6月13日、旅も7日目となりました。
今日でオーストリアともお別れです。
午前10時、お義姉さんのお兄さんがホテルまでお迎えに来てくれました。
お兄さんは救急隊員で夜勤明けで疲れているところ、
ハンガリーからオーストリアまで400キロ以上の距離を遠路はるばる来てくれたのです。
お兄さんも日本に少し来ていたこともあって、義母や彼は知っているのですが、
私は初めてお目にかかりました。
背が高くてがっしりしていて、一見プロレスラーのよう!
でもとっても心優しい方です。
乗ってきたベンツのワゴンですが、二列目、三列目のシートが合い向かいになっています。
二列目の人が後ろ向きに車に乗らなくてはならないので、これじゃ気分が悪くなっちゃうから、
二列目も前向きにして乗ろうね!ということになって、大騒ぎなっているのが上の写真。
実は新しい車で、お兄さんもどうやったら、シートの向きが変わるのかよくわかってない!!
兄妹で、取扱説明書を見て????
一方義兄と主人の兄弟は車の中でシートを外したものの上手くハマらず、
ああでもないこうでもないと悪戦苦闘。
二組の兄弟兄妹が大わらわになっていました。
これで30分は出発が遅れました(笑) さあ、出発したらもうこっちのもん!
高速道路らしきところはほとんど走っていないのですが、
どう考えても150㎞以上のスピードが出てるんですよ。
で、お兄さんの車を追い抜いていく車もあるんですけど、どうなってんのぉ?
でも、村や町の入り口には看板があって‘ここから村だよ!制限速度は40㌔だよ’って書いてある(らしい)
だからどの車も町や村の道はちゃんと40㌔で走るのよ。
そんでもって‘ここで村終わり!’の看板過ぎたら
おりゃりゃりゃーーーーいっきなり150㌔ですよ。メリハリありました(爆)
オーストリアからはスロバキア経由の方がお義姉さんのお家は近いので
昔の国境を越えて走ります。
午後2時、ハンガリーのお義姉さんのお家に到着です。
共産国時代の名残で、どの家も道路に面していて広さもほとんど同じなんです。
国が「あなたはここに住みなさい」と決めて、食糧も支給、失業の心配はないという時代。
お義姉さんは14歳まで共産主義国で育ったんだけど、あの時代の方が良かったと言います。 花が溢れる明るいお義姉さんのお家です。
クリーム色の壁と赤い屋根はこの地方の特色なんですね。
ご両親がそろって出迎えてくれました。
そしてお母さん手作りの御馳走が並ぶお昼ご飯です。
ニンジンと日本のそうめんのような麺の入ったスープ。
めっちゃめちゃ美味しかったです。
骨付きの豚肉のスペアリブのようなもの、
手作りのソーセージ、サラダ、そしてご飯も出してくれたんです。
お義兄さん達がハンガリーに炊飯器やお米を送っているので、
お義姉さんのお家では普通にご飯食べているんですって!(笑)
お父さんの作った度数40度のワインも振舞ってもらったのですが、
これがワインというよりブランディーのような味わいでした。
言葉は通じなくてもなんとなく和気あいあいとしたランチタイムを過ごすことが出来ました。
今日でオーストリアともお別れです。
午前10時、お義姉さんのお兄さんがホテルまでお迎えに来てくれました。
お兄さんは救急隊員で夜勤明けで疲れているところ、
ハンガリーからオーストリアまで400キロ以上の距離を遠路はるばる来てくれたのです。
お兄さんも日本に少し来ていたこともあって、義母や彼は知っているのですが、
私は初めてお目にかかりました。
背が高くてがっしりしていて、一見プロレスラーのよう!
でもとっても心優しい方です。
乗ってきたベンツのワゴンですが、二列目、三列目のシートが合い向かいになっています。
二列目の人が後ろ向きに車に乗らなくてはならないので、これじゃ気分が悪くなっちゃうから、
二列目も前向きにして乗ろうね!ということになって、大騒ぎなっているのが上の写真。
実は新しい車で、お兄さんもどうやったら、シートの向きが変わるのかよくわかってない!!
兄妹で、取扱説明書を見て????
一方義兄と主人の兄弟は車の中でシートを外したものの上手くハマらず、
ああでもないこうでもないと悪戦苦闘。
二組の兄弟兄妹が大わらわになっていました。
これで30分は出発が遅れました(笑) さあ、出発したらもうこっちのもん!
高速道路らしきところはほとんど走っていないのですが、
どう考えても150㎞以上のスピードが出てるんですよ。
で、お兄さんの車を追い抜いていく車もあるんですけど、どうなってんのぉ?
でも、村や町の入り口には看板があって‘ここから村だよ!制限速度は40㌔だよ’って書いてある(らしい)
だからどの車も町や村の道はちゃんと40㌔で走るのよ。
そんでもって‘ここで村終わり!’の看板過ぎたら
おりゃりゃりゃーーーーいっきなり150㌔ですよ。メリハリありました(爆)
オーストリアからはスロバキア経由の方がお義姉さんのお家は近いので
昔の国境を越えて走ります。
午後2時、ハンガリーのお義姉さんのお家に到着です。
共産国時代の名残で、どの家も道路に面していて広さもほとんど同じなんです。
国が「あなたはここに住みなさい」と決めて、食糧も支給、失業の心配はないという時代。
お義姉さんは14歳まで共産主義国で育ったんだけど、あの時代の方が良かったと言います。 花が溢れる明るいお義姉さんのお家です。
クリーム色の壁と赤い屋根はこの地方の特色なんですね。
ご両親がそろって出迎えてくれました。
そしてお母さん手作りの御馳走が並ぶお昼ご飯です。
ニンジンと日本のそうめんのような麺の入ったスープ。
めっちゃめちゃ美味しかったです。
骨付きの豚肉のスペアリブのようなもの、
手作りのソーセージ、サラダ、そしてご飯も出してくれたんです。
お義兄さん達がハンガリーに炊飯器やお米を送っているので、
お義姉さんのお家では普通にご飯食べているんですって!(笑)
お父さんの作った度数40度のワインも振舞ってもらったのですが、
これがワインというよりブランディーのような味わいでした。
言葉は通じなくてもなんとなく和気あいあいとしたランチタイムを過ごすことが出来ました。