山中城跡
2016年03月14日 | 旅
箱根を数え切れぬほどドライブしているのに、国道1号沿いの山中城はいつも通過するばかりだったのを、はじめて散策した。
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた北条氏が築城。
その後、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸等の整備、増築を行なった。しかし天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま4万の豊臣軍の総攻撃を受けた。北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝わる。
石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しい。堀や土塁が良く残っており、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みにとり入れた山城の作り方など、目を見張る。昭和9年(1934年)国の史跡として指定された。
土塁(どるい)
田尻の池
山中城には「田尻の池」と「箱井戸」の2つの池があり、箱井戸は飲料水用、田尻の池は洗い場・馬用として使われていたと考えられている。
元西櫓下の堀
急峻な西櫓の畝堀(うねぼり)
西櫓の畝堀は空堀の中に高さ約1.8mの“畝(うね)”を掘り残し、空堀全体を10区画に区切っている。
ロームという粘土質で滑りやすい地質なので、武装した兵ではとても登りきれるものではなく、さらに水をまいたり米をまいたりしてもっと滑りやすくした、という言い伝えがある。
・堀底=およそ2m×5m
・堀の深さ=約9m
・傾斜=約55度
西の丸跡
櫓台
美しい陰影を見せる、西ノ丸の障子堀
堀底に畝を掘り残す方法で、幅の広い中央畝から両側に向かって直角に畝を掘り残したもの。その様が障子の桟(さん)のようであることから、障子堀(または堀障子)と呼ぶ。
山中城は、案外と見ごたえがあった。^^
ここから三島に下った国道沿いに完成したばかりの日本最長400m吊橋「三島スカイウォーク」が架かっていたが、生憎と富士山が見えてなく凄い人混みだったので、スルーした。
> つづく >>
さった峠
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた北条氏が築城。
その後、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸等の整備、増築を行なった。しかし天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま4万の豊臣軍の総攻撃を受けた。北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝わる。
石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しい。堀や土塁が良く残っており、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みにとり入れた山城の作り方など、目を見張る。昭和9年(1934年)国の史跡として指定された。
土塁(どるい)
田尻の池
山中城には「田尻の池」と「箱井戸」の2つの池があり、箱井戸は飲料水用、田尻の池は洗い場・馬用として使われていたと考えられている。
元西櫓下の堀
急峻な西櫓の畝堀(うねぼり)
西櫓の畝堀は空堀の中に高さ約1.8mの“畝(うね)”を掘り残し、空堀全体を10区画に区切っている。
ロームという粘土質で滑りやすい地質なので、武装した兵ではとても登りきれるものではなく、さらに水をまいたり米をまいたりしてもっと滑りやすくした、という言い伝えがある。
・堀底=およそ2m×5m
・堀の深さ=約9m
・傾斜=約55度
西の丸跡
櫓台
美しい陰影を見せる、西ノ丸の障子堀
堀底に畝を掘り残す方法で、幅の広い中央畝から両側に向かって直角に畝を掘り残したもの。その様が障子の桟(さん)のようであることから、障子堀(または堀障子)と呼ぶ。
山中城は、案外と見ごたえがあった。^^
ここから三島に下った国道沿いに完成したばかりの日本最長400m吊橋「三島スカイウォーク」が架かっていたが、生憎と富士山が見えてなく凄い人混みだったので、スルーした。
> つづく >>
さった峠
>石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しい
初めて知り 驚きました\(◎o◎)/
城と言えば 先ず石垣を連想します.
>架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みにとり入れた・・
なるほど
重機もない時代・・・
当時の技術は 凄いものだったのですね
改めていにしえが 偲ばれます
空堀に畝掘、珍しい堀を造ったものです。
流石、北条氏です。しかし、4万の大軍には勝てなかったのですね。
>普天間の移転先は、ご案内した2行の文言の中からWEBで検索できます。iinaは知らなかったですが、数年前から俎上に上ったらしく、所有会社の遣り方に胡乱さがあり頓挫していたそうですが、一昨日に入手した情報は首相の腹が決まったということでした
検索してみましたがよく分かりませんでした。
「馬」に注目しておきます。
尾瀬沼に水芭蕉を見に行ったときは、5月だった気がしますが、雪の中をけなげに咲いていました。
また、7月の北海道の知床でも思いがけず咲いてましたが、大きく咲きすぎて可憐さを感じぬほどでした。(^^ゞ
山中城は、国道1号線で箱根をとおる度に、いつかは歩こうと思いながら、いまごろに果たせました。また、ゆっくり
訪ねたいと思える城跡でした。
一日で 破れた跡に 富士さがす / iina
首相も匿名では相手に出来ぬと退けた積りが、火に油をそそぐ結果になり、デモされ大事になる始末でした。
一億総活躍担当大臣の居る国が、効果のない施策をして子育てし辛い社会環境では少子高齢化も止まりません。
山中城跡の畝堀(うねぼり)や障子堀を、はじめて識りました。
東海道踏破の際に立ち寄ったので、凄く懐かしいです。
大軍相手とはいえ、これだけの築城をして、半日で落城とは悲しいですね。
東京海洋大学といえば、いまは さかなクンを連想します。彼方此方で活躍しているようです。^^
ライトアップしたレンボーブリッジは、きれいでしょう。帆船で訓練するのですね。
それにしても2月に海岸通りを 11kmも歩くなんて・・・。
帆船なら横浜ランドマークタワー前の日本丸が帆を張っている姿を見ましたょ。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4e9064bcfc273cccb53d58e215f9ee7c
山中城祉は箱根の関所の先でしょうか。
おすすめの史跡です。 更に、ここからほんの少し下った所に、話題の三島スカイウォークがあります。
箱根
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ee02f2574e9134188b7caaa3747dbdab
この付近から見えるゴルフ場によく通ったときに、ここは素通りばかりでしたから、はじめて歩きました。
なかなか、よく整備されていて、見るところがありました。
こんどは、じっくり散策したくなりました。富士山もここから見たいです。
僕が前に山中城跡を巡ったときは、西の丸の櫓台は工事中で
行けなかったので、次回はそちらの方にも行ってみたいと思います。