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諏訪大社

2020年11月01日 | 
信濃國一之宮 上社 (かみしゃ)本宮 (ほんみや) 

左端「御柱」一の柱は随分と高い
参拝所前


右片拝殿 拝殿 左片拝殿(本殿に相当)

神楽殿

雷電 爲右エ門(現在の東御市出身の力士)像                       天流水社

法華寺 大社の南隣に吉良上野介の孫・義周の墓                    昼の天麩羅定食


   
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7 コメント

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諏訪大社 (らいちゃん)
2020-11-01 09:25:57
諏訪大社と言えば「御柱」くらいしか知りませんでしたが、写真で拝見すると、とても荘厳な感じがする神社のようですね。
雷電為右衛門の銅像まであるとは、相撲と何らかの関係があるのでしょうか?
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Unknown (ムツゴロウ)
2020-11-01 19:38:20
諏訪大社に行ってませんが、古刹な社です。

吉良上野介の孫さんのお墓が、大社のお隣りのお寺にあるのですね。
 
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(らいちゃん) へ (iina)
2020-11-02 08:32:18
「苧環(オダマキ)」が、
「しづやしづ 賤(しづ)のをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」と死を覚悟して舞った静御前を想うと哀しくなります。

そのように慕われた義経も幸せ者ですが、悲劇的に死を押しつけられました。

この「苧環(オダマキ)」を或いは助六の彼女だったかと、調べ直してみると揚巻(あげまき)の方でした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/02b7f94657691e8238502397d8c51167

諏訪大社の「御柱」については、次回に譲ります。



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(ムツゴロウ) さん へ (iina)
2020-11-02 08:47:31
諏訪大社は、古刹な社でした。

「忠臣蔵」の適役・吉良上野介の孫・義周は、当日の対応に際する「仕方不届」を理由に改易の上、
信濃国諏訪藩へお預けを言い渡され、吉良家は義周を最後に断絶しました。ここに一方の悲劇の顛末でした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d423729f151f4a9959464b683c1b3c49



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fuekitty さん へ (iina)
2020-11-02 09:07:00
長野県には、何度も観光しているのに諏訪大社を素通りばかりしていました。

旅仲間3人のうち二人が参拝してなく、雨だったこともあり予定外の諏訪大社へと向けました。
やはり大社な構えで、ケッコウでした。
          下社にも寄りましたから、きょうの「万治の石仏」にしています。

雷電は近くの出身なので、境内に像を立てたのですね。
東御市(とうみし)は、長野県の東部(東信地方)にある市だとか。
http://tomikan.jp/about/

* fuekittyさんのブログアドレスをコメント上に置きました。

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Unknown (りょうかん)
2020-11-02 18:09:47
諏訪神社は地元にありますが、諏訪大社には行ったことがありません。
やはり、大社はたいしたものです。
 
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(りょうかん) さん へ (iina)
2020-11-03 09:35:46
諏訪大社 本宮は、コロナ禍下であるためか、
         そんなに人出はなく 寂びれた印象の門前町でした。
 


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