中国大陸をはじめて大統一したのは秦の始皇帝だったが、すぐ滅び、漢の高祖.劉邦がその歴史的大事業をやってのけた。
劉邦は沛の町の不良少年あがりで、徹底していたのは学者嫌いで、儒者の冠をひったくってそこに小便を注ぎ込んだことさえある。儒教は行儀がよかった。行儀のよさこそ儒教の要であり、煩瑣で形式的な礼を考えだし、それを演出する専門家であった。
元来、行儀の悪い劉邦は、そういう形式自体が嫌いだったし、できもしなかった。ところが天下をとると、創業の英雄豪傑が宮殿で放埓にすわり、口論し、ついには喧嘩沙汰になることが多い。
結局、劉邦は儒者を採用せざるをえなかった。皇帝の権威を成立せしめるのは型であるということを、儒者たちはよく知っていた。長楽宮ができたのを機会に、まず皇帝に拝賀する儀式を作りあげた。
皇帝は生身の劉邦その人ではなく、皇帝とは多分に形而上的存在であることがわかった。さらにいえば、皇帝の尊貴さとは礼をおこなうことによってのみ臣下にわかるものだということがわかった。権力の魔法としての礼が中国に定着するのはこのときからである。
このとき以後、中国では儒教と政治が不離のものになる。漢以後の儒教は皇帝に対してはその権威の魔術的演出法として役立ち、百官以下民衆に対してはかれらを礼によって飼いならすということで役立った。ヨーロッパの君主権力とキリスト教との関係に似ている。
. 「歴史と視点」司馬遼太郎より
劉邦は沛の町の不良少年あがりで、徹底していたのは学者嫌いで、儒者の冠をひったくってそこに小便を注ぎ込んだことさえある。儒教は行儀がよかった。行儀のよさこそ儒教の要であり、煩瑣で形式的な礼を考えだし、それを演出する専門家であった。
元来、行儀の悪い劉邦は、そういう形式自体が嫌いだったし、できもしなかった。ところが天下をとると、創業の英雄豪傑が宮殿で放埓にすわり、口論し、ついには喧嘩沙汰になることが多い。
結局、劉邦は儒者を採用せざるをえなかった。皇帝の権威を成立せしめるのは型であるということを、儒者たちはよく知っていた。長楽宮ができたのを機会に、まず皇帝に拝賀する儀式を作りあげた。
皇帝は生身の劉邦その人ではなく、皇帝とは多分に形而上的存在であることがわかった。さらにいえば、皇帝の尊貴さとは礼をおこなうことによってのみ臣下にわかるものだということがわかった。権力の魔法としての礼が中国に定着するのはこのときからである。
このとき以後、中国では儒教と政治が不離のものになる。漢以後の儒教は皇帝に対してはその権威の魔術的演出法として役立ち、百官以下民衆に対してはかれらを礼によって飼いならすということで役立った。ヨーロッパの君主権力とキリスト教との関係に似ている。
. 「歴史と視点」司馬遼太郎より
幼い頃は、新聞小僧になりたくて、古新聞を隣近所に配ったらしい。
<Q 2> Q 1の夢は叶いましたか?
まいにち届けられる新聞を読んでま~す。
<Q 3> 現在の夢は?
定年後はゆっくりと世界旅行してみた~い。
<Q 4> 宝くじで3億円当たったらどうしますか? (熱く語ってくださいw)
世界旅行の資金にするゾ。いつも当たることはあたるけど300円ばっかり。
贅沢いわないから、一生にたった一回でいいんだぃ。
<Q 5> あなたにとっての夢のような世界とはどんなものですか?
手につかめるような理想なかたち。
<Q 6> 昨晩見た夢は何ですか?
空飛んでる夢だった。何人かでのりまわし、着いたところは前に行ったことのある海の近くの景色のきれいな所だった。それもでっかい樹木の枝にとまってるのよん。
こんな夢なら、毎晩つづきものでみたい。。。
あははは・・・面白かったよん。 さんくす。
久し振りに拝見いたしましたら、とってもブラックなブログに変身していたので、びっくり致しました。
また、遊びにまいります。
ところで、夢バトンなるものが廻ってきました。
女子供の好きそうなモノで恐縮ですが、よかったら廻してみて下さい。
http://blog.goo.ne.jp/hawayu-hp/