「古典落語こそ落語で、新作は落語ではない」という人がいるが、「噺家の噺は、口篇に新しいと綴る」のであれば、噺は新しくなければならなくなる道理になるが・・・。
柳家小三治が、新作落語はその演じ手から違う噺家が演じはじめたときから古典落語になるのであるまいかと口を滑らせたが、この話は忘れてくれと引っ込めた。
新作落語の演じ手としてのiinaの勝手な印象は、桂米丸や柳亭痴楽「痴楽綴り方教室」であるし、三遊亭歌奴「授業中」を思う。爆笑王の林家三平もそのひとりだろう。三遊亭圓丈も名高く、川柳川柳は破天荒。関西では、桂三枝(現、桂文枝)を思いつく。
「新作落語」をWEB検索すると、
「日本の話芸のひとつで、古典落語に対して用いられる落語の分類である。現在では主に大正時代以降に創作された落語を指す。」ことになっている・・・。
柳家小三治が、新作落語はその演じ手から違う噺家が演じはじめたときから古典落語になるのであるまいかと口を滑らせたが、この話は忘れてくれと引っ込めた。
新作落語の演じ手としてのiinaの勝手な印象は、桂米丸や柳亭痴楽「痴楽綴り方教室」であるし、三遊亭歌奴「授業中」を思う。爆笑王の林家三平もそのひとりだろう。三遊亭圓丈も名高く、川柳川柳は破天荒。関西では、桂三枝(現、桂文枝)を思いつく。
「新作落語」をWEB検索すると、
「日本の話芸のひとつで、古典落語に対して用いられる落語の分類である。現在では主に大正時代以降に創作された落語を指す。」ことになっている・・・。
古来からの 一種封建的な 伝統芸が有るのですね
自分は 昔はラジオでよく落語を聴いてましたが
どちらも面白いのに変わりは有りませんでした
>噺は、口篇に新しいと綴る
なるほど
落語の世界も 日々進歩して当然ですね
また、GPS軌跡を見ると、山の字のように山を凸凹に登り下りしていました。
ねころんだ 阿蘇の涅槃と いわれます / iina川柳
(根子岳)
きのうの 「 楓似に 馬づら風で 葉楓とす 」 を、次にあらためまする。 m(_ _)m
馬風かぃ 楓に似てる 葉楓なり / iina川柳
鈴々舎 馬風(れいれいしゃ ばふう)という落語家がいるのでする。^^
口篇に八で、只。
只、「叭」の方の喇叭は、ラッパなんですって。
口篇に+と八では、呆れます。
口篇に+と一なら、吐いちゃいます。
古典は古典、でよろしいのでは、・・・
+の半分五を置けば、 「吾」 になりますょ。
のかもしれません。
写真を撮ることから仏像や仏閣に興味を抱くキッカケになれば布教のひとつになりますから、フラッシュ禁止だけに止め
撮影OKにして欲しいです。
もっとも、筋論でいくと、尊い物を勝手に撮ってはならぬとなるようです。
醍醐寺の境内は、ひろいですね。
iinaも此処で満足していたら、ここから上に開創の地である上醍醐があるといいますから、見残しました。
下醍醐から山道を登って約1時間いくと、上醍醐に至るそうです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5be831a4731f2063e72d8b5e184ccf88