「おもしろうて やがて悲しき 鵜船かな」
「俳聖」芭蕉・・、元禄一年(一六八八)45歳のときの作として知られ「美濃の長良川にてあまたの鵜を使ふを見にゆき侍りて」との前詞がある。
<句意>
鵜船が目の前で、華やかな篝(かがり)火を焚きつつ活発な鵜飼を繰り広げる時、面白さはその極みに達するが、やがて川下遠く闇の彼方へ消え去るにつれて、なんとも言い知れぬ空虚な物悲しさだけが心に残る。
胸をワクワクさせた「華やかさ」の後にくる一抹の寂しさ・・、「詩情」にあふれていますね。350年ほど前の作品なのに現代人の心情と少しも変わっていないことに気付かされます。
50年以上に亘って「音楽&オーディオ」に熱中した我が人生も、振り返ってみると「おもしろうて やがて悲しき・・」ですかね(笑)。
さて、久しぶりに音楽の話。
音楽にはいろんなジャンルがあって曲目も数限りないが、どんなに好きな曲目でも何回も聴いていると飽きがくるというのは誰しも経験されることではあるまいか。
歌謡曲とかポピュラーなんかは1曲あたりせいぜい4~5分程度なので仕方のない面もあるが、クラシックだって例外ではない。
たとえばシンフォニーの場合、第一楽章から第四楽章まで起承転結にならって、およそ40分ほどにわたって展開されるものが多いが、そういう中身の濃い曲でも何回も聴いているとほとんどの曲が飽いてくる。
他人に自分の考えを押し付ける積もりは毛頭無いが少なくとも自分はそう。
そういう中で、こればかりは”いつ”、”いかなるとき”に聴いてもホッとして心地よい曲というのがある。
そう、まるで「子守唄」のような存在。
人によって様々だろうが我が家の場合は今のところ3つに絞り込んでみよう。
それはベートーヴェンの「田園」、モーツァルトの「ピアノソナタ全集」、そしてエンヤの「アルバム」。
前二者は「長い時間の経過」という天然のフィルターがたしかな役割を果たしてくれている好例である。
「自然の美しさ、優しさ、厳しさ、そして感謝」を高らかに賛美した「田園」はずっと昔のブログでいろんな指揮者の聴き比べ特集を投稿したことがある。
因みにそのときの指揮者を挙げてみると次のとおり。
フルトヴェングラー、クレンペラー、ワルター、ブロムシュテット、イッセルシュテット、ハイティンク、マリナー、ケーゲル、ジュリーニ、ジンマンの10名。カラヤン盤がないのはご愛嬌。後にチェリビダッケ盤も追加。
当時はマリナー盤を自分にとってのベストとして挙げておいたのだが、今ではまず聴かない。自然とワルター盤に還ってしまった。
演奏の良し悪しは別として、もうアタマの中に刷り込み現象のようになっていて、これはもうワルターでないとダメ~(笑)。
次に、モーツァルトのピアノ・ソナタ。これもいろんな奏者がいる。
手元にあるだけでも、アラウ、ピリス、内田光子、ギーゼキング、シフ、グールドといったところだが時によってアラウが良かったり、ピリスだったりするがいつも自然とグールド盤に還っていく。
これはモーツァルトのソナタというよりもグールドのソナタと言ったほうがいいくらいで独自の解釈で自由奔放に弾きまくっていて、一風変わった奇妙な魅力が心を捉えて離さない。
コンコンとまるで汲めども尽きせぬ泉が湧き出てくるような演奏だが、自分にとってはこれはもう「子守唄」を通り越して「お経」みたいな存在といっていい。縁起でもないが通夜のときには魔笛と並んでこれをしめやかに流してもらおうと思っている。
ただしグールド自身の書簡集などを見ると、決してモーツァルトという作曲家を評価しておらず、シェーンベルクやバッハなどに思いを馳せていて、この「ピアノ・ソナタ集」録音への言及は一切ない。
しかし、CD盤の帯封に「世界中のグールド・ファンの愛聴盤」とあるように作品自体が一人歩きしている感がある。
これは演奏家の思惑と人気が必ずしも一致しない実例の一つだろう。
そして最後に「エンヤ」(アイルランド)・・。
前から好きなアーチストだったが、「You Tube」でリモコンのスイッチ一つで簡単に聴けるようになってからは、まず聴かない日はないほど・・。
とにかくあらゆる曲目が豊かなサウンドとともに自然と心に沁み込んでくるし、ついなにがしかの郷愁を覚えさせてくれます。
以上の三つが我が家では「子守歌」と「お経」になっています。
あなたのお宅ではいかがですか・・、よろしかったらご教示ください(笑)。
最後に、久しぶりに「チャットGPT」の登場です。「子守歌」と「お経」の違いを訊いてみました。
子守歌(こもりうた)とお経の違いは、それぞれの目的や内容にあります。
1 子守歌(こもりうた):
子守歌は、子供を寝かしつけるために歌われる歌のことです。通常は、穏やかなメロディと簡単な歌詞で構成されています。親や介護者が子供を寝かしつける際に歌うことが一般的で、子供に安らぎや眠りをもたらす役割を果たします。子守歌は、地域や文化によって異なる歌詞やメロディが存在しますが、その共通点は子供の安らぎを与えることにあります。
2 お経(おきょう):
お経は、仏教の経典や教えを述べた文や歌のことを指します。お経は、仏教の修行や宗教的な儀式で使用されることが一般的です。仏教におけるお経には、般若心経や観音経などさまざまな種類があります。お経は、信仰心を深め、悟りを開くための教えを伝えることを目的としています。そのため、お経は宗教的な文書であり、特定の信仰や宗派に属する人々によって読誦されます。
要するに、子守歌は子供の眠りを助けるための歌であり、お経は仏教の経典や教えを述べた文や歌です。それぞれが異なる目的と文脈で使用されます。
もうどちらでもよろし、精神安定剤の役割さえ果たしてくれれば~(笑)。
道徳的なクリックを求めます →