研修を担当していて、「今日は一体感のあるいい研修だった」「質問に対して冴えたコメントが返せたなぁ」と思う時もあれば、「今日は今ひとつ乗り切れなかった」「気の利いたコメントが返せなかったなぁ」と思う時もある。
また、「今日の受講者は質問がシャープやなぁ(セルフトーク:よっしゃ、よっしゃなかなかええ質問や)」と思う時もあれば、「今日の受講者は質問のポイントがズレてるなぁ(セルフトーク:お前、一体何を聞いとったんや、そんなこと今聞くことちゃうやろ)」と思う時もある。
この差はどこからくるのか?
プロとして人の前に立つ以上、相手の状態がどうであれ「自分が伝えるべきメッセージを伝えきり、相手になんらかの気づきを与えるのがお前の仕事ちゃうんかい!!」「そんなことはわかっとるわい!!」と自問自答。
しかぁ~っし
私も人間。何かを得てやろう!という気持ちをビシバシ感じる受講者と、「何か気に入らんことあるんかい(あるんやったら帰れや~!)」と言いたくなる表情でとりあえず座っている受講者と、どっちに対して熱が入るか?
↑愚問
前者に決まっている。相手の状態がどうであれ!というのは建前で、人間である以上一生懸命聞こうとする受講者に対して一生懸命話そうとするのは当たり前。意図的にではなく無意識にそうなる。
一生懸命何かを吸収しようとしている受講者が、この受講者のために「なんとか役に立ちたい」という想いを喚起し、その想いが私の持っている知識や経験をフル動員するだけではなく、それらを組み合わせて、その場で、その人にとって最適の「気づき」を与えるための「ことば」を引き出してくれる。
これらは、時に自分でもびっくりするぐらい研ぎ澄まされた「ことば(言霊)」となって自分の口から生まれる。
研修やセミナー終了後、「なぜ、あの場面であんなコメントができたのか?」と不思議に思うことがある。どんなに考えてもわからない。「もう一度喋れ」と言われて難しい。それは、その場面で、その雰囲気だからこそ出てきたまさに「言霊」。
冴えたコメントが返せるのは、私が冴えているのではなく、受講者が私からいいコメントを引き出したのにすぎない。
そのコメントが受講者の気づきを深め、そのことによって相互理解が深まり・・・この状態が私からさらなる「気づき」のきっかけを引き出す。いい研修とは、講師と受講者、受講者間にこの関係が構築できるもの。まさに相乗効果の妙・・・。
受講者によって講師も活かされ成長する。研修の場はまさに「共に育つ」場。