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必ずコメントに参ります by iina

日本橋界隈

2006年07月15日 | 東京エリア
地下鉄・日本橋の真上に白木屋があった。白木屋の創業者、大村彦太郎は長浜(滋賀県)の出身。京都に出て材木商として成功した。素木が店名の由来といわれる。さらに江戸に進出して、寛文2年(1662)白木屋呉服店の基礎をつくった。
その白木屋がいち早く洋服部を開設したのは明治19年だった。夏目漱石の『吾輩は猫である』のなかにも、白木屋で洋服を仕立てる話が出てくる。
老舗の白木屋は、昭和31年に東急電鉄の経営に移り、東急百貨店日本橋店として親しまれていたが、平成11年1月に惜しまれながら閉店した。その跡地に、写真のコレド日本橋が建った。

白木屋で有名なのが、日本の都市災害史に残る大火災。
1932年12月16日にクリスマスイルミネーションを出火原因とする火災が発生、14名の死者を出す日本初の高層建築物火災となった。「当時の女子従業員は和服で、下着を着けていなかった。このため、裾の乱れを気にしてロープによる救助に躊躇したことで犠牲者を増やした」という説が流布され、「白木屋火災が女性のパンティ普及のきっかけとなった」説になったといわれる。

日本橋を代表する百貨店に、やはり「三越」を落とせない。興した三井家の発祥は江戸初期に遡り、三重県松阪市にて武家の家柄であったとされ、かつて京都の呉服商「越後屋」である。なお、三越の店章のマークは、三囲神社に奉納されている茶釜の台石の紋章が由来となっている。

600年ほど前の文和年間、近江国三井寺の僧・源慶(げんけい)が東国を巡礼していた途中、隅田川のほとり、牛島のあたりを通りかかると荒れ果てた小祠を見つけ農夫にその由来を尋ねると、弘法大師ご創建の由緒ある祠であると聞いた。
源慶はそのさまを深く悲しみ自ら再建しようとして地面を掘ったところ、白狐にまたがった神像が納められた一つの壷が出てきた。
その時どこからともなく白狐が現れ、神像のまわりを三度めぐって消え去った。この故事から「みめぐり」の名が起こったと伝えられている。」

三越デパートにもここの分霊が祭祀されている。


―三囲神社の三本足の鳥居―
日本で唯一の京都「蚕の社 木島神社」境内にある「三柱鳥居」と瓜二つの鳥居が鎮座。三本足鳥居はかつて三井家に祀られていたものを此処に移築したとか

iinaはこの日本橋に3度赴任し、通算6年過ごした。これは余計な話でした。

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3 コメント

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京都の老舗 (茶陶遊人の部屋)
2006-07-17 21:25:20
またのご縁で訪問致しました。三越の由来についてのお話、初めて知りました、その牛島とは今の牛島神社のあるあたりでしょうか。三越といい、白木屋(この名を知る方は少ないかも)、高島屋、などは京都西陣とは縁が深く、この店の江戸進出により注文品を西陣で染織、加工して販売してましたので、伝統ある日本の染織文化を維持してきた事は、賞賛されると思います。又、京都祇園祭りもこれら西陣の町衆たちの努力によることも見逃せません。
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勉強になりました (更家)
2015-03-02 11:40:17
白木屋、東急百貨店日本橋店、コレド日本橋の歴史、勉強になりました。

三囲神社の由来も面白かったです。
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(更家) さん へ (iina)
2015-03-03 08:10:19
烏山(からすやま)は、京王線の千歳烏山駅で知るばかりで下車したのが1度あるかない駅です。

どうして、あまり好かれないカラスを地名にしたのか、いままでその疑問を調べようともしなかったのですが、 調べると
「南北朝時代から見られる地名。烏の群生する森があったためか、烏色とされる黒土が山状に盛り上がった地であった
ことからと思われる。」とありました。

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