爽やかだったお二人の会見
2021年10月26日
秋篠宮家の眞子さまが小室圭さんとの婚姻届を提出し、結婚が成立しました。「やっとたどり着いた。憲法違反にならないですんだ」とほっとする人から、「母親の金銭スキャンダルがあり、今後も許せない」という人まで様々でしょう。
結論からいうと、「皇族とはいえ、人権にお構いなしに、叩きやすい対象ならば叩き続ける。売れさえすればよい」という週刊誌文化が根を張る日本を離れ、米国で暮らすのは賢明な選択」だと、私は思います。
お二人は会見で「互いにかけがえのない存在です」「結婚は必要な選択です」と述べました。口頭での部分は「言語明瞭で、爽やかだった。しっかりしている。決断に満ちている」が私の印象です。お二人が強調されたのは、「誤った情報、いわれなき中傷」でした。
眞子さまを「複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に追い込んだのは、集団的過熱報道です。特に女性週刊誌は根拠不明な情報をどこからか仕入れて垂れ流し、SNSで拡散されました。
女性セブン(小学館)、女性自身(光文社)、週刊女性(主婦と生活社)の発行会社はしっかりした出版社です。いい出版物もだす一方、スキャンダル仕立ての記事を載せた女性週刊誌をだす。出版にも倫理が必要です。
日本新聞協会は01年、「集団的過熱取材に関する見解」を発表しました。「多数のメディアが殺到し、当事者や関係者のプライバシーを不当に侵害し、社会生活を妨げ、多大な苦痛を与える状況を作りだしてしまう取材」を自制する方針を明らかにしました。
眞子さま、小室さん母子に関する報道で、どのような取材をしたのか知りません。お二人の会見からすると、不確かな伝聞やねつ造の部分があったように見受けられます。「集団的過熱取材」というより、「集団的過熱報道」というほうが正確なのかもしれません。
皇族であった眞子さまの場合は、「公人もしく公共性の高い人物は、一般私人の場合と区別して考える」(同見解)に当たるしても、表現の自由には責任が伴うことを忘れてはならない。
新聞社の自主規制には、出版社は含まれていなくとも、社会的に許容される責任ある報道姿勢を貫くべきだという点では共通します。
お二人の記者会見に向けて、報道陣から事前に提出された質問の中に「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねないものが含まれていることに、眞子さまが強い衝撃を受けた」(宮内庁)そうです。記事内容の自己検証を求めたい。
もう一つは「この結婚は多くの国民が納得し、喜んでくれる状況にならなかった」(都倉武之・慶大准教授、近代日本政治史/読売新聞、26日)という問題です。この「多くの国民」とは何を指すのか。
世論調査によると、この結婚について「よかったと思う53%、思わない33%」(読売10/6)と、半数を超えました。お二人の同年代が含まれる18~39歳では「よかったと思う」が59%と、さらに高い数字です。
不確かな情報が氾濫した中での数字にしては高く、都倉氏の指摘は間違いでしょう。「小室さんが難解な28㌻の説明文を公表し、批判されるような事態」(都倉氏)もどうかな。丁寧な説明ですし、「母の元婚約者からの借金も返すつもり」(小室さん)だから、この指摘も間違いです。
「結婚反対」のプラカードを掲げたデモがありました。恐らく、旧皇族の復帰を願っている右翼系の勢力が糸を引いていたと推察します。
これで残る皇族女子は12人で、20歳代以下は2人(愛子、佳子さま)となりました。皇室の存続のためには寂しい限りです。旧華族、旧勢力が目指す旧皇族の復帰(養子縁組)でも実現しないと、皇室は先細りする。
民間人に対する旧華族などの拒絶反応は強く、美智子妃、雅子妃の精神的な病の一因になりました。こうした光景をみると、若い皇族女子、若い旧皇族のお相手になれそうな民間人は尻込みするに違いない。
過度の小室さん母子叩きは、結局、旧勢力、右翼系が願う皇室の存続に危機をもたらしています。逆効果でした。
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