今朝起きたのは4時半だった
もううっすら明るくて、歯を磨きながら庭を見ると、南の方向には下弦直前の二十日の月が見えた。
新年を迎えた時に(新年になったけど、気が付けば四月になっている)と思っていたけど、やはりもう4月で、それもまもなく終わろうとしている
月日の流れの速さは、2月、3月を意識する間もなく4月なのだ。
こうしているうちに夏が過ぎ、秋になり冬がやってくる、そしてまた一つ歳を重ねる。
元へ 4時半に起きたのは、また船長に手伝いを頼まれたからで5時半に家を出て港へ向かった
なんか仕事をするには早い気持ちでいたが、考えて見れば現役の時も5時半に起きて6時には魚市場へ行っていたのだから、別に早いというわけでもない。
それに歳を取ると早く目が覚めるというけれど、全くその通りで早寝も早起きも気にならなくなった。
5時に朝食を食べたのだけど、テレビをつけたらドジャース戦が7回になっていた、ドジャースが1対3で負けていて、フルベースの逆転チャンスだったが外野への大飛球で終わってしまった、早起きして見なくてよかったと思った。
大谷もノーヒットだったし。
朝は元気で家を出るのだけど、港でも張り切って仕事をしている
だけど家に帰ってくると途端に疲労感が出てくる
それでも賄いの魚を1時間くらい調理するので疲れている暇がない
同時進行で風呂を沸かしながらの作業で、仕事終了と同時に作業服を洗濯機に放り込んで、風呂に入って30分、体を洗ったり、体を温めたり、寝てみたり何か空想したりしている。
これで気分的には疲れは薄れていくのだ、このままベッドに入れば心地よい眠りにつくのだろうが、まだ夕飯を食べたり、昨日買ってきた野菜の苗や畑に水を撒く仕事が残っている。
なかなからっくりさせてもらえない、貧乏性なのだろう。
それでも間もなく74歳になるが、まだまだ元気で働けるのはありがたい
基本、病気らしい病気はしない体質なので血圧とか糖尿とかの薬も必要なくありがたいと両親に感謝
そのかわりケガはよくする、それでも縫うところまで行かないのがありがたい
でも顔面打撲だとか脛の裂傷だとか、指の骨折とかけっこうあせくらしい
というより酔っぱらってのケガが圧倒的に多かったのだ。
最近は酒も遠ざかって、家で飲むことは月に一日くらいで、それも一合がいいところ、おかげで日常的だった胃痛も最近は起らなくなった。
同級生が相次いで骨折や病気入院、手術をする中で元気にやらせてもらっている方だ
父も80歳までは医者知らずで現役だったから、私もその血を引いたようだ
親が90過ぎまで生きていたから、自分もそれくらいは行けそうだといつも思っている。
この頃、「僕は70歳まで生きればいい」「私は70歳で死にたい」といった声を聞くことがママある
「へえぇ?」だ なんでそんな気持ちになるのかわからない
そう言っていながら75歳くらいでもピンピンしているから言ってやる
「自分で死ぬ時を決めたって思い通りにはいかないよ、寿命なんて神様が決めるのだから死ぬまで生きてりゃあいいんだよ」
ともだちのつー君が撮ったメジロの写真
無断転載 ごめんね
奥村チヨ 「終着駅」 1971
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