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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 82 信長 本能寺に死す

2022年12月03日 18時11分09秒 | 貧乏太閤記
 京都の信長の宿舎「本能寺」は寝静まっている
6月1日が終わろうとする22時過ぎ、明智光秀は丹波亀山城にて15000の軍を閲兵していた、通常であればここを出発して織田信孝、丹羽長秀らの四国討伐軍に合流するため大坂に向かう。
23時、光秀の軍は暗闇の中、松明をかざして出発した
摂津へはひたすら南下を続けるのだが、出発して間もなく光秀は進路を東にとって京方面に向かった
兵士たちに疑念のざわめきが立ち始めた頃、光秀は全軍に停止を命じ、各部隊の指揮官だけを集めた
「われらは、摂津にて四国征伐軍に合流するが、お屋形様より我らには特別な任務を与えられることになった、ゆえにわれらはお屋形様の宿舎である二条城に向かう、夜明けまでに着けばよいから、ゆるりと参るぞ」
足軽雑兵までに話はいきわたって皆が安堵した、間もなく老の坂を下り始め、ここを過ぎれば京の都は眼下に開けてくる。
この季節、夜明けは早い朝方5時ともなると明るくなってくる、松明も不要となった
京の西辺に到着した明智光秀は再び指揮官を集めた
「今、二条城より使者があり、お屋形様から与えられたわれらの使命が判明した、われらはこれより本能寺に宿泊しておる、逆臣徳川家康を討ち取る」
一瞬、ざわめきが起きた
「徳川家康は武田が滅んだあと、北条と手を結び、武田の残党を匿い尾張を伺っているという、家来も少ない今が討ち取る機会である、手柄を立てた者には恩賞望みのままじゃ、敵は100に満たぬ早い者勝ちじゃ、家康をけっして討ち漏らすな、四方を十重二十重に囲んで20名ずつ次々と攻め込め、そして鉄砲隊は土塀によじ登り、敵を狙い打ちせよ」
明け方、ついに明智光秀の軍は本能寺に攻め込んだ

 光秀は妙覚寺に信長の嫡子信忠が、千数百を率いて宿泊していたことは知らなかった、情報収集も間に合わぬほど突発的なことだったのだ
信忠は四国討伐軍とは別に、秀吉の後詰のため摂津衆と合流するためにここにいたのであった
間もなく京都奉行の村井貞勝が信忠に明智の謀反を知らせに走って来た
「明智は大軍、本殿は燃え盛って誰も入れぬ有様です、もはや手遅れにございます、ここは早々に引き払って南へ下ってお逃げください」
「それはならぬ、たとえ間に合わぬとて子として父を見捨てて逃げたとあらば天下の笑いものとなり、家臣らも離れるだろう」
「それでは仇討ができませぬ、本能寺はわれらに任せて、なにとぞお逃げください、軍勢さえそろえば仇討はすぐにでもできまする」
「ならば、まずは二条御所まで行って様子を見る、案内せい」
村井も根負けした、一緒に親王の住まわれる二条御所まで案内した
ここは城とまではいかないが、厳重な砦の役目はできる、ここに1000数百で籠れば援軍が望めるかもしれない、すると京に散開していた織田家の武士たちが次々と集まって来た、その数200ほど
総勢でおよそ1500人ほどになった、が親王や官女らをここに置いたまま戦はできない、そのころようやく光秀も信忠の存在に気付いた
本能寺は焼け落ちて、信長の遺骸を探そうにも、崩れ落ちた幾層もの建材や瓦は容易に除くことはできない
もはや信長方の侍は一人もなく、焼け跡を探索する明智勢ばかりであった、だがなすすべがない

 光秀は本能寺にはいかず本能寺から1kmほどの近江に向かう道筋で逃亡者を逃がさぬよう1kmほど離れた場所で報告を待っていた
そこに信忠の存在が報告された
織田信忠の軍勢が二条御所にいます、その数は1000を超えるでしょう」
「なんと、信忠も都におったのか」光秀の動きはほとんど思い付きに等しかったため信忠の動向まで考える余裕がなかった。
「信忠に恨みはない、退去して美濃へ帰らせるがよい」光秀が、そういうと本能寺から帰って来ていた斎藤利三が
「殿、何をぬるいことを言われるか、殿は今、天下の謀反人になるか、天下人となるかの瀬戸際でござるぞ、ここで信忠を逃がせば、たちまち殿は謀反人とされて天下を敵にまわします、信忠を討ち取り、織田親子の非を天下に知らしめて朝廷を味方にすれば殿は天下に号令する天下人となりまする、今までの信長のやり様に苦々しく思っていた者は山ほどおります、これより親類衆、柴田、毛利、上杉、本願寺、伊賀雑賀、長曾我部を味方にするため、急いで使者を送られますように、まずは御所に兵を向けて信忠を討ちましょうぞ」
明智軍は二条御所を取り囲んだ

 守備側の信忠が京都奉行の村井に命じた、「そなたはこれより敵の大将と会って、御所の尊きお方たちを安全に避難させるよう申せ」
この御所には親王様をはじめ朝廷の人々が暮らしていた、そこに信忠らがやってきて明智を迎えようとしていたのだ
村井はすぐさま出ていき、敵将と交渉した、当然明智軍にしても朝廷を敵にしたくないから素直に受け入れた、御所内の親王をはじめ、公家衆、女官まですべてが安全地帯まで逃げ去った、そして戦闘が開始された
今度は信忠軍の兵も多く、御所とはいえ城並みの防御力を備えた二条御所は簡単には落とせない、信忠自らも打って出て槍に刀に奮戦して敵を倒した
明智軍は攻めあぐねた、ついに強硬手段をとった、臨家の公家の屋敷に入り、その高みに上がって御所内に鉄砲を打ち込んだのである
ついに城門が破られ、そうなれば多勢に無勢で、燃え盛る炎の中でついに信忠軍は全滅した、明智軍も被害は大きかった
しかし信忠の遺骸は発見されなかった、信長と言い信忠と言い、その首を敵に渡さなかったことが秀吉らの反撃に大きな力を与えたのである。

 時間と場所を本能寺に戻す
信長は燃え盛る炎の中で自分の体に刃をたて、引いた、次第に気が遠くなっていく、体は前のめりに炎の中に崩れて行った
 すでに息は絶えていたが、血液はかすかに体を循環し、脳は未だ死なず、主の「気」を、失いながらも考えていた
自分が人であることを知った日から、いまわの際までの様々な出来事が巡る、これが「人生走馬灯の如し」と言うのだな
信長が直接手を下さずとも、殺戮命令を10万の家来に命じて行った人殺しによって、犠牲となった人々の数は50万人にも及ぶであろう
流動的ではあるが、この時代に生きていた人間の数%が信長に殺された勘定になる
(まさか儂が光秀に殺されるとは思いもせなんだわ、小心者の正直者と思っていたが案外儂も人を見る目がなかったようだ、狼を追い払うつもりで、もっとも忠実な虎を選んだつもりだったが、まさか飼い主をかみ殺すとは、叱咤激励のつもりで肉を取り上げたことが仇となった、やはり光秀も猛獣であったか。 
 儂はおのれが行ったことのすべてを悔やみなどせぬ、所詮は儂も人間でしかなかった、天が命ずるままに儂は行っただけだ、これは儂に与えられた天命じゃ、だからそれにはすべて意味があるはずだ、それがどんな意味なのか人間でしかない儂にわかるものか
 儂が死んでも世界は続いていく、儂がしたことなど人が生きていく中で小さな出来事でしかないのだ、いずれ忘れ去られるであろう
 儂は人を殺すことに快感を得ていたわけではない、この世に無用な者たちを一つずつ消し去るたびに清浄な地が一つ増えていく喜びを思っていたのだ
それを儂の業と呼ぶなら呼べばいい、人は儂が間違いなく地獄へ落ちるというだろう、だがそれは違う、儂が本能のままおこなったことは、それが快楽であれ、業であれ仏の意思であるはずだ、儂がしたことはすべてが仏が行ったことである、なぜなら儂自身が仏であるからだ。「極楽往生まちがいなし! はははは」
この儂が消えることもまた、ある者の喜びとなったのであろう、それが天の真理であり天が望んだことである、ゆえに儂を殺した光秀もまた極楽で儂と再会するであろうよ
儂が輪廻転生、数百年の後に生まれ変わっても、この魂は永遠に変わらぬ、いずれまたこの世に蘇って天が求めるままに、不用な者たちを消していく作業を行うであろう)

 これだけのことを思っていた時間は数秒だったのか、一時間だったのか、信長自身にもわかるまい、そもそも死にゆく者に時間など何の意味も持たない
織田信長は死んだ、この世から消えた
天正10年(1582)6月2日(旧暦)のことであった 享年49歳 合掌







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