多元的全体食のすすめ(八) 食べ物研究家 五十嵐玲二談
8. 食べること、学ぶこと
動物は、基本的には食べることが、生きることです。
鳥類は卵を産んで、ツガイが協力して、卵を温めつづけて、ヒナが誕生してからも、ヒナの安全を確保し、急速に成長するヒナのために、ツガイで、協力し全力でエサをとらえて、ヒナに与えなければなりません。
そして巣立ちですが、ヒナもこの間に、自分が食べるべきエサについて学び、体力をつけて、飛び方から、エサの捕りかたまで、マスターしなければなりません。まもなく自分でエサを捕り、さらには渡りの季節に備えて、充分な体力と知力を持つ必要があります。
このため鳥類は、哺乳類とならんで、ある意味過酷な子育てを通して、親も子も高い知能を獲得したと考えられます。
一方、人類を含めて、哺乳類は、赤ん坊として生まれ、すぐに母親の母乳を飲みます。このとき、赤ん坊は、母親を通して、自分の様々な要求を伝えます。このときに、赤ん坊は、自分は何者で、自分の家族や群れや、自分たちが生きている環境について、学んでいます。
赤ん坊から、子ども時代を向かえると、母親の食べる物を見て、食べることのできる物、食べることのできない物、食べ方、そしてそれらを獲得する方法を学んでいきます。
次に、人を含む類人猿の中から、森の賢人をも呼ばれる、オラウータンの子育てについて見てみましょう。オラウータンは、ボルネオの熱帯雨林でうまれ、一生を樹上で生活し、地面に降りることはないと言われています。
オラウータンの赤ん坊は、母親と一対一で、母乳を飲む時代を経て、独り立ちするまでの6~7年間は、片時も母親のもとを離れることなく、母親から森の果樹、木々の新芽、木の皮、アリなど800~3000種とも言われている、食べ物について学んでいきます。
熱帯雨林に於いては、数年に一度しか実をつけないものも多く、最大で100キロもの巨体を樹上で維持していくには、母も子も多くの種類の樹木とその季節的変化、その食性について、懸命に学んでいく必要があり、6~7年の学習期間を必要とします。
オラウータンの賢いところは、ボルネオの森の豊かな生物多様性を保ちながら、有用な樹木を損なうことのないことです。そのためにオラウータンのとった戦略は、より広い食材を求めることによって、森の豊かさを保つことです。
私の推測ですが、オラウータンの子育てに父親は出てきませんが、母と子のオラウータンを見守る形で、遠まきに生活していると考えられます。本来は、母と子と父の三頭で生活すべきかもしれませんが、そうなると森の一箇所に負担がかかりすぎるためと考えられます。
人間は、赤ん坊として生まれて、母親の母乳で育ちますが、生まれてすぐに泣き声で、母親に様々な要求を伝えます。その間でも母親の発する言葉について、学習していきます。
そして離乳食によって、食べ物と味について学んでいきます。その中で家族関係と言葉を学び、料理法を学んでいきます。人類はさらに家族でコミュニケーションを取りながら、乾季や冬の食料の乏しい期間の飢えを予測して、それに備えます。
食べ物の豊富な季節に、魚を干したり、山菜や野菜を甕や樽に漬けて貯蔵します。さらにどんぐりやトチノミのように青酸を含むものを水に晒して食料にします。
ニワトリや家畜を飼うことも、食料の備えとして発達したものと考えます。
私たちも、数十年前までは、食べることは家族を中心に行ってきました。作物を育てたり、海や山のものを収穫したり、それらを調理しながら子供たちは両親に協力し、コミュニケーションをとりながら、多くのことを学んできました。
寒い地方であれば、冬のための漬物や干物をつくることによって、食べ物を保存し、来るべき冬にどう対応するかを学んできました。私が子供のころ数羽のニワトリを飼っていて、卵を食べ、特別な日には、ニワトリをさばいて、解体し、内臓から鳥ガラまで調理して食べました。
私の時代には、母親が作ったお弁当をもって、学校で食べました。簡素なもでしたが、弁当を通して家族を繫がっていたように思います。昭和30年頃までは、食料品を買うときも、対面販売であったため、会話をしながら、食べ方に関する情報が得られました。
調理されたものを家族が揃って、会話をしながら、子どもたちは多くのことを学びました。
現在は、スーパーマーケットで買い物をし、学校給食を食べて、工場で食品加工され、家族が食べ物を通して学ぶ機会が少なくなっていると感じます。
しからば、現在、私たちは家庭に於いて食べることに、取って代わる多くのことが学べる物があるでしょうか。さらに、それによって家族の絆を築けるものがあるでしょうか。現代においても、私たちは食べることを家庭の中心に置いて、その意味と哲学について再構築する必要があるように思います。 (第8回)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます