昨年末(2019年)に図書館から借りてきた「10冊の本」。
「音楽&オーディオ」にメチャ多忙な毎日だが、年末年始にかけて寸暇を割いて読書に取り組んだものの、最後まで読み果せたのはたったの1冊という情けない結果に終わった。
自己の読解力はさておいて(笑)、ぐいぐいと引っ張ってくれるような魅力的な本が少なかった。
一番の期待外れは「ノワールをまとう女」で、最新の「江戸川乱歩賞受賞作」(賞金1千万円)なので、ワクワクしながら読み進んだところ、文章がこなれていないし、謎解きの展開力にも乏しくてサッパリ面白くない。
とうとう1/4あたりまで読み進んで放棄した。よくもまあこんな「つまらない本」を選んだものだと、怒りの矛先がつい「選者」の方に向かった。
巻末に選考委員が記載されており全部で5名いて「新井素子」「京極夏彦」「月村了衛」「貫井徳郎」「湊かなえ」の各氏だった。
選考過程を読んでみると、本作品はダントツではなかったようで意見が分かれていたが、何だか消去法で残ったという印象を受けた。
こんなことなら「受賞作なし」にして欲しかったなあ。過去に東野圭吾や井沢元彦、池井戸潤などの有名作家を輩出した面影はもはやない。
このことを帰省中の娘にこぼしたところ「お父さん、この頃は江戸川乱歩賞よりも鮎川哲也賞の方が面白いみたいよ」といって渡してくれたのが「屍人荘の殺人」だった。
本格派ミステリーに荒唐無稽の「ゾンビ」が絡んでくるというSF趣向を凝らした本だったが、密室や謎解きの工夫が斬新だし、たしかにこちらの方が断然面白くて一気呵成に読み終えた。新しいミステリーの夜明けを感じさせる本だった。
話は戻って、10冊のうち最後まで読み耽ったのは「独ソ戦」だった。
第二次世界大戦における両国の指導者、ヒトラー(ドイツ)とスターリン(ソ連)の開戦前後の駆け引きというか双方の思惑がことごとく外れていくのが興味深かった。
当時のスターリンは猜疑心が強くて、自分の地位を保全するために名だたる将軍や将校たちを次々に銃殺しており、ソ連軍が組織的にガタガタになっていたこともあって「ドイツは攻めてこないだろう」との希望的観測を持っていた。
それが見事に外れてドイツ軍が攻めてくると、あまりの無防備さに当初はお手上げ状態だったし、ヒトラーはヒトラーで「ソ連軍弱し」の目論見が「量的な兵力の補給」と「冬将軍」の到来によって無残にも打ち砕かれるといった具合。
いわば双方とも誤算の連続で、結局どちら側の誤算による被害が少なかったかで形勢が決まった印象で、実際の戦争とはそんなものだろう。
とにかく、「いったい人間の生命を何と考えているのだろうか」と思うほど、万人単位で大量の命が簡単に奪われていくことに圧倒された。
「独ソ戦」とは相手の人民を一人残らず殺すという「殲滅戦争」であったことが窺い知れるのである。
ほかにも、ソ連兵の屈強さに比べて情けないほどのフランス兵の弱さ、終戦後にドイツに進駐した「ソ連兵の蛮行」に対して、ドイツではいまだにロシアに対する屈折した思いがあることなどが書かれていた。
こういう本を読むと、「”恵まれた時代”に生まれて運が良かった」と、つくづく感謝したくなる。
何しろ、毎日が極楽で「音楽&オーディオ」三昧、「読書」三昧ですからねえ(笑)。
最後に、戦争の愚かさにちなんだ「日経新聞」(2020.1.5)の第一面のコラム「春秋」を引用させていただいて終わりとしよう。
「昔、ある高僧のもとに年賀にやってきた男がなにか縁起の良いことを書いてほしいと頼んだそうである。それで僧がしたためた言葉は”親死に、子死に、孫死ぬ”。
正月から不吉だと怒る男に僧曰く”いやこの順番ならばめでたい。逆になったら大変なことだ”。
金田一春彦之名著”ことばの歳時記”を繰っていたら、おせち料理に添える”ゆずりは”の項にこんな話があった。
この植物は新しい葉が成長すると古い葉がポトリと落ちて代をゆずる。”親死に、子死に」の順縁だ。
しかし、顧みれば人間はしばしそれに背いてきた、多くの若者を戦争で死なせる過ちを重ねている。
今年は戦後75年。四半世紀の節目を3つも経るのだから、この時代の長さがいよいよ際立つというものである。
日本の近現代史の中でどれほどたくさんの人が子や孫を失ってきたことだろう。そう思うと、75年間も不戦を守ってきた”ゆずりは”の世のありがたさがわかるのだ。”戦後”を蔑(ないがし)ろにしてはならない。」
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