輪王寺
2014年10月29日 | 旅
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日光といえば東照宮だが、この輪王寺を知ったのは東照宮の修繕に伴い両方を周遊できるお得な入場券を巡って諍ごとが起き、その券を停止したと報道されたから。次に説明する通り、両者の争いなどあってはならぬこと。家康と家光は怒っているだろう。ともあれ「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。
明治の神仏分離令によって、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼んだ。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」の中でも大猷院(たいゆういん)は、徳川三代将軍「家光公」の廟所(墓所)になっている。
祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いている。
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四体の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」が、安置されている。
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境内には灯籠が315基あるという。
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大猷院(たいゆういん)の中心となる建物
内部には、狩野探幽の描いた唐獅子、天井には140枚の龍の絵、家光公が着用した鎧などがあった。
52Kgもある鎧を家光公が着用したと伝わるが、戰もなく装飾向けなのだろう。
参拝客も少なくなかなか落ち着いた雰囲気で気に入った。
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竜宮門と呼ばれ、この門の先に家光公の墓がある。風神・雷神のいる二天門と、此処とは離れた所に建つ本堂の三仏堂は、修復中だった。
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昨年伺った時は「平成の大改修」中でご参拝できませんでした。
もう、工事は終わっていたのでしょうか?
初めて拝見しますが、やはり威厳にみちてますね
厳かな気持ちになりました。
ここでご参拝出来まして良かったです。
徳川三代将軍「家光公」の廟所(墓所)だけあって荘厳な建物ですね。
初めて拝見しました。有り難うございました。
元気で歩けるうちに(なんと弱気な)、じっくりと旅行計画を練ろうと思います。
久住山は、修験者の山なので山頂までは山あり谷ありの険しい山がつづく山岳の印象をもっていましたが、2枚目の写真
のように星生崎と久住山頂上の風景に接すると、なだらかに思え案外と軽く登れそうです。
輪王寺は、東照宮の入口近くに建つ本堂の三仏堂がまだ白く覆われていました。
そことは別の場所の二荒山神社の隣に、家光の墓所の大猷院があります。此処が見どころです。
(らいちゃん) へ
「煉瓦亭」というからには、銀座のお店ですね? いちど、ここでトンカツを食べました。最近は、専門店のトンカツを避けて
いますから、タレをたっぷりかけて食べてみたい・・・。
輪王寺に立ち寄るに至ったいきさつを、追記しました。
見学予定の「百物揃千人武者行列」を敬遠したので、代わりに寄ることを思いついたのですから、訪ねて正解でした。
宇和島の伊達宗城が命じました。もちろん、形を造ったばかりでなく 運用もできました。
中国は、自力で造ろうとせずイギリスにアヘン戦争で負けました。
その後も、日本は超大型の戦艦大和を造るし航空母艦も造りました。ゼロ戦は、戦闘力においても最高傑作といわれて
います。 にもかかわらず、中国は、いまでさえロシアの中古航空母艦を買ってだましだまし使っています。
極東の島である日本は、アジアの中でも卓越した好奇心をもつ民族ですが、この差はどこからくるのでしょう。
日光は、これから更に2か所巡ります。 いまの「日光を見ずしてケッコウというなかれ」です・・・。 (^^ゞ
仮名を振ってもらわなくちゃ 全く読めなかったでしょう。
おじいさまを凌いではいけないとの 遺言は
う~ん。
うちのお墓は 江戸時代からの人がみんな一緒に
入っています。
そうしたのは 我が息子なんですがね。
平民のお墓は 難しい時代に入りましたね。
「日光山 輪王寺」は、なかなかケッコウな趣きのあるお寺でした。