ときどき、ブログを読んでいる方や知り合いから”なかなか多趣味ですね”といわれることがある。たしかに自分でも暇で時間をもてあまし退屈で困るということはまずない。
しかし、同じ年令ぐらいでちゃんと働いている方を見ると「まだ世の中のお役に立っていて偉いなあ~」と感心する気持ちも、もちろん持ち合わせている積もり~。
さて、この日常を支えている趣味を大別すると次の四つつになる。
1 「音楽鑑賞&オーディオ」
2 「釣り」
3 「読書」
4 MLBほか娯楽番組の視聴とネット情報の収集
また、ここ3年ほど2~3日おきに更新している「ブログ」も書いて投稿することはあまり苦にならないので趣味といえば趣味だが、ことここに至って「継続の観念」がずっと強いので最近では義務に近い感じがしていて、趣味の範疇からは遠のくばかり。
ところで、人生に貴重な彩を添えてくれるこれらの趣味だが、お互いに自分の中で仲良く収まっているかというとそれほどでもない。
まず、はたからみても目を引くのが1と2の趣味。この両者はまったく肌合いが違うし、少なくともお互に相乗りして一段と趣味の中身が充実するといった互恵関係ではない。
とにかく1も2も随分と奥が深くかなり集中力を要する趣味なので気分的に「切り替えスイッチ」を入れるのがたいへんで、1にのめり込んでしまうと当分の間2の方がほとんどおろそかになり、反対に2にのめり込んでしまうと1の方が・・・という訳で、なかなか同じ時点での両立が難しい。
そもそも片方は「屋内で楽しむ趣味」であり、もう一方は「直に自然と触れ合って野外で楽しむ趣味」というわけで、基本的に性格が違っていて、いわば頭脳派と肉体派の対決。
しかし、この対決が実際には思わぬ効果をもたらしている。
端的に言えば、自分の中では1に対して2が常にブレーキをかけている状態がずっと続いている。
1は極めて情感に訴えかけてくる趣味である。何といっても音楽のいいところは、ハートを揺さぶって「感動」を与えてくれるところにある。感性に強く働きかけ、ときには感極まって涙さえもが流れる趣味というのはこの世知辛い世の中でそうそうは無い。
これが昂じてくるとさらに高い音質と感動を求めるあまり、”お金がどんなにかかってもいいからお目当ての機器が絶対欲しい”という欲望が強固に芽生えてくる。つまり「情感」が「理性」を駆逐してしまうというわけ。これこそが巷にオーディオ愛好家が氾濫する理由。
しかし、悲しいことにその必要なお金というのが中途半端な額では間に合わないのが痛い。お金は無限に湧き出てくるものではないので結局、借金してでも何とかしたいが、そこはそれ両肩に家族というのがズッシリと重くのしかかっている。
欲しくて欲しくて堪らず、それかといってお金は足りない、そういう悶々とした日々をずっと続けるわけにもいかず、やっぱりどこかで折り合いをつけざるをえない、そこでまったく性格が異なる「釣り」の方に関心を移して、しばらくオーディオをやり過ごすというのが若い頃の自分のやり方である。
いわばあまりお金の掛からない「釣り」で気を紛らわせるわけだが、これがまたやり始めると結構面白い。そしてある程度時間が経つと、あら不思議、あんなに欲しかったオーディオ機器が”それほどでもない”となってしまう。
これは、いわゆる”ごまかし”という手段なので決して褒められたものではないが、時間が経ってみると結局あんな高い機器を購入しなくて正解だったという事例が意外と多かった。おそらくオーディオの世界に入り込みすぎて視野が狭くなり一時的な「ストレイ・シープ」になっていたのだろう。
1と2との関係とはそういうことなのだが、3と4ともなると1と2の双方に対して等距離にあってたいへん友好的で好ましい存在である。それに時間、場所を問わずいつでもすぐに気軽にスッと楽しめるところが何よりもいい。
こうして結局のところ自分の場合、これら4つの趣味が敵対と互恵の関係で成り立つということになるのである。