統一教会問題や国葬ではもっと本音を
2022年8月11日
岸田首相は第二次改造内閣を発足させました。新聞各紙は「骨格維持、再登板、派閥配慮」(朝日)、「物価高、エネルギー、政策断行内閣」(日経)などと表現しています。
旧統一教会問題が表面化し、内閣支持率が急落したため、改造時期を1か月、早めました。「接点を認めた7人交代」「厳正に関係見直し」の一方で、「新閣僚6人が接点」など分かりにくい。関係の濃淡に大きな差があるためでしょうか、岸田首相は込み入った対応を迫られました。
旧統一教会と政治家の問題については、「両者の間には、組織的な関係があったわけではない」とされています。「だからこの問題ばかりが騒がれるのはおかしい」という強い批判が与党や保守派の識者などから聞かれます。
新聞社説は「教団との関係を清算せよ」(朝日)、「高額献金の実態解明が急務だ」(読売)、「自民党は所属議員らの調査を徹底し、関係を早期に是正する必要がある」(日経)などとしています。関係者の発言を報道するにとどまらず、新聞が自ら事実関係を調べてみることが必要です。
新聞論調で物足りないのは、「組織的な関係」と「組織票の取り込み」の関係を混同していることです。「組織的な関係」がなくても、「組織票」への期待があったのですから、「問題なしでは片づけられない」と、強く主張すべきなのです。「組織的な関係」と「組織票」を無関係ではないのです。
右寄りの識者らから、「祝電、メッセージ、僅かな寄金で騒ぐのはおかしい。メディアが騒ぐから、誤った世論が形成される」、「公明党も創価学会には祝電は送っているだろう」とか、乱暴な声が聞かれます。
創価学会と公明党、自民党と日本会議(神道など宗教団体が関係)の場合は「組織的な関係、ないし一体化」です。しかも創価学会、日本会議系の宗教団体などと、旧統一教会は異質の問題です。教会が掲げる宗教団体の看板は隠れ蓑で、実態は反社会的組織とでもいえる。
「憲法で宗教の自由、信仰の自由が求められている」は正しくても、「旧統一教会は宗教団体の名に値しない。信仰の自由とは無縁」と、メディアはもっと本音を語ったほうがよい。
統一教会の名称変更を認可した下村博文氏(当時文科相)は「申請があれば法的に却下できない」とか言っている。まじめな宗教団体の場合はそうであっても、巨額の献金を怪しげな手段でかき集め、どこかに流用していた統一教会は異質の集団でしょう。
読売社説は「宗教団体の政治活動は憲法上、問題ないとされている」と遠慮ががちに書いています。「旧統一教会は宗教団体かどうか疑わしい反社会的な団体」と、言い切っていいのです。
朝日は「教団と歴史的に深い関係を築いてきた自民党が本当に関係を断ち切れるか」と、指摘します。この場合は「自民党」というより、「岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三の三代。その流れで安倍派」というべきでしょう。
日経は「自民党は徹底した調査を」と、訴えています。自民党が徹底した調査をやるはずまずないでしょう。新聞が独自に取材して、問題を掘りこすよう期待します。
読売は「家庭連合(旧統一教会)への恨みを安倍氏に向けるのは筋違い」と主張します。「恨みがあるからといって、銃撃し殺害するのは筋違い」ではあっても、安倍家3代と旧統一教会の関係は深かったようです。月刊文春の最新号の特集「安倍暗殺と統一教会」は、その解明に迫っています。
安倍氏の国葬が早々に決定しました。世論調査では、「有権者の過半数が国葬に反対」です。改造内閣で旧統一教会との関係が深かった人物は退任させ、「今後関係を断つ」という方針が示されました。
「教会との関係を今後、断つ」と「自民党の中で最も深い関係があったとされる安倍氏の国葬」との関係はどうなのでしょうか。
「国葬にはすべきでない」と書く社説、「国葬は国葬で、外交的な意味があり、統一教会問題は次元が異なる話。国葬は予定通りに」と書く社説はあってもよい。うやむやにするのがよくないのです。
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