研修の演習時間中、グループでの議論の結果発表や司会を担当する順番を受講者同士で決めてもらう場面はたくさんあります。
その際、うっかり「じゃんけん以外の方法で決めてください」と告げておくことを忘れてしまうと、あちこちで「最初はグー、じゃんけんポン」とじゃんけんが始まることが頻繁にあります。
いつの頃からか、はじめに「最初はグー」と調子を合わせてからじゃんけんをするようになったため、決着がつくまでに意外と時間がかかることがあり、その間のやりとりを見ていると思わず苦笑いをしてしまうことがあります。
グループの代表として1名だけが発表をする場合ならともかく、メンバー全員が遅かれ早かれ発表や司会するような場面であっても、「最初に私が担当します」と口火を切る人は少なく、結局はじゃんけんで順番を決めるケースがほとんどです。
これは年代にはあまり関係なく、20代であっても50代であってもだいたい同じ状態になりますし、また企業内研修でも公開のセミナーでもあってもやはり同様のことが起こります。
実は何を隠そう、この私自身、公開のセミナーを受講した際、順番を決めなければならない状況のときに、じゃんけんで決めた経験があります。
そのときのことを思い出してみると、初対面の人間同士がお互い遠慮がちに顔を見合わせている最中に、1人の「ここは公平にじゃんけんで決めましょう」という提案に、「では、そうしましょう」と全員が乗ったわけです。
思い返せば「私が最初にやります」と主体的な選択もできたはずなのに、それをせずに自ら受け身の選択をしたのは一体なぜなのでしょうか。
もちろん、人それぞれに訳があるとは思いますが、私には自らが先陣を切ろうとするのではなく、じゃんけんというある種の偶然や確率に身を委ね、受け入れているのではないかと思えるのです。そしてこれは、日本人の文化や習慣の一つなのではないかと感じています。
こうした偶然や確率をありのままに受け入れようとする考え方の背景には、日本の風土が一般的にイメージされるほどには穏やかではないということがあるのかもしれません。つまり、自然現象とそこに暮らす人々の生活との関係性において、欧米人と日本人では大きな相違がみられるのではないかと考えています。
一般的に、ヨーロッパ大陸の自然風土は夏期は乾燥し反対に冬季は湿度が高く、日常生活における生活環境としては、日本と比べ比較的穏やかだったようです。このため、ヨーロッパでは早くから自然をうまく生活に利用しようとする思想や実際に利用していく力を生み出したそうです。
一方、日本人は四季の微妙な変化を感じ取る一方で、長い歴史の間に地震をはじめ、台風や洪水などによって我々の生活が大きく脅かされてきたことから、自然の持つ苛烈な力を思い知らされています。
このように「自然は美しく恵み豊かである反面、烈しい試練も与えるものだ」ということを幾世代にわたって身にしみて教えられてきているため、欧米流のように自然に対し対等の立場に立って自分たちの生活に都合の良いように利用するという思想でなく、自然の烈しい面については逆らわず、耐え忍んで生命を保ち得ようとするある種のあきらめの精神のようなものも併せ持っているように感じています。
冒頭の例のように、自ら積極的に前に出ようとしないメンタリティの背景には、こうした自らの力の及ばないものについては無理にそれを何とかしようとはせずに、それを受け入れようとする文化があるのではないかと感じます。
とは言え、じゃんけんにいつまでも頼るのではなく、「私が最初にやります」と主体的な選択をする文化・風土に、少しずつでも変えていきたいと思っています。
(人材育成社)