物は置き場所、人には居場所 (その1) 日常をデザインする哲学庵 庵主 五十嵐玲二
この格言は、現代に於ける様々な問題に対して、大きま方向性を示しているのではと、考えまして数回に渡って書き進めていきます。
一見簡単そうに見える格言ですが、大きなテーマで、まだ見通しは立っていませんが、まず自分の考えるそのアウトラインを書くことによって、その第一歩を進めることができるのではないかと考えて書き始めます。
この「物は置き場所、人には居場所」とは、ごく当然のことのようにおもわれますが、これを実現することは、意外に難しいものです。
私は第一に、物とは何か、その全体像を捉えたい。居場所とは何か、その全体像を捉えたい。
第二に、人はどのような居場所を望み、どのように社会と繫がりたいと考えているのか。
第三に、人の居場所は家の中や家庭の中や、社会的生活の中で見出されます。このため社会とは何か、社会活動とは何かを考えなければなりません。
第四に、人の居場所は、社会的役割や社会的経済活動の中で、見つけられるのが望ましいのですが、そう思惑通りにはことは運びません。
第五に、昭和30年代まで、家には昼間家族以外の誰かが居て、父や母と何らかかの話をしていたものです。お店で物を買う時にも、一対一で何らかかの会話をしながら、買ったものです。
マニュアルによる ”いらしゃいませ” ではなく、一対一の本当の自分の声による会話の場を社会に復活させることが、個人と社会を活性化させるための一手目ではないかと考えてます。
第六に、この「物は置き場所、人には居場所」をよく考えてみますと、私の「日常をデザインする哲学庵」の標語とすべきなのかもしれません。
第七に、”物は置き場所”と関連して、情報を自分の頭の中にあるネットワークのどこに位置づけ、どのように体系化するかも、重要です。これは、”情報の体系化”とも呼べるものです。 (第1回)
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