には、損得勘定だけではない、無償の愛を正義の名において遂行する心が求められるのだ。
失われつつある日本人の精神を、崩れ落ちつつある国家の骨格を、敢然とした態度で正気に戻させる新しい時代の担い手が、今まさに必要とされているのである。
混迷する時代の流れのなかで、日本人が世界に示せさなければならないものは、「やすらぎ」の精神である。
真の平和を復活させるためには、私たちは多くを求めず、ただ与え、かつ、共に歩もうと手を差し伸べるのだ。倒れそうな者がいればそっと背に手を回し、黙って支えればいい。
さて、あとがきが長くなってしまったが、この本は八十七年の人生を駆け抜けてきた私の、熱い祈りである。ちまたの雑犬、川内康範の「生の証」としてここに記す。
お詫び:森進一は好きな歌手ながら、川内康範のこだわりに関心をもった。

でも、ビデオの中の、危機が迫ったらこの箱を開けよ、というキーワードの場面は何故か記憶にありません・・・
そうでしたか、月光仮面の原作者と、森進一のおふくろさんの作詞者は、同じ川内康範でしたか。
おふくろさん騒動の方は、あまり私の記憶にない様な気がします。
それだけ、甲斐のお国では武田家を誇りに思っているのですね。
この石に腰かけて、小山田信茂の裏切りを知ったとは、劇的な存在です。時代の趨勢とはいえ、落ちぶれるのは哀しいです。
「おふくろさん騒動」で、作詞・作曲・編曲は著作権法による保護の対象となるも、歌手には著作隣接権(オリジナルバージョンについてはそのまゝ歌える)が認められることを学びました。
幼いころに熱中した月光仮面と「おふくろさん」の意外性に戸惑った騒動でした。
月光仮面は、子供の頃にテレビにかじりついて見てましたから、その作者が「おふくろさん」の作詞をしていたとは、結びつかなかったです。
「月光仮面「は、1958年(昭和33年)2月24日から1959年(昭和34年)7月5日まで放送されたとありました。
でも、130話もあるにしては、週一では多すぎる気がします ❔
森進一の代表歌を封印できるかを見守ると、日本音楽著作権協会(JASRAC)は、次のように判断しました。
「作詞・作曲・編曲は著作権法による保護の対象となるが、歌手には著作隣接権(オリジナルバージョンについてはそのまゝ歌える)を有する。」
川内康範は、熱心な「森進一の後見人」であったらしく、詩人としてのこだわりがこじれて残念なことになりました。
> 空を見上げりゃ空にあり、山を見上げりゃ山にある、という「天」から、我が子を見る「神」である。
そうですね。
お天道さまが見ている と、教えられました。
「母」は、「慈愛に満ちた存在」だけではなく、もっし深い意味を宿していたのですね。
つい、流行歌であることから軽く考えがちです。m(_ _)m
「康範」を「やすのり」などと読ませずに「こうはん」なのでした。
自民党の歴代首相のブレーンも勤め、特に福田赳夫首相とは懇意。とは、ブログに投稿するにあたって調べて知りました。
かなり、マルチな活躍をした御仁でした。^^
* (一番星)さんのブログアドレスをコメント上に置きました。